武井壮が9歳で生き別れた母・京子さんと44年越しにつながった家族の物語
2026年9月22日放送のNHK『ファミリーヒストリー 武井壮 ~生き別れた母の行方~』では、武井壮さんが幼い頃から知ることのできなかった家族の歩みがたどられました。なかでも大きかったのが、9歳のときに東京駅で別れ、その後一度も会うことがなかった母・京子さんの人生です。
両親の離婚後、兄と2人で生活する時期を経験し、自力で学費や生活費をまかないながら成長した武井さん。俳優を目指した兄・情さんとの死別も経験しました。
そして44年後、母が別れたあとも息子たちを忘れていなかったことを示すものが残されていました。
この記事でわかること
- 武井壮さんが9歳で母・京子さんと生き別れた経緯
- 京子さんが和歌山へ戻ったあとの人生
- 兄・武井情さんが俳優を目指し、坂上忍さんの付き人になった経緯
- 母の遺品から見つかった武井壮さんの写真に込められた44年越しの思い
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母・京子さんは再婚し、故郷の和歌山で人生を送っていた
武井壮さんの母・京子さんは、和歌山県田辺市で生まれ育ちました。
父親は船を造る仕事をしており、京子さんは幼い頃にはピアノを習っていたといいます。周囲からは誰にでも優しい女性として記憶されていました。
やがて東京を訪れた際に、後に武井さんの父となる司さんと出会います。司さんが京子さんに一目ぼれし、何度も和歌山へ足を運んだ末に交際へ発展しました。
結婚したとき、司さんは29歳、京子さんは20歳。2人の間には長男の情さん、次男の壮さんが誕生します。
しかし夫婦関係は次第に悪化。武井さんが9歳のとき、京子さんは和歌山へ戻ることになりました。
その後、京子さんは林重夫さんと出会い再婚。70歳を過ぎた頃から体が思うように動かなくなる病気を患い、約2年半の闘病生活を送りました。
最期は故郷・田辺市の病院で静かに亡くなっています。
東京駅で聞いた「荘ちゃん、ごめんね」が母との最後の会話になった
武井さんにとって、母との最後の記憶は東京駅でした。
当時は母が「実家へ帰る」とだけ聞かされ、両親が離婚することを理解していませんでした。
母と父、兄・情さんとともに東京駅へ向かい、電車に乗る京子さんを見送ります。
そのとき京子さんが武井さんへかけたのが、「荘ちゃん、ごめんね」という言葉でした。
武井さんは、母について悪い思い出が1つもないと振り返っています。いつも笑顔で「壮ちゃん」と呼び、愛情を注いでくれた母親でした。
ところが東京駅で別れたあと、京子さんが家へ戻ってくることはありませんでした。
武井さんが兄に「ママ、いつ帰ってくるのかな」と尋ねると、そこで初めて両親が離婚したことを知らされます。
9歳だった武井さんにとって、それが母との最後の対面になりました。
京子さんは子どもたちと暮らすため何度も東京へ向かっていた
和歌山へ帰った京子さんが、息子たちへの思いを断ち切っていたわけではありませんでした。
京子さんはその後、何度も東京へ足を運び、子どもたちと一緒に暮らしたいと司さんに求めていました。
しかし、その願いがかなうことはありませんでした。
一方の武井さんと兄・情さんは、父もほとんど家へ帰らない環境で2人だけの生活を送ることになります。
父が時折置いていく生活費だけでは足りず、まだ子どもだった武井さんは自分でお金を得る方法を考えました。
始めたのが近所の家庭のゴミ出しです。
玄関からゴミ捨て場まで運び、1軒につき月500円ほどのお小遣いを受け取る仕組みを自分で作りました。
食事も自分で用意します。スーパーで半額になったひき肉を買い、肉そぼろを作って食べる日々を送りました。
学費についても、成績上位なら学費が免除される学校へ進み、学年1位を取り続けます。
現在の武井壮さんにつながる「自分の力で人生を作る」という姿勢は、すでに少年時代から始まっていました。
長者番付を見てスポーツ選手になると決めた
そんな生活のなかで、武井さんの人生を変えたものがありました。
ふと目にした長者番付です。
そこに一流スポーツ選手の名前と大きな収入が並んでいるのを見て、「スポーツ選手になる」と決意しました。
目標を実現するためのルールをノートに書き、兄と同じ野球部に入って体を鍛えていきます。
その後、大学では陸上競技へ進みました。
そして24歳のとき、日本陸上選手権の十種競技で優勝。競技を本格的に始めてからわずか2年半ほどで日本一になります。
ただし、この飛躍の直前、武井さんには人生を大きく変える別れがありました。
兄・情さんの死です。
兄・武井情さんは中学卒業後に働きながら俳優を目指した
2歳上の兄・情さんは、弟の壮さんにとって最も身近な存在でした。
家庭の経済状況が厳しくなるなか、情さんは自分が高校へ進むのではなく働く道を選びます。
「壮は頭がいいので高校は出してやりたい」
そんな思いを持ち、中学校を卒業するとレストランで働き始めました。
一方で、情さん自身にも夢がありました。
俳優になることです。
セリフのないエキストラなどで舞台経験を積み、20歳頃には坂上忍さんの付き人になりました。
坂上さんとの縁は後年にも語られており、情さんが俳優を目指して付き人を務めていたことは以前から公になっています。
Vシネマへの出演も決まり、俳優への道を歩き始めた情さん。
その一方で、弟の壮さんは神戸の大学で陸上競技に打ち込んでいました。
ようやく兄弟それぞれが自分の夢へ進み始めた時期でした。
兄・情さんは24歳で死去 「母に会いたい」という願いはかなわなかった
武井さんが大学生活を送っていたある日、父・司さんから電話がかかってきました。
伝えられたのは、兄が末期がんで、残された時間がわずかだという知らせでした。
武井さんは神戸から東京へバイクで駆けつけます。
病室には、急激に衰弱した兄の姿がありました。
情さんは「お母さんに会いたい」と願いました。
武井さんと父は京子さんを探すため、和歌山の実家へ連絡します。しかし長い年月のなかで生まれた家族の傷は深く、母との再会は実現しませんでした。
情さんは1995年8月、24歳で亡くなります。
坂上忍さんも後年、情さんとの別れについて語っています。俳優を目指す若者として情さんを付き人に迎え、弟のことをいつも自慢していたと振り返っています。
兄の死は、武井さんのその後の人生に大きな影響を与えました。
武井さんは、20代はスポーツに全力を注ぎ、30代からは兄が果たせなかった芸能の世界へ進もうと決めます。
十種競技の日本一、その後の海外でのゴルフ留学、台湾での野球指導、スポーツトレーナーとしての活動を経て、30代最後の年にテレビ出演。
現在知られる「百獣の王・武井壮」へとつながっていきました。
母の遺品にあったのは芸能界入り後の武井壮の写真だった
母の人生をたどった先で、武井さんが知ることになった最も大きな事実がありました。
京子さんの遺品の中から、武井壮さんの写真が見つかったのです。
しかも幼い頃の写真ではありません。
武井さんが芸能界へ入ったあとに撮影された写真でした。
東京駅で別れてから直接会うことがなくても、京子さんはテレビや雑誌などに登場する息子の姿を知り、その写真を手元に残していました。
武井さんはその事実を知り、言葉を失うほど涙を流しました。
母に忘れられていたわけではなかった。
自分がスポーツの世界から芸能界へ進み、テレビに出演している姿を、離れた場所で母が見ていたことが分かったからです。
放送翌日の9月23日には、武井さん自身も家族写真を公開し、両親から受けた愛情への感謝をつづっています。
母の再婚相手・林重夫さんと墓参りへ
京子さんと再婚した林重夫さんは、結婚当初、京子さんに息子がいたことを知らされていませんでした。
それでも京子さんが亡くなったあと、武井さんと林さんはつながることになります。
武井さんは母の月命日にあたる9月1日、林さんとともに京子さんの墓を訪れました。
9歳の東京駅で止まっていた母との時間が、44年を経て再び動き出した瞬間でした。
武井さんにとって大きかったのは、母が別れたあとも苦しみ続けていたという事実だけではありません。
再婚相手と出会い、幸せそうな表情で暮らしていたことを知ることができた点でした。
そして何より、母が息子の写真を持ち続けていたこと。
直接会えなかった44年間にも、親子のつながりは完全には消えていませんでした。
武井壮の父方は高田藩の武士へつながっていた
今回たどられた家族史には、さらに古い武井家のルーツもありました。
父方の戸籍から確認できた先祖は、新潟県上越市周辺で暮らしていた林家へとつながります。
江戸時代には高田藩に仕え、林所右衛門は御椀役や味噌奉行を担当。その後の家系では、高田城の警備などを担う「定番」を務める人物もいました。
明治時代になると曽祖父・武さんが群馬県の家へ養子に入り、結婚を機に武井姓を名乗るようになります。
祖父・新造さんは群馬から東京へ出てガラス職人となったのち、北海道の三菱美唄炭鉱で働き、その後は山梨へ移住。
電気、ガス、水道もない土地で大人数の家族を養うため、養鶏などに取り組みました。
その息子である司さんも片道約5kmの山道を通学し、集団就職で上京。工場勤務を経て美容師となり、やがて武井さんの父となります。
厳しい環境のなかでも自分の力で道を切り開いてきた家族の歩みは、武井壮さん自身の少年時代とも重なります。
実用情報
- 番組名:ファミリーヒストリー 武井壮 ~生き別れた母の行方~
- 放送局:NHK総合
- 放送日:2026年9月22日
- 出演:武井壮、今田耕司、杉浦友紀
- 主な家族:母・京子さん、父・司さん、兄・情さん
- 主なゆかりの地:東京都葛飾区、新潟県上越市、群馬県安中市、北海道美唄市、山梨県甲州市、和歌山県田辺市
まとめ
武井壮さんは9歳のとき、東京駅で母・京子さんと別れました。
その後、父も家を空けることが多くなり、兄・情さんと2人で生活する厳しい少年時代を送ります。
兄は自分の進学より弟を優先して働き始め、俳優を目指して坂上忍さんの付き人となりました。しかし24歳という若さで亡くなります。
武井さんは兄の夢も背負うようにスポーツで日本一となり、その後芸能界へ進みました。
一方、母の京子さんは故郷の和歌山へ戻ったあと再婚し、新たな人生を歩んでいました。
東京駅で別れてから直接会うことはありませんでしたが、京子さんの遺品には芸能界で活躍する息子・武井壮さんの写真が残されていました。
「会えなかった44年」と「忘れていなかった44年」。
その2つがつながったことこそ、この家族史の大きな節目だったといえます。
参考リンク


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