銀河釉を受け継ぐ2人と玉峰窯の新しい物語
器の中に星空が広がったような結晶が浮かぶ銀河釉。その技法を生み出した陶芸家・中尾哲彰さんが亡くなったあと、残された技を受け継いでいるのが息子の中尾真徳さんと、オランダ出身の弟子で娘婿のステン・ヴァンダーレンさんです。『ドキュメント20min.(銀河を焼いて 時々ネルソン)(2026年8月19日)』では、十分な手がかりが残されていない中で再び銀河を器に宿そうとする2人の姿が描かれます。父の死だけでなく、銀河釉を支えてきた「土」まで失うことになった現在を知ると、この継承が単なる技術の引き継ぎではないことが分かります。
この記事でわかること
- 中尾真徳さんとステンさんが銀河釉を継いだ経緯
- 中尾哲彰さんが生み出した銀河釉の特徴
- 父を失った2人が技法を再現してきた歩み
- 専用の土まで失った玉峰窯の新たな挑戦
※放送後詳しい内容が分かり次第追記します。
中尾真徳とステン・ヴァンダーレンが銀河釉を受け継ぐ後継者
中尾真徳さんとステン・ヴァンダーレンさんは、佐賀県武雄市の「銀河釉 玉峰窯」で、中尾哲彰さんが生み出した銀河釉を受け継いでいる2人です。
真徳さんは中尾哲彰さんの息子。
ステンさんはオランダ出身で、中尾哲彰さんの弟子であると同時に娘婿でもあります。玉峰窯自身も、2人を銀河釉の「第二世代」と位置づけています。
2人が引き継いだのは、完成した作り方をそのまま再現すればよい技術ではありません。
中尾哲彰さんが入院した際、手元に残されていたのは、書き込まれた焼成グラフや釉薬の調合レシピなど。窯の温度、時間、釉薬の濃度、釉薬を掛ける時間、天候といった細かな条件まで含めて、作品を完成させるためのすべてが体系的に残されていたわけではありませんでした。
実際、2人たちが初めて自分たちだけで銀河釉を焼いた2023年秋の窯は、ほぼ全滅だったと振り返られています。そこから条件を1つずつ変えながら試験を重ねる日々が始まりました。
「息子だから同じものを作れる」「弟子だから技術を教えてもらっている」という単純な話ではないところが、この継承の難しさです。
2人がしているのは、父や師匠の完成品をまねることではなく、残された断片から、なぜその器が生まれたのかを逆算する作業なのです。
中尾真徳の父・中尾哲彰が生み出した銀河釉
銀河釉は、器の表面に現れる結晶が星々のように輝く独自の陶芸表現です。
その生みの親が、玉峰窯の陶芸家中尾哲彰さんでした。
見た目の美しさだけでなく、中尾哲彰さんが銀河釉に込めた考えを知ると、この名前にも意味があることが分かります。
中尾さんは若い頃、哲学や社会科学を学び、学者を目指した時期がありました。その後、陶芸の道へ進みますが、制作を始めてからも哲学書や歴史書を読み続けました。玉峰窯に残された書斎には膨大な本が並んでいます。
銀河釉という名前には、中尾さんが大切にしていた「愛」と「自由」への思いが込められています。
単に「宇宙のようにきれいだから銀河」と名付けたわけではありません。
国境を越えた世界や、人が互いの自由を尊重しながら生きる社会への願いを、器の中に広がる銀河へ重ねていたのです。
この背景を知ると、真徳さんが父の技法だけでなく、父がなぜ銀河釉を作ったのかまで知ろうとしている理由も見えてきます。
形と色だけ同じにしても、それだけでは中尾哲彰さんが作った銀河釉を受け継いだことにはならない。
父が残した「形だけではダメ」という言葉が、まさにその難しさを表しています。
ステン・ヴァンダーレンがオランダから日本へ渡り弟子になった経緯
ステン・ヴァンダーレンさんの存在は、この継承物語をさらに特別なものにしています。
ステンさんはオランダから日本へ渡り、中尾哲彰さんの弟子となった人物です。
当時、中尾さんの娘はオランダ、息子の真徳さんは東京にいました。そこへ銀河釉を受け継ぐことを夢見たステンさんが来日します。
日本語もほとんど話せない中で、中尾哲彰さんと妻の知佳子さんとの修業生活が始まりました。
普通ならここから、師匠の横に立って何年もろくろや釉薬、窯焚きを学ぶ物語になるところです。
しかし、ステンさんの場合はそうなりませんでした。
来日してわずか3日目。
工房で中尾哲彰さんと並んで本格的に教わる前に、中尾さんが倒れたのです。
銀河釉を学ぶためにはるばるオランダから来たのに、到着直後に師匠が制作できない状態になる。
かなり厳しい始まりです。
それでもステンさんは離れず、玉峰窯に残りました。
この選択が、やがて単なる「外国人の弟子」ではなく、銀河釉の次の時代を担う1人へとつながっていきます。
中尾哲彰が倒れた後も病室で続いたステンへの技術継承
中尾哲彰さんは倒れたあと、車椅子で生活するようになりました。
ステンさんが夢見ていた「師匠と工房に立ちながら学ぶ修業」は難しくなりましたが、2人の師弟関係そのものが終わったわけではありませんでした。
ステンさんが焼いた器を病室へ持っていき、それを中尾さんが見る。
作品を介したやり取りは、病室でも続きました。
ここは銀河釉の継承を知るうえで、とても印象に残る部分です。
陶芸は、本来なら土に触れる手の動き、釉薬の状態、火の入り方など、実際の作業をそばで見ながら覚えていく世界です。
ところがステンさんは、その最も重要な時間を十分に持てないまま、自分で焼いた作品を師匠に見せ、その反応や言葉から答えを探すことになりました。
さらに2023年、病院から一時的に戻っていた中尾哲彰さんは久しぶりに窯へ火を入れます。
そこで現れたのが、それまでの白を基調とした銀河とは違う、青みを帯びた「冬銀河」でした。
これが中尾哲彰さんにとって生涯最後の窯となりました。
最後まで新しい表現を試そうとする姿そのものも、ステンさんや真徳さんに残された大きな教えだったのでしょう。
中尾真徳が父の記憶を頼りに窯を焚き続ける現在
一方、息子の中尾真徳さんは、父の技術を本格的に継ぐためだけに幼い頃から陶芸家として修業してきた人物ではありません。
父が入院していた時期には東京におり、現在は大学院に通いながら佐賀の玉峰窯でも窯を焚く生活を送っています。
ただ、銀河釉との接点は幼い頃からありました。
子どもの頃には工房を手伝い、ろくろの音がする中で作業をしながら、父から社会や哲学についての話を聞いていました。
父が亡くなった今、真徳さんが頼りにしているものの1つが、その頃の記憶です。
さらに父の書斎を整理した際、若き日の中尾哲彰さんが24歳の頃に書いた文章を発見します。
その内容は、真徳さん自身が大学院で研究しようとしていたテーマと重なるものでした。
真徳さんにとって銀河釉を継ぐことは、焼き方を覚えるだけではなく、父が何を考え、なぜこの器を作り続けたのかをたどる旅にもなっています。
そして窯の技術についても、大きく前進しました。
2023年秋に初めて自分たちだけで焼いた窯は全滅。
そこから何度も実験を続け、2025年秋までに60回以上の窯焚きを重ねます。
その結果、
- 春銀河
- 夏銀河
- 秋銀河
- 冬銀河
- 睦月銀河
という基本5色が、再び本来の輝きを見せるところまで到達しました。
失敗から60回以上。
数字だけ見ても、銀河釉が「レシピ通りに調合すれば完成する釉薬」ではないことがよく分かります。
銀河釉を支えた専用の土まで失われた新たな試練
父の死を乗り越えながら技法を取り戻し始めた2人に、さらに大きな問題が起きました。
今度は銀河釉を焼くための土です。
中尾哲彰さんは、地元の土を扱う梅崎陶土と長年協力し、銀河釉に適した特注の土を開発していました。
「中尾荒目」と呼ばれた土は改良を重ねて「中尾土物」となり、30年以上にわたって銀河釉を支えてきました。
この土に求められるのは、単に釉薬と相性がよいことだけではありません。
薄く引き上げるろくろ作業に耐えられること。
さらに色を重ねるため、何度も窯へ入れる工程にも耐えられること。
作品を形作る段階から焼成まで、銀河釉ならではの工程を支える重要な材料でした。
ところが2026年2月、河川工事に伴う立ち退きによって梅崎陶土が廃業。
玉峰窯には最後となる約1.5トンの「中尾土物」が納品されました。
父を失ったあと、今度は父と職人が何十年もかけて作り上げた土まで失うことになったのです。
同じ釉薬を使っても、土が変われば焼き上がった表情は変わります。
玉峰窯では全国からさまざまな土を取り寄せ、ときには自分たちで山へ入りながら代わりとなる土を探し、テストピースを焼き続けています。
個人的には、この「土まで継承できない」という問題が銀河釉の難しさを最もよく表しているように感じます。
伝統を守るというと、人から人へ技術を教えれば続くように見えます。
しかし実際のものづくりは、職人の技術だけでなく、材料を作る別の職人や地域の自然まで含めて成立しているのです。
玉峰窯で続く2人の銀河釉再現への挑戦
中尾真徳さんとステンさんの目標は、中尾哲彰さんの作品をそのままコピーすることだけではありません。
まず取り戻そうとしたのは、父が作っていた銀河釉です。
試行錯誤の末に基本5色が戻り始めましたが、その先にはさらに難しい課題があります。
中尾哲彰さんは、
茜銀河、漆銀河、真朱銀河、雷鳴銀河、春茜銀河、碧空銀河、鳶色銀河
など、基本5色から発展したさまざまな銀河釉も生み出していました。
ところが、これらには調合レシピさえ残されていないものがあります。
残された作品と、工房にある釉薬の入ったバケツなどを手がかりに、2人は組み合わせを変えながら新たな色を探しています。2026年には調合そのものにも手を加え、父の作品にはなかった新しい表情にも挑戦しています。
つまり、銀河釉の第二章は「完全再現できたら終わり」ではありません。
中尾哲彰さん自身が、生前も新しい色を生み出し続けていました。
その精神まで受け継ぐなら、次の世代もまた、自分たちの銀河を作らなければならないことになります。
2025年にはステンさんの作品が佐賀玉屋や博多阪急などの展示会にも並び、ステンさんは1尺を超える大作にも挑戦しました。真徳さんも展示会で在廊するなど、2人が表に立つ機会が増えています。
さらに真徳さんは、窯のある佐賀と大学院のある京都を行き来しながら、父の陶芸だけでなく思想についてもたどっています。
ステンさんは師から受け取った技を焼き物としてつなぐ。
真徳さんは父との記憶や思想までたどりながら銀河釉をつなぐ。
入口の違う2人が、同じ玉峰窯で1つの銀河を追いかけているわけです。
そして2人を工房で見守っているのが、タイトルにも登場する黒猫のネルソン。
中尾哲彰さんが制作していた頃から工房に入り、ろくろのそばで過ごしてきた猫です。今も玉峰窯のSNSや作品にも登場し、先代と次の世代をつなぐような存在になっています。
父が残した技。
父と職人が作った土。
レシピのない色。
そして、器に込められた思想。
銀河釉を受け継ぐというのは、そのすべてを引き受けながら、それでも窯に火を入れ続けることなのだと分かります。
中尾哲彰さんが生み出した第一章の銀河から、中尾真徳さんとステン・ヴァンダーレンさんが作る第二章の銀河へ。
同じものを守るだけではなく、新しい銀河まで生み出そうとしているところに、玉峰窯のこれからを見る面白さがあります。
参考リンク


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