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保育教諭・京原和輝は日本スーパーミドル級王者|国本陸戦KO負けから階級変更、佐賀初防衛へ【列島ニュースで紹介】

人物

保育教諭と日本王者、2つの顔を持つ京原和輝

佐賀県で子どもたちと向き合う保育教諭でありながら、リングでは日本一の座まで上り詰めた京原和輝さん。『列島ニュース(“保育士ボクサー”日本タイトルへの挑戦)(2026年8月18日)』をきっかけに気になるのは、なぜ2つの仕事を続けているのかという点です。日本ミドル級王座戦でのKO負け、階級変更、そして逆転KOでの王座獲得まで、その道のりは決して一直線ではありませんでした。

この記事でわかること

  • 京原和輝さんが保育教諭とプロボクサーを続ける理由
  • 国本陸戦のKO負けから階級を上げた転機
  • 草村龍弥戦で日本スーパーミドル級王者になるまで
  • ひよ子こども園かみみねとの関係と佐賀での初防衛構想

京原和輝は保育教諭として働く日本スーパーミドル級王者

京原和輝さんは、佐賀県上峰町の「ひよ子こども園かみみね」で保育教諭として働きながら、プロボクサーとして日本スーパーミドル級王者になった人物です。

1997年5月22日生まれ、佐賀県多久市出身。福岡市の博多協栄ボクシングジムに所属し、2016年10月にプロデビューしました。2018年には西部日本ミドル級新人王となっています。

2026年6月22日、東京・後楽園ホールで行われた日本スーパーミドル級王座決定戦で草村龍弥選手と対戦。6回2分8秒KO勝ちを収め、日本王座を獲得しました。

一般的に「保育士ボクサー」と呼ばれることもありますが、勤務先での立場は保育教諭です。

日本王者になったから保育の仕事を離れるのではなく、これからも保育とボクシングを両立していく考えを示しています。

京原和輝とひよ子こども園かみみねの関係

京原さんが勤務しているのは、佐賀県上峰町にある認定こども園「ひよ子こども園かみみね」です。

2026年に赴任し、2歳児クラスを担当しています。日本王座挑戦を控えていた時期にも、日中は園児たちと過ごしながらプロボクサーとしてトレーニングを続けていました。

ここが京原さんを知るうえで大切な部分です。

ボクシングをしながら片手間に保育の仕事をしているのではなく、保育の現場でもクラスを受け持つ先生として働いています。

園児たちにとっては「日本ランキング上位のプロボクサー」よりも、毎日接する「かずき先生」。京原さん自身も、自分が挑戦を続ける姿を見せることで、子どもたちに夢や希望を持ってほしいという思いを語っています。

日本王座を獲得した後には、系列園のひよ子こども園カゼマチで祝勝会も開催され、約250人が参加しました。後援会も発足し、職場だけでなく地域ぐるみで王者を支える動きが広がっています。

国本陸戦の2回KO負けが階級変更の大きな転機になった

京原さんの日本王座獲得までの道のりで、大きな転機となったのが国本陸選手との日本ミドル級タイトルマッチです。

2025年4月13日、大阪の住吉区民センターで日本ミドル級王者・国本陸選手に挑戦しました。

結果は2回2分29秒KO負け。

日本タイトルにあと1歩まで迫りながら、厳しい形で敗れることになりました。

この敗戦後、京原さんはミドル級から1階級上のスーパーミドル級へ主戦場を移します。

ミドル級の上限は160ポンド、スーパーミドル級は168ポンド。京原さんにとっては、以前から負担となっていた減量を少し軽くできるという意味もありました。

本人はスーパーミドル級のランキングを見て、タイトルを狙うチャンスがある階級だと考えたことも階級変更の理由として挙げています。

つまり、単純に体重が増えたから階級を変えたわけではありません。

減量面を見直しながら、自分が日本王者を狙える場所へ戦略的に主戦場を移したことが、その後の結果につながりました。

約1年2か月ぶりの再起戦がいきなり日本タイトルマッチになった

国本陸戦から約1年2か月。

京原さんの再起戦として決まったのが、2026年6月22日の草村龍弥選手との日本スーパーミドル級王座決定戦でした。

長いブランクを経ての復帰戦であり、しかも階級を上げて最初の試合。それが日本タイトルマッチという大舞台でした。

対戦相手の草村選手は190cmの長身を生かして戦うサウスポー。

一方、京原さんは183cmのオーソドックスで、プレッシャーをかけながら距離を詰めて手数を出すタイプです。

階級を上げれば減量面では多少余裕が出る反面、相手も大きくなり、パンチの強さも増します。

その環境でどこまで自分のボクシングが通用するのか。

京原さんにとって草村戦は、日本王座だけでなく、階級変更という決断そのものが正しかったのかを試す一戦でもありました。

草村龍弥を6回KOして逆転で日本王座を獲得

タイトルマッチは京原さんにとって簡単な展開ではありませんでした。

5回終了時点では草村選手がリード。

しかし6回、京原さんの右フックが決まります。草村選手はダウンし、カウントアウト。6回2分8秒、京原さんのKO勝利となりました。

序盤から圧倒した勝利ではなく、採点で追う展開からひっくり返した逆転KOでした。

国本陸戦で2回KO負けを経験してから約1年2か月。

階級を上げ、復帰戦で日本タイトルに挑み、その試合をKOで制したことになります。

王座獲得後の戦績は16戦10勝5KO、3敗3分。

プロデビューから約10年をかけて、初めて日本チャンピオンベルトを手にしました。

保育の仕事を続けながらプロボクシングにも取り組む日々

京原さんの生活で特徴的なのは、日本王者になった後も「保育教諭」と「プロボクサー」のどちらか一方を選んでいないことです。

園では子どもたちと過ごし、仕事が終わればトレーニングへ向かうという生活を続けています。

プロボクサーは試合だけが仕事ではありません。

日常的なロードワークやジムワーク、スパーリング、筋力トレーニングに加え、試合が決まれば体重を合わせるための食事管理や減量も必要になります。

その一方で、保育教諭には子どもの安全を守りながら成長を支える責任があります。

京原さんが2つの活動を続ける理由には、ボクシングで結果を残すことだけでなく、挑戦している自分自身の姿を子どもたちに見せたいという思いがあります。

日本チャンピオンになったことは、その言葉をより強く子どもたちへ伝えられる出来事になったといえます。

京原和輝の現在につながる戦績とボクシング歴

京原さんは2016年10月2日にプロデビューしました。

2018年に西部日本ミドル級新人王となり、西軍代表にも選ばれています。

その後は勝利だけではなく敗戦も経験しました。

初期には国本陸選手との6回戦で判定負け。帝尊康輝選手には判定勝ちを収めていますが、オーストラリア遠征では6回TKO負けも経験しています。

2024年11月には日本ミドル級最強挑戦者決定戦で友松藍選手に1回46秒TKO勝ち。

この勝利によって日本タイトルへの挑戦権をつかみ、2025年4月に国本選手へ挑戦しますが2回KO負け。

そこからスーパーミドル級へ上げ、2026年6月の草村戦でついに日本タイトルを獲得しました。

流れを整理すると、

日本タイトル挑戦権獲得 → 国本陸戦でKO負け → 階級変更 → 約1年2か月ぶりの再起戦 → 草村龍弥を逆転KO → 日本王者

という道のりです。

特に興味深いのは、大きな敗戦の直後に同じ階級で再挑戦するのではなく、自分の体やランキング状況を見直して階級を変更した点です。

敗戦後の選択が、その後のキャリアを大きく変えました。

日本王者として次に目指すのは佐賀での初防衛

日本タイトルを取ったことで、京原さんの目標は「日本王者になること」から「日本王者として勝ち続けること」へ変わりました。

次の大きな目標として挙がっているのが、地元・佐賀県での初防衛戦です。

所属する博多協栄ボクシングジムでは、2026年末をめどに佐賀県で初防衛戦を行う計画が示されています。対戦相手や正式な開催日が確定した段階で、より具体的な試合情報が出てくることになります。

京原さん自身も、まず初防衛を果たし、その先には国際大会への挑戦を目標として掲げています。

佐賀県多久市で生まれ、現在も佐賀県内で保育の仕事を続けている京原さんにとって、地元でチャンピオンベルトを懸けて戦う試合が実現すれば大きな節目になります。

国本陸戦でのKO負けを経験した時点では、まだ手が届かなかった日本王座。

それから階級を変え、約1年2か月後にはチャンピオンになりました。

今度は「保育教諭として働く挑戦者」から「子どもたちの前にベルトを持ち帰った日本王者」へ。初防衛戦は、京原和輝さんの次の物語を決める重要な一戦になりそうです。

参考リンク

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