「伯爵」と呼ばれる足立直哉、古民家と仕事が変えた人生
片眼鏡に三つ揃えのスーツという独特のスタイルで「伯爵」と呼ばれる足立直哉さん。歌人としては**北夙川不可止(きたしゅくがわ・ふかし)**の名で活動しています。『ザ・ノンフィクション(特別編 話題作「その後」の物語)(2026年8月30日)』では、400坪の古民家に始まり、31年ぶりの就職、退職、勤務先の倒産を経た61歳の現在が描かれます。人生を大きく動かした「水輪書屋」と、その後の活動を追います。
この記事でわかること
- 「伯爵」足立直哉と北夙川不可止の関係
- 400坪の古民家「水輪書屋」を手に入れた理由
- 31年ぶりの仕事探しから勤務先倒産までの経緯
- 61歳になった現在の文化活動と新たな挑戦
足立直哉は「伯爵」と呼ばれる歌人・北夙川不可止
(出典:水輪書屋「北夙川不可止プロフィール」)
足立直哉さんは、「北夙川不可止」の名で活動する歌人・コラムニストです。1964年に兵庫県西宮市で生まれ、市立西宮高等学校を卒業後、同志社大学を中退しています。
片眼鏡と懐中時計、きっちりとしたスーツ姿が大きな特徴で、「伯爵」という呼び名は最近テレビ出演のためにつけられたものではありません。高校時代から呼ばれるようになり、その後の服装や振る舞いも「伯爵」らしいスタイルへと形作られていきました。
30代から歌人として活動し、第一歌集『ぬばたま』を刊行。さらに近代建築や歴史的景観の保存にも長く関わってきました。
若い頃には神戸・旧外国人居留地の歴史的建築保存運動に参加し、近年も建築や都市文化について執筆しています。単に変わった格好をしている人物ではなく、文学・建築・歴史的景観を軸に長く文化活動を続けてきた人というのが本来の姿です。
そして、この文化へのこだわりが後に400坪もの古民家を手に入れる決断につながりました。
400坪の古民家購入で人生が大きく変わった
(出典:水輪書屋公式サイト)
人生の大きな転機となったのが、奈良市南郊の窪之庄町にある古民家との出会いです。
現在「水輪書屋(すいりんしょおく)」と呼ばれている建物で、敷地は約400坪。建物自体も築250年余とされる大規模な古民家です。
もともとは大地主の屋敷だったとされ、大和棟の母屋や長屋門などを持つ歴史ある建物でした。しかし長期間空き家となっていました。
北夙川不可止さんは2021年にこの古民家を取得し、自宅だけではなく、アートや文学、音楽などを発信する自前の文化拠点にしようと考えました。
若い頃から文化イベントを企画し、歴史的建築の保存にも関わってきた人にとって、自分の建物で文化活動を行うことは長年の夢でもありました。
ただし、築250年を超える建物を使える状態へ戻すのは簡単ではありませんでした。
この古民家を手にしたことが、それまで不動産収入などを中心に生活してきた足立さんを、再び「働く」という世界へ向かわせることになります。
改修費2000万円超で31年ぶりに仕事を始めた経緯
築250年を超える古民家では、生活できる状態にするだけでも大規模な工事が必要でした。
水輪書屋では2022年11月から本格的な改修が始まり、2024年春ごろにはようやく居住できる状態になります。
母屋の壁を漆喰に戻したほか、昭和期に変更されていた居住スペースを改修。応接間にはアール・デコを意識した空間を設けるなど、単に新しくするのではなく、古い屋敷の雰囲気を生かした再生が進められました。
しかし問題になったのが費用です。
資材価格の上昇や職人不足なども重なり、2026年の特別編では改修費が2000万円を超えたことが紹介されています。
さらに父親の今後なども考える必要があり、老後資金を取り崩し続ける生活への不安が現実味を帯びてきました。
そこで58歳だった足立さんが始めたのが、31年ぶりのアルバイト探しでした。
文化人として長く活動しながらも、一般企業で働く生活から長く離れていた人が、50代後半になって履歴書を書き、求人へ応募することになったのです。
古民家という長年の夢を実現したことが、逆に「もう1度働く」という大きな生活の変化を生んだところが、足立さんの人生の興味深い転換点です。
配送ドライバーを1カ月で辞めた後の再出発
31年ぶりの仕事探しでは、配送関係の求人に挑戦しました。
なかなか仕事が決まらない時期を経て、知人につながりのある配送会社で働くことになります。
ところが長期間会社勤めから離れていた足立さんにとって、配送の現場は想像以上に厳しいものでした。
時間を意識しながら荷物を扱い、決められた手順で効率よく作業する必要があります。文化活動を中心にしてきたこれまでの生活とは、仕事のリズムが大きく異なりました。
慣れない現場でミスを重ね、結果として約1カ月で配送会社を退職します。
31年ぶりにようやく得た仕事だっただけに、この退職だけを見ると大きな挫折にも見えます。
しかし、ここで再び働くことそのものをやめたわけではありませんでした。
配送ドライバーを辞めた後、足立さんは別の仕事へ移り、再び収入を得る生活を始めます。
50代後半から新しい仕事を覚える難しさを経験しながらも、「働いて収入を得る生活」そのものは続いていきました。
安定収入を得た勤務先が突然倒産
配送会社を退職した後、足立さんは別の仕事に就き、ようやく安定した収入を得られる状態になりました。
31年ぶりの就職活動から配送会社での挫折を経ただけに、新しい仕事で生活が落ち着いたことは大きな変化でした。
ところが、再び予想外の出来事が起こります。
勤務していた会社が突然倒産し、再び仕事を失うことになったのです。
自分の判断で配送会社を辞めた時とは違い、今度は勤務先そのものがなくなりました。
400坪の古民家を維持しながら生活していく以上、収入の問題も消えません。
古民家購入から始まった一連の出来事を見ると、
夢の古民家を取得
→改修費が2000万円超
→31年ぶりに仕事探し
→配送会社へ就職
→1カ月で退職
→別の仕事で安定
→会社が倒産
と、数年間で生活環境が何度も変化しています。
それでも文化活動そのものを手放さなかったところが、足立さんの現在につながっています。
奈良の水輪書屋を文化拠点にした理由
水輪書屋は単なる「400坪の豪邸」ではありません。
足立さんが目指してきたのは、**自宅を文化活動の場として開く「住み開き」**です。
2024年からは、コンサートをはじめ、
- 展覧会
- 歌会
- 句会
- 茶会
- 音楽イベント
などを開催する場所として動き始めました。
さらに奈良市の「まちかど博物館」に参加する「おびとけの里博物館」の1つとして、不定期で公開されています。
「水輪書屋」という名前にも、この土地の歴史が関係しています。
屋敷はかつて「車屋」という屋号で、敷地には水車小屋があり、製粉業も営んでいたと伝えられています。裏門付近を流れる小川も「車川」と呼ばれています。
そこから「水車=水の輪」という発想で水輪書屋と名付けました。
「書屋」は文人や蔵書家が自宅などにつける雅号として使われてきた言葉です。歌人であり、歴史的な建築を愛してきた北夙川不可止さんらしい名称といえます。
維持や改修に多額のお金が必要な建物でありながら残そうとした理由も、ここにあります。
自分が暮らすだけではなく、古い建築そのものを残し、その中で音楽や文学を次の世代へつないでいく場所にすることが、水輪書屋の目的なのです。
61歳で始まった新たな挑戦と現在
(出典:エディション・エフ「ねこのあたま」)
61歳になった足立さんは、仕事を失った後も歌人・北夙川不可止として活動を続けています。
2026年4月には、第一歌集『ぬばたま』に続く**第二歌集『ねこのあたま』**が刊行されました。
168ページの歌集で、亡くなった母を詠んだ作品や、若い時期に詠んだ歌、短歌を始めた頃の作品などが収められています。
さらに水輪書屋でのイベントだけでなく、「東の伯爵」と呼ばれる藤森朗さんらヴィンテージファッション仲間との活動も続けています。
2026年には横浜で「東西伯爵新年祝賀晩餐会」を開催するなど、片眼鏡とスーツという自分のスタイルも変えていません。
仕事では思い通りにならない出来事が続きました。
それでも、古民家を手放して元の生活へ戻るのではなく、水輪書屋で文化活動を続け、本を出版し、人とのつながりを新たな活動へ広げています。
31年ぶりの就職という大きな変化も、1カ月での退職も、再就職先の倒産も、足立さんの人生ではそこで終わりになっていません。
「止まるべからず」――61歳からも新しいことを続ける。
400坪の古民家を買ったことで始まった予想外の苦労は、結果として、それまでとは違う人生を歩き始めるきっかけにもなりました。
「伯爵」という強烈な見た目だけでなく、古いものを残しながら自分自身は変化し続けているところに、足立直哉さんの物語の面白さがあります。


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