銀行員から老舗4代目へ、行平史門が挑むウクライナ復興
福岡県田川市で100年以上続く漆喰メーカーを継ぎ、いまは日本の伝統技術をウクライナ復興へ生かそうとしているのが田川産業4代目社長・行平史門さんです。『ザ・ライフ(ウクライナ“戦時復興”〜福岡 ある企業の挑戦〜)(2026年8月19日)』では、戦災がれきを建材へ再生する企業の挑戦が描かれます。行平さんは早稲田大学卒業後に銀行員となり、退職後は夫婦で世界一周。その後に家業へ入りました。異色の経歴と、100年企業を次の時代へつなぐ現在をたどります。
この記事でわかること
- 行平史門さんが田川産業4代目社長になるまでの経歴
- 銀行退職後に夫婦で世界一周し、家業へ入った歩み
- 焼かずにつくる漆喰セラミック「LIMIX」の特徴
- 戦災がれきを生かすウクライナ復興プロジェクトの現在
行平史門は創業100年の田川産業を継いだ4代目社長
行平史門(ゆきひら しもん)さんは、福岡県田川市に本社を置く田川産業株式会社の代表取締役社長です。
田川産業の創業は1924年。行平さんの曽祖父にあたる行平七郎さんが田川市弓削田で事業を始めました。
当初は軽質炭酸カルシウムなどを扱っていましたが、その後は日本の伝統的な壁材である漆喰を中心とするメーカーへ発展。1964年には、現場で材料を調合する手間を減らした既調合漆喰「城かべ」を開発しています。
行平さんは1986年、田川市生まれ。
現在の社長という肩書だけを見ると、幼いころから一直線に家業を継ぐ人生だったようにも見えます。しかし実際には、大学進学、海外経験、銀行勤務、世界一周旅行を経て田川へ戻っています。
2024年、田川産業が創業100周年を迎えた節目に4代目社長へ就任しました。
100年続いてきた技術を守るだけではなく、新しい素材、海外展開、社会課題の解決へ事業を広げていることが、行平さんの経営者としての大きな特徴です。
行平史門は早稲田大学卒業後に銀行員として働いていた
行平さんは高校卒業後、早稲田大学商学部へ進学しました。
大学在学中には約半年間のアメリカ留学も経験しています。さらに幼少期には父親の仕事の関係で、5歳ごろまでシンガポールで暮らしていました。後に海外へ事業を広げていく行平さんですが、若いころから国外に触れる機会があったことがわかります。
大学を卒業した2010年には、家業へすぐ入らず西日本シティ銀行へ就職しました。
銀行では個人営業と法人営業を経験しています。
老舗企業の後継者というと、大学卒業後すぐ親の会社へ入るケースも考えられますが、行平さんはいったん金融機関という別の世界で働きました。
企業の資金や経営と接する法人営業の経験を持ってから家業へ入ったという経歴は、現在の田川産業が新規事業や海外プロジェクトへ積極的に踏み出している歩みを見るうえでも興味深い部分です。
そして2015年、約5年間勤めた銀行を退職します。
ここから、行平さんの人生は大きく動き始めました。
行平史門が銀行を辞めて夫婦で世界一周した人生の転機
行平さんは2015年に西日本シティ銀行を退職したあと、すぐ田川産業へ入社したわけではありません。
その間に行ったのが、夫婦での世界一周旅行でした。
銀行員という安定した職を離れ、国外を巡り、その後に100年近く続く家業へ入る。
経歴だけを見ても、この時期が行平さんにとって大きな人生の切り替わりだったことがわかります。
海外との接点は世界一周だけではありません。
幼少期のシンガポール生活、大学時代のアメリカ留学なども経験しています。その後、田川産業では海外市場への展開を進め、さらにウクライナの復興プロジェクトにまで活動範囲を広げることになります。
ただ、行平さんの原点は海外だけにあったわけではありません。
家業の漆喰づくりとも若いころから接点があり、高校時代には田川産業でアルバイトとして仕事に携わっていました。
外の世界を経験してから、故郷・田川の会社へ戻る。
この両方を持っていることが、行平さんの経歴を特徴的なものにしています。
行平史門が家業の田川産業へ戻った経緯
世界一周旅行から帰国した行平さんは、2016年に田川産業へ入社しました。
曾祖父が創業した会社に4代目として加わったことになります。
当時の田川産業には、100年近く受け継がれてきた伝統がある一方、漆喰を取り巻く環境の変化という課題もありました。
住宅の建て方が変わり、左官職人も減少する中で、従来の漆喰だけに依存するのではなく、新しい使い方や商品を生み出す必要がありました。
行平さんは営業や新商品開発に携わり、一般の人でも施工しやすいDIY向け商品など、漆喰に触れる人を増やす取り組みも進めてきました。
田川産業には、昔ながらの技術をそのまま残すだけではなく、時代に合わせて姿を変えてきた歴史があります。
その代表例が「城かべ」であり、さらに後に生まれたのが、焼かずにつくる漆喰セラミック**「LIMIX(ライミックス)」**でした。
行平さんも、こうした「伝統を残すために新しいことへ挑戦する」という考え方を4代目として引き継いでいます。
行平史門が100周年の年に4代目社長へ就任
田川産業は2024年に創業100周年を迎えました。
その大きな節目で、行平さんが4代目代表取締役社長に就任しました。
創業者は曾祖父・行平七郎さん。
100年という時間を考えると、4代目が背負うものは決して小さくありません。
しかし行平さんが掲げているのは、伝統だけにとどまる会社ではありません。
社長就任後は海外展開の強化や新たな産業分野への進出などにも取り組んでいます。福岡県も、既存の経営資源を生かしながら新事業へ挑戦する「アトツギ」の経営者として行平さんを紹介しています。
行平さん自身が語っている将来像も印象的です。
目指しているのは、100年後にも地元に会社が残り、人々の健康や環境を守る事業を続けること。そのために「少し背伸びをしなければ届かない挑戦」を続け、社員も新しいことへ挑戦できる会社にしていく考えを示しています。
その考えを象徴する取り組みの1つが、福岡県田川市から遠く離れたウクライナで動き始めています。
田川産業が戦災がれきをタイルへ変えるLIMIX
ウクライナ復興プロジェクトの核になっているのが、田川産業の**LIMIX(ライミックス)**です。
LIMIXは、漆喰が硬化する仕組みを応用して作られた漆喰セラミック。
一般的なセラミックのように高温で焼いて固めるのではなく、特殊な真空高圧成形を利用して形を作り、漆喰が二酸化炭素を吸収しながら硬くなる性質を利用します。
田川産業では1996年に漆喰タイルの研究を始め、2002年にLIMIXとして完成。2003年から製造販売を始めました。
つまり、ウクライナ復興のために突然生まれた技術ではありません。20年以上にわたって改良・活用してきた技術を、戦災がれきという新たな課題へ応用しているのです。
LIMIXには、フライアッシュやガラス、がれきなどを骨材として混ぜ込める特徴があります。
これまで廃棄物として処分されていた材料に新しい用途を与え、建材へ変える「アップサイクル」と相性が良い技術です。
ウクライナで進めている計画では、戦争によって発生したがれきを利用し、低炭素型の内装用タイルへ再生することを目指しています。
単なる廃棄物処理ではなく、壊された建物の材料を、新しい建物をつくる資源として再び使おうとしている点が大きな特徴です。
行平史門がウクライナで進める戦時復興への挑戦
行平さんが戦災がれきの再利用に強く関心を持つ背景には、東日本大震災での経験があります。
被災地でボランティア活動をした際、現地の人から、がれきと呼ばれている物も震災前までは大切な家や財産だったという話を聞きました。
そこで行平さんは、単に廃棄するのではなく、人々の暮らしの痕跡を資源として生まれ変わらせることも復興の形になると考えるようになりました。
その考えとLIMIXの技術が結びついたのが、ウクライナでのプロジェクトです。
2024年にはウクライナ復興支援に関する国際的な協力の枠組みに入り、田川産業は海外企業とも連携して事業化への検討を進めました。
さらに2026年には、**国連工業開発機関(UNIDO)と国連開発計画(UNDP)**との連携が進み、戦争で発生したがれきを利用した内装用タイルについて、技術面、環境面、事業面から実現可能性を調べる取り組みが始まっています。
ここには、中小企業だからこその難しさもあります。
戦時下の海外で工場や供給網を築き、現地企業と協力しながら事業として成り立たせるには、技術だけでは足りません。
安全、資金、物流、原材料、現地企業との連携など、多くの条件を乗り越える必要があります。
それでも行平さんが進もうとしているのは、ウクライナで大量に発生したがれきを「処分しなければならないもの」から「復興に使える資源」へ変える可能性があるからです。
しかも建材が現地で製造されるようになれば、復興だけではなく新たな産業や雇用につながる可能性もあります。UNDPとUNIDOも、将来的に欧州市場へ向けたウクライナ発の輸出産業へ発展する可能性を示しています。
100年続く漆喰技術を次の100年へつなぐ行平史門の現在
行平さんの歩みを振り返ると、「老舗企業を継いだ4代目」という言葉だけでは収まりません。
早稲田大学を卒業して銀行員となり、退職後は夫婦で世界一周。
帰国して家業に入り、2024年に創業100周年を迎えた会社の社長になりました。
そして現在取り組んでいるのは、曾祖父の時代には想像もできなかったであろう、福岡の漆喰技術をウクライナの戦後復興へつなげる事業です。
一方で、LIMIXそのものは行平さんがゼロから発明したものではありません。
この技術を生み出したのは父・行平信義さんの世代です。
父の世代が漆喰を「塗る壁材」から「焼かないセラミック」へ広げ、4代目の史門さんがその技術を、廃棄物問題やウクライナ復興といった新しい社会課題へつなげています。
ここに、田川産業の事業承継のおもしろさがあります。
100年前と同じ製品だけを作り続けるのではなく、100年前から続く技術を使って、その時代に生まれた問題を解決する。
それが、行平さんの考える老舗企業の残し方なのでしょう。
2026年には田川産業が中小企業庁の「はばたく中小企業・小規模事業者300社」の海外展開部門にも選ばれ、LIMIXやウクライナ復興などの取り組みが評価されています。
銀行員から世界一周、そして田川へ。
行平さんが4代目として受け継いだのは会社の名前だけではなく、漆喰という昔ながらの素材を、新しい価値へ変えていく姿勢なのだとわかります。
戦争によって壊された建物が、新しい街をつくるタイルへ生まれ変わる。
その構想が実際の産業として根づくかどうかは、田川産業にとって次の100年を左右する大きな挑戦の1つになっています。
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