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ドキュメンタリー「解放区」田村真子が再訪した能登地震からの復興 のと鉄道と輪島朝市が語る地域の記憶|2026年3月2日★

ドキュメンタリー『解放区』

ドキュメンタリー「解放区」田村真子 のと鉄道 〜明日へ向かう旅〜とは

TBSのドキュメンタリー枠「解放区」で放送される今回の作品は、アナウンサーの田村真子さんが、石川県・能登をふたたび訪ねる旅を追ったものです。

田村さんは2020年に一度、能登を旅し、海鮮たっぷりの能登丼、廃線を利用した自走式のトロッコ列車、能登のシンボルと呼ばれた軍艦島(見附島)、世界農業遺産に認定された白米千枚田、そして日本三大朝市のひとつ輪島朝市など、数々の名所や人びとと出会いました。

しかし、2024年1月1日に起きた能登半島地震によって、その多くが深刻な被害を受けます。番組は、震災から2年が過ぎた能登を再訪した田村さんの視点をとおして、「いま能登で何が起きているのか」「これからの復興を、私たちはどう支えられるのか」を問いかけていきます。

ドキュメンタリー映画としても「田村真子 のと鉄道 明日へ向かう旅」が制作されており、のと鉄道を軸に“あの日訪れた能登との再会の旅”が描かれています。

2020年の能登旅で田村真子アナが出会った風景と人びと

2020年、まだ地震前の能登は、ゆったりとした時間が流れる「観光地」であり、同時に「ふだんの暮らしの場」でもありました。

田村真子さんは、地元の魚介を贅沢に盛り込んだ能登丼に舌鼓を打ちます。能登丼は、使用する魚種や盛りつけは店ごとに違いますが、「能登の海でとれた魚を中心に使う」というルールを大切にしてきたご当地丼です。魚だけでなく、米や醤油など、周りを固める食材も地場産が多く、「一杯で能登の海と里山を味わえる丼」として人気を集めてきました。

廃線跡を利用した自走式のトロッコ列車では、線路の上をゆっくりと走りながら、風を切る感覚と、間近に迫る田んぼや里山の景色を楽しみます。観光用の乗り物でありながら、地域の人びとの“あそび場”でもあったことが伝わってきます。

さらに、海に突き出した巨大な岩・見附島、通称軍艦島や、海岸沿いの斜面に小さな田んぼが幾重にも重なる白米千枚田、地元の人と観光客が行き交う輪島朝市。どの場所にも、ガイドブックには載りきらないストーリーがあります。

白米千枚田は、世界農業遺産「能登の里山里海」の象徴の一つで、急な斜面に約1000枚もの棚田が広がります。機械が入りにくいため、今も人の手で管理されている田んぼが多く、「米作りそのものが文化」と言われるほどです。

能登半島地震で何が起きたのか──あの日から始まった長い時間

2024年1月1日、能登半島を襲った大きな地震は、観光地としての能登だけでなく、人びとの暮らしそのものを揺さぶりました。震源に近い地域では、家屋の倒壊、道路の寸断、火災、津波などが重なり、町の景色は一変しました。

田村さんがかつて歩いた輪島の街並みも、大規模な火災によって多くの建物が失われました。朝市が開かれていた通りも例外ではなく、「観光地」としての顔だけでなく、地元の人が日常的に買い物をする場所としての機能も傷つきました。

また、能登のシンボルだった見附島(軍艦島)も、地震によって大きく崩れました。もともと珪藻土でできたもろい地質の岩でしたが、地震のエネルギーによって一部が崩落し、「軍艦」のような形は大きく変わってしまいました。

ドキュメンタリーでは、こうした変わり果てた風景と、そこに暮らし続ける人びとの姿が、田村さんの視点から静かに映し出されます。テレビの画面越しに見ていた「観光地」が、「誰かの生活の場」として立ち上がってくる瞬間です。

大きな被害を乗り越えたローカル線・のと鉄道の現在地

作品の大きな軸になっているのが、七尾〜穴水間を結ぶ第三セクター鉄道のと鉄道です。

能登半島地震では、斜面の崩壊やレールのずれ、盛土やホームの沈下など、鉄道施設も大きな被害を受けました。被害箇所は約50か所とも言われ、線路だけでなく駅舎やホーム、周辺のインフラも痛みました。

それでも、国や石川県、JR西日本などの支援を受けながら復旧工事が進み、2024年4月6日には全線で運転再開にこぎつけます。地震から約3か月という早さで、能登の鉄道は「とりあえず動く状態」に戻りました。

ただし、線路が復旧しても、沿線の温泉地や観光施設は大きなダメージを受けています。観光客はコロナ禍前よりも少なく、人口流出も続き、列車の乗客数は厳しい状況が続いています。復旧した線路は、いわば「希望の土台」であり、そこにどんな物語を走らせるかは、これからの課題です。

番組では、田村さんが列車に乗り、揺れる車内から変わってしまった風景と、変わらない海や里山の色を見つめます。ローカル線は、単なる移動手段ではなく、「地域の記憶」をつなぐ存在でもあることが、映像から伝わってきます。

軍艦島と呼ばれた見附島・白米千枚田・輪島朝市の「その後」

田村さんが前回の旅で訪れた象徴的な場所にも、カメラはもう一度向き合います。

能登のシンボルとして親しまれてきた見附島(軍艦島)は、地震後、その形を大きく変えました。崩れ落ちた岩は海岸に転がり、立ち入りが制限されている場所もあります。「あの形でもう一度見たい」と願っても、元の姿には戻りません。それでも、変わった姿の見附島を見つめながら、「それでもここで暮らし続ける」と話す住民の言葉には、土地への深い愛情がにじみます。

白米千枚田では、棚田の一部に亀裂が入り、2024年には修復した田んぼだけで米作りが続けられました。その後も豪雨被害などに悩まされつつ、地元の保存会やボランティアが、なんとか田んぼを守り続けています。2025年以降も稲刈りやライトアップの取り組みは続けられ、「震災を越えて棚田を次世代につなぐ」という強い意思が感じられます。

日本三大朝市として知られる輪島朝市は、大規模火災で通り一帯が甚大な被害を受けました。いま、輪島市は朝市通りの道路整備や再建計画を進めており、2026年3月から建物の再建に着手する予定が発表されています。完全な復活までは長い時間がかかりますが、「もう一度ここで店を開きたい」という人たちの声が、計画を支えています。

番組では、それぞれの場所に立ち、田村さんが「前に来たときの記憶」と「いま目の前にある風景」を重ね合わせていきます。その対比が、復興の難しさと、それでも前を向こうとする人びとの強さを、静かに浮かび上がらせます。

能登丼や朝市の味に宿る、ふだんの暮らしと誇り

震災のニュースでは、どうしても「被害の大きさ」が強調されがちです。

でも、能登にとって本当に大切なのは、日々の食卓や商店街、漁港や畑での「ふつうの暮らし」です。

能登丼は、地元の漁師さんがとってきた魚を中心に、季節ごとの海の恵みを盛り込む丼です。同じ名前でも、載る魚や調理法、盛りつけは店ごとに違います。観光客にとっては「ご当地グルメ」でも、地元の人にとっては「少し特別な、でも身近な一杯」です。

かつてにぎわった輪島朝市では、新鮮な魚や野菜、干物、漬物、お土産品などが並び、買い物ついでに立ち話をする姿が日常でした。朝市は、観光スポットであると同時に、「顔の見える市場」として地域の人を支えてきた場所です。

作品の中で描かれる食のシーンは、単なる“グルメ紹介”ではありません。震災後、営業再開を目指す店や、仮設のスペースで少しずつ商売を再開した人たちの姿から、「食べること=ここで生きていくこと」という強いメッセージが伝わってきます。

「能登を忘れないで」住民が田村真子アナに託した本音

このドキュメンタリーで何度も出てくる言葉が、「能登を忘れないで」という住民の声です。

大きな災害が起きた直後は、多くのメディアが現地を取材し、全国から支援が集まります。しかし時間が経つにつれ、ニュースは減り、支援の話題も少なくなっていきます。被災地にいる人たちは、「もう忘れられてしまうのではないか」という不安を抱えながら、長い復興の道のりを歩かなければなりません。

田村さんは、かつて旅番組として能登を訪れ、楽しい時間だけを切り取って紹介した立場でもあります。だからこそ、あらためて震災後の能登に向き合うことについて、どこか後ろめたさや緊張も抱えているように見えます。

カメラの前で語られる住民の言葉には、「観光に来てほしい」「でも、まだ生活は大変で…」という複雑な思いも含まれています。田村さんは、その揺れる気持ちを、表情や相づち一つひとつで丁寧に受け止めていきます。

観光は迷惑?それとも支援?揺れる気持ちと向き合う旅

震災後の観光には、いつも賛否があります。

「被災地に遊びに行くなんて」とためらう人もいれば、「観光が復興の支えになる」と考える人もいます。実際、能登でも、観光客を迎え入れる体制が整っていない地域や、まだ危険が残る場所もあります。一方で、営業を再開した宿や飲食店、体験プログラムなどもあり、「来てくれることが励みになる」と話す人も少なくありません。

番組では、「いますぐ来てください」と言い切るのではなく、「それぞれのタイミングで、能登のことを思い出してほしい」というメッセージが感じられます。のと鉄道に乗って沿線の景色を眺めたり、再開した店で食事をしたり、オンラインで地元の商品を購入したり。距離や状況に応じて、できる形の関わり方はさまざまです。

視聴者にとっても、「自分が行くことは、助けになるのか、それとも負担になるのか」を考えるきっかけになるはずです。

私たちにできること──寄付・買って応援・現地を訪ねるという選択

ドキュメンタリーの終盤で浮かび上がってくるのは、「いま私たちにできることは何か」という問いです。

もちろん、義援金やクラウドファンディングなど、金銭的な支援は大きな力になります。また、能登の特産品や工芸品をオンラインショップや物産展で購入する「買って応援」も、長期的な支えになります。

さらに、のと鉄道や一部の観光スポットが受け入れ体制を整えたタイミングで、現地を訪れることも大きな支援になります。宿に泊まり、地域の店でご飯を食べ、地元の人の話を聞くこと。それは、お金だけでなく、「あなたたちのことを忘れていない」というメッセージを届ける行為でもあります。

ただし、被害が大きかった地域では、まだ生活再建が最優先です。番組を通して、どのエリアが観光再開に踏み出しているのか、どこはまだ慎重な段階なのかを知り、自分なりに情報を集めたうえで行動することが大切です。

のと鉄道が走り続ける未来へ──カメラが見つめた希望のかたち

最後に描かれるのは、のと鉄道の車窓から見える景色と、そこに暮らす人びとの表情です。

震災前と同じではないけれど、それでも列車は走り、田んぼには苗が植えられ、港には漁船が並びます。傷跡は簡単には消えませんが、それでも誰かが線路を直し、田んぼを耕し、店を再開しようとしています。

田村真子さんの旅は、「かわいそうな被災地」を見に行く旅ではありません。かつて出会った土地と人びとを、もう一度まっすぐに見つめ直す旅です。そして視聴者に向かって、「あなたはこの景色を見て、何を感じますか?」とやさしく問いかけているように見えます。

ドキュメンタリー「解放区」田村真子 のと鉄道 〜明日へ向かう旅〜は、ニュースでは伝えきれない能登の今と、これからを考えるための入口になる一本です。

テレビを消したあと、地図や検索サイトを開き、「能登」「のと鉄道」「輪島朝市」と打ち込んでみたくなる。その小さな一歩こそが、遠く離れた場所からできる、最初の復興支援なのかもしれません。

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