精神科医と劇作家、2つの道を歩む胡桃澤伸
精神科医として人の心と向き合いながら、劇作家「くるみざわしん」として舞台作品を書き続けてきた胡桃澤伸さん。その創作の奥には、満蒙開拓に関わった祖父の存在と、長年言葉にできなかった家族の歴史があります。『こころの時代「われ過てり 生きろ〜劇作家・精神科医 胡桃澤伸」(2026年8月17日放送)』では、祖父と向き合い続けてきた人生が取り上げられます。医療と演劇という一見異なる2つの仕事が、どうつながっていったのかをたどります。
この記事でわかること
- 胡桃澤伸さんの経歴と現在の仕事
- 精神科医から劇作を始めた転機
- 祖父と満蒙開拓をめぐる家族の歴史
- 中井久夫さんらとの出会いと作品への影響
胡桃澤伸は精神科医と劇作家の2つの顔を持つ人物
胡桃澤伸さんは、1966年に長野県で生まれた精神科医・劇作家です。劇作家として活動するときには、ひらがなの「くるみざわしん」という名前を使っています。
特徴的なのは、「医師を辞めて劇作家になった」という経歴ではないことです。
精神科医として働きながら劇作を学び、現在まで医療と演劇の両方の現場に関わってきました。精神科医としての臨床経験と、劇作家として人間を描く仕事が並行して続いているのです。
劇作家としては、北区つかこうへい劇団戯曲作法塾や伊丹想流私塾で学び、関西を中心に活動。「光の領地」を立ち上げ、さまざまな劇団との共同制作にも取り組んできました。
精神科医と劇作家という組み合わせを初めて知ると、少し意外に感じます。
ただ、胡桃澤さんの歩みを追うと、この2つはまったく別の仕事ではありません。どちらも「人はなぜそう考え、そう行動するのか」という、人間の内側に向き合う仕事だと見えてきます。
精神科医としての出発点は1995年の神戸
胡桃澤さんは1995年、阪神・淡路大震災直後の神戸で精神科医として勤務を始めました。その後、大阪、東京、千葉などでも精神医療に携わってきたことが確認されています。
1995年の神戸という時期は見逃せません。
大規模災害の直後で、多くの人が家族や住居、仕事、日常生活を失った時代です。そのような場所で精神科医としてキャリアを始めた経験が、その後の胡桃澤さんの考え方にどのような影響を与えたのかは、人物像を理解するときに押さえておきたいところです。
また、胡桃澤さんは後に、精神医療そのものを題材にした戯曲も発表しています。
つまり精神科医として経験した世界を、そのまま医学的な説明だけで終わらせるのではなく、演劇という別の方法でも問い直してきた人物と見ることができます。
個人的には、ここが胡桃澤さんを単なる「医師兼劇作家」として片づけられない一番大きなポイントだと感じます。
2003年から劇作を学び始めた転機
胡桃澤さんが本格的に劇作の道へ進み始めたのは2003年です。
精神科医として勤務を続けながら、北区つかこうへい劇団戯曲作法塾などで劇作を学び始めました。
その後、伊丹想流私塾でも学び、2007年には『うどん屋』でテアトロ新人戯曲賞佳作を受賞しています。
さらに、
『ひなの砦』
『同郷同年』
『精神病院つばき荘』
『忠臣蔵・破 エートス/死』
などの作品を発表しました。
『同郷同年』は「日本の劇」戯曲賞を受賞し、後にOMS戯曲賞大賞も受賞。『忠臣蔵・破 エートス/死』では2019年の文化庁芸術祭賞新人賞を受賞しています。
20代から演劇一筋だった人物ではなく、精神科医として働いた後、30代後半になってから本格的に劇作を学び始めている点も興味深いところです。
「ある年齢になったら新しい道は難しい」と考えがちですが、胡桃澤さんの経歴を見ると、仕事を続けながら別の表現方法を身につけ、それが後に受賞作へつながっています。
祖父と満蒙開拓が胡桃澤伸の人生に残したもの
胡桃澤さんの人生を知るうえで避けて通れないのが、祖父の胡桃澤盛さんです。
戦時中、盛さんは長野県の河野村で村長を務めていました。
国策として進められた満蒙開拓に従い、村人を満州へ送り出しました。しかしソ連軍の侵攻によって現地の状況は一変し、河野村から渡った開拓団では73人が集団自決するという悲劇が起きました。
その後、盛さんは罪の意識に苦しみ、42歳で自ら命を絶ったとされています。
この歴史は「祖父が戦争の被害者だった」という単純な話ではありません。
村を良くしようと考えて行動した村長が、結果として国策に加担し、村人を戦地へ送り出す側にもなった。
被害と加害の両方が重なっていることが、胡桃澤さんが長年向き合ってきた難しさです。
戦争の歴史というと、どうしても「誰が悪かったのか」という単純な構図で理解したくなります。しかし実際には、当時を生きた普通の人々が国家の方針や地域社会の空気の中で選択を重ねていました。
胡桃澤さんの祖父の人生は、その複雑さを考える一つの具体例になっています。
家族や村で語られなかった祖父の過去
さらに重かったのは、祖父の出来事が胡桃澤さんに詳しく語り継がれていたわけではなかったことです。
幼いころから、家でも村でも祖父の過去について自由に語れる状況ではなかったことが、今回の番組紹介でも示されています。
「大きな出来事があったのに、誰も話さない」。
子どもの立場から考えると、これはかなり不思議であり、同時に重いものだったはずです。
後に胡桃澤さんが祖父を理解する手掛かりとしたのが、祖父が10代の終わりから死の直前まで残していた日記でした。
そこには、若いころ自由主義に理想を抱き、村長になって地域のために働こうとした人物が、次第に国の戦争政策へ深く関わっていく過程が残されていました。
最初から村人を不幸にしようとしていた人物ではない。
むしろ、家族や村、社会のために正しく生きようとした人物だった。
それでも結果として悲劇に関わってしまった。
この矛盾こそ、孫である胡桃澤さんが簡単には答えを出せなかった理由なのでしょう。
たしかにこれは気になります。「祖父は悪かったのか、時代が悪かったのか」という二者択一では整理できません。
だからこそ、祖父の日記を読み、その人が何を考えていたのかをたどる意味が出てきます。
中井久夫との出会いが胡桃澤伸に与えた影響
胡桃澤さんのもう一つの重要な人物関係が、精神科医の中井久夫さんです。
中井さんは統合失調症の治療や精神医学の分野で大きな足跡を残した精神科医で、神戸大学教授などを務めました。
胡桃澤さんは中井さんの医局で研修を受けた経験があり、後には『中井久夫講演録 統合失調症の過去・現在・未来』にも関わっています。
今回紹介される胡桃澤さんの人生でも、中井さんは自分自身の表現を取り戻していくうえで大切な出会いの一つとして位置づけられています。
精神医学では、患者の症状だけを見るのではなく、その人がこれまでどんな人生を送り、何を経験してきたのかを見ることが欠かせません。
一方、演劇でも人物の行動だけではなく、「なぜこの人物はそうしたのか」を掘り下げます。
胡桃澤さんの中で精神医療と劇作がつながっていった背景を考えると、中井さんとの関係はかなり重要な部分だといえそうです。
詩人・金時鐘との出会いと表現への道
もう一人、胡桃澤さんの人生に登場するのが詩人の金時鐘(キム・シジョン)さんです。
金さんは日本で長く創作を続けてきた詩人で、歴史や記憶、在日コリアンとしての経験などを言葉にしてきた人物です。
胡桃澤さんは、中井久夫さんや金時鐘さんらとの出会いを通して、少しずつ自分自身の表現を取り戻していったとされています。
ここでいう「表現」は、単に戯曲を書く技術だけではないのでしょう。
祖父について語ること自体が難しかった胡桃澤さんにとって、過去を言葉にすることは、自分の家族史を正面から見直す作業でもあります。
他人の人生を診る精神科医として働きながら、自分自身の家族については簡単に言葉にできなかった。
そこから他者との出会いを通じて表現へ向かっていったという流れを知ると、胡桃澤さんが劇作を続ける意味がより分かりやすくなります。
「精神病院つばき荘」など精神医療を描いた作品
胡桃澤さんの劇作には、精神科医としての経験が強く表れた作品があります。
代表的なのが**『ひなの砦』と『精神病院つばき荘』**です。
『ひなの砦』はOMS戯曲賞佳作、『精神病院つばき荘』は日本劇作家協会新人戯曲賞の最終候補となりました。
また、2019年からは東大阪市の就労支援作業所「リカバリースペースみーる」と共同制作にも取り組んできました。
ここで面白いのは、精神医療を外側から取材して作品にするのではなく、実際に精神科医として働く人物が演劇として描いていることです。
医療者、患者、家族、支援者。
同じ出来事でも、立場が変われば見え方は大きく違います。
演劇には、それぞれの立場の人間を同じ舞台に登場させられる特徴があります。
個人的には、胡桃澤さんにとって演劇は「医療で答えを出せなかったことを自由に描く場所」というより、簡単な答えを出さずに複数の立場を同時に見つめるための方法になっているように感じます。
祖父をモデルにした演劇を作った理由
そして胡桃澤さんの創作は、長年避けることのできなかった祖父の人生へ戻っていきます。
祖父・盛さんについては、以前から日記を手掛かりに向き合い、その過程はドキュメンタリー『決壊〜祖父が見た満州の夢』でも取り上げられていました。
しかし、祖父の資料を調べることと、祖父を舞台上の人物として描くことは別の作業です。
演劇にすれば、祖父に言葉を語らせる必要があります。
なぜ村長になったのか。
なぜ満蒙開拓に関わったのか。
何を正しいと思っていたのか。
村人の死を知った後、何を考えていたのか。
孫である自分は、その祖父をどう受け止めればよいのか。
史料だけでは答えが出ない部分まで、人間として想像しなければ作品にはできません。
2025年には、祖父が残した日記をひもといて描く舞台**『鴨居に朝を刻む』**が上演されています。祖父の過去を「調べる対象」にとどめず、演劇として現代へ伝えるところまで進んだことになります。
祖父を肯定するためでも、単純に断罪するためでもない。
「なぜそうなったのか」を考え続けること自体が、胡桃澤さんの創作の中心にあると見ると理解しやすくなります。
現在の活動と「われ過てり 生きろ」で描かれる人生
胡桃澤伸さんの歩みを振り返ると、
精神科医として人と向き合うこと
劇作家として人間を描くこと
孫として祖父の過去を受け止めること
この3つが別々に存在しているのではなく、長い時間をかけて重なってきたことが分かります。
1995年に精神科医として神戸で働き始め、2003年から劇作を学び、数々の戯曲を発表。そして祖父が残した日記と満蒙開拓の歴史にも向き合い続けてきました。
祖父の人生には、国策に従った「加害」の側面があります。
一方で、満州へ渡った村人たちは戦争に翻弄された「被害」の側面もあります。
どちらか一方だけを見れば分かりやすくなりますが、実際の歴史はそれほど単純ではありません。
善意で始めた行動が、時代や制度の中で取り返しのつかない結果につながることがある。
胡桃澤さんが祖父を描き続ける意味は、過去の一人の人物を裁くことだけではなく、「自分だったらその時代にどうしたのか」と現在を生きる側へ問いを返すことにもあるのでしょう。
『われ過てり 生きろ』という言葉も印象的です。
過ちがあったとしても、それをなかったことにはできません。一方で、過去の責任だけで人生を終わらせるのではなく、事実を見つめながら次の世代へ伝えていくこともできます。
胡桃澤さんが精神科医と劇作家という2つの立場から続けてきたのは、まさにその作業なのだと思います。
初めは「精神科医なのになぜ劇作家なのか」というところが気になりますが、最後まで経歴を追うと、むしろ精神科医だったからこそ演劇へ向かった部分と、演劇があったからこそ祖父について語れるようになった部分の両方が見えてきます。
そこまで知ると、胡桃澤伸さんという人物を「2つの肩書を持つ人」だけでは説明できないことがよく分かります。
出典


コメント