塩野太一が継いだ塩野香料は1808年創業の老舗香料メーカー
2026年9月23日(水)放送の『よ〜いドン!』では、「218年続く香料会社」「嗅覚で守る7代目社長」が取り上げられます。その会社が大阪に本社を置く塩野香料株式会社で、7代目にあたる代表取締役社長が塩野太一さんです。番組表でも「江戸時代から続く香料会社」と紹介されています。
塩野太一さんは1983年生まれ。大学院を修了した後、いきなり家業には入らず、ヤマハ発動機でオートバイの商品企画を経験しました。30歳を機に塩野香料へ入り、2023年に代表取締役社長へ就任。200年以上続く会社を受け継ぎながら、新会社「キチベエ」を立ち上げるなど、香りの新しい使い方にも挑んでいます。
この記事でわかること
- 創業218年の塩野香料と7代目・塩野太一さん
- ヤマハ発動機でオートバイの商品企画をしていた経歴
- 30歳で家業へ入り2023年に社長になるまでの歩み
- 新事業「キチベエ」を立ち上げた背景
創業218年の香料会社は塩野香料

『よ〜いドン!』で紹介される創業218年の香料会社は、塩野香料株式会社です。
会社公式情報によると、創業は文化5年にあたる1808年。2026年で創業から218年を迎えます。現在の代表取締役社長は塩野太一さんで、香料の製造・販売・輸出入を中心に、化成品や食品原料、医薬品関連など幅広い事業を手掛けています。
現在は大阪と東京に本社を構え、2026年3月末時点の社員数は223人。食品や飲料だけでなく、化粧品、日用品、空間演出など、私たちの身近なところで使われる香りを開発しています。
218年間ずっと同じ事業を続けてきたわけではありません。
塩野香料の原点は「香料会社」ではなく、江戸時代の大阪・道修町で始まった薬種商でした。時代に合わせて事業を変えながら現在の香料メーカーへ発展した会社です。
7代目社長・塩野太一は1983年生まれ
塩野太一さんは1983年10月生まれ、兵庫県神戸市出身です。
塩野香料の創業者から数えて7代目にあたり、2023年6月に代表取締役社長へ就任しました。2026年現在も同社の代表取締役社長を務めています。
経歴を簡単に整理すると、
- 1983年10月生まれ
- 兵庫県神戸市出身
- 大学院で美術史学の修士号を取得
- 大学院修了後、ヤマハ発動機へ入社
- オートバイの商品企画を担当
- 2014年4月、30歳で塩野香料へ入社
- マーケティング部長などを歴任
- 専務、副社長を経て2023年6月に代表取締役社長へ就任
という歩みです。
200年以上続く企業の跡継ぎというと、大学卒業後すぐ家業に入ったイメージを持ちやすいですが、塩野太一さんはまったく違う道を選びました。
その経験が後の新事業にもつながっていきます。
ヤマハ発動機でオートバイの商品企画を担当
塩野太一さんが大学院修了後に就職したのは、家業の塩野香料ではなくヤマハ発動機でした。
担当したのはオートバイの商品企画です。
大学院では美術史学を学び、その後はオートバイの商品企画。そして最終的には香料メーカーの経営者という、かなり珍しいキャリアを歩んでいます。
このヤマハ発動機での経験は、後に塩野太一さんが新しい香りの事業を立ち上げる際にも生かされました。
従来の香料会社は、顧客から「こういう香りを作ってほしい」という依頼を受け、その仕様に合わせて香料を開発するBtoB型の仕事が中心です。
一方、商品企画の経験を持つ塩野さんは、会社側から自由にアイデアを形にし、消費者へ価値を提案する発想を持ち込みました。後に生まれる「キチベエ」は、その考えを象徴する事業になっています。
30歳で家業の塩野香料へ入った転機
塩野太一さんが塩野香料へ入社したのは2014年4月。30歳のときでした。
外部企業で働いた経験を経て、ここで初めて218年続く家業へ入ります。
入社後は、マーケティング部長、営業本部副本部長、専務、副社長などを経験しました。
単に「創業家だから社長になった」という一本道ではなく、社内の営業やマーケティング、経営を経験しながら段階的に立場を変えていったことが分かります。
そして塩野香料に入って間もなく、塩野さんが強く感じたのが調香師たちが持つ能力をもっと表に出せないかということでした。
香料会社の調香師には高い発想力や技術がありながら、基本的には取引先から与えられた仕様に沿って香りを作るため、その個性を直接世の中へ発信する機会は多くありません。
塩野さんは、調香師が自由な発想で香りを作り、その成果を社会へ出せる場所を作ろうと考えました。
2023年に7代目社長へ就任するまでの歩み
塩野香料へ入社してから9年後の2023年6月、塩野太一さんは代表取締役社長へ就任しました。
創業者から数えて7代目になります。
現在の塩野香料が扱う「香り」は、食品のおいしさを引き出すものだけではありません。
香粧品、空間演出に加え、悪臭対策や野生動物の行動特性を利用した環境課題への応用などにも領域が広がっています。2026年には、野生イノシシ用の豚熱経口ワクチンを確実に食べさせるための誘引香料の共同開発にも参加しました。
つまり7代目となった塩野さんが受け継いだのは、単に「香水の香りを作る会社」ではありません。
食品のおいしさから社会課題まで、嗅覚を利用して新しい価値を作る企業へと事業領域が広がっています。
1808年創業の薬種商から続く塩野香料の歴史
塩野香料のルーツは、1808年に大阪・道修町で創業した薬種商「塩野屋兵衛商店」です。
当初は主に和漢薬を扱っていました。
その後、西洋文化が日本へ入り、時代が大きく変化します。
1908年には芳香原料に着目してジンジャーエール香料の輸入販売を開始。第一次世界大戦によって海外から香料を輸入しにくくなると、自社製造へ踏み出しました。
そして1921年には日本初の国産レモンエッセンスを開発。オレンジやバナナなどへ種類を増やし、香料メーカーとして事業を成長させていきました。
その後も、
- 1957年:ガスクロマトグラフを導入
- 1962年:香料の安全性研究を開始
- 1965年:台湾に現地法人を設立
- 1969年:呈味香料開発へ進出
- 1996年:塩野フィネスを設立
- 2016年:キチベエを設立
- 2026年:ベトナムに合弁会社を設立
と、事業を広げてきました。
薬種商から香料商、そして研究開発型の香料メーカーへ。
218年間会社が続いてきた背景には、同じ商品を守り続けるのではなく、時代に合わせて扱うものそのものを変えてきた歴史があります。
香りの新事業「キチベエ」を立ち上げた理由
塩野太一さんの経歴で特に興味深いのが、塩野香料へ入社してわずか2年ほどで動き始めた新事業です。
2016年、塩野香料から株式会社キチベエが誕生しました。
キチベエは、単に企業向けの香料を製造する会社ではありません。
空間に合わせた香りの演出、香りを使った商品の企画、自社フレグランスブランドなど、「香りそのものを体験として届ける」ことを目的にした創香デザイン会社です。
立ち上げのきっかけは、塩野さんが家業へ入った後に感じた調香師の才能をもっと世の中へ出したいという思いでした。
しかし、新事業は最初から歓迎されたわけではありません。
200年以上続く本業がある中で、新しいことへ取り組めば既存事業がおろそかになるという反対もありました。そこで、いきなり会社にするのではなく、まずブランドとして成果を出し、その後に法人化する形で進めています。
ヤマハ発動機の商品企画で培った「自分たちから新しい価値を提案する」という経験が、ここで家業の香料技術と結びつきました。
現在、キチベエは塩野香料グループの創香デザイン事業を担い、商業施設やホテル、アート、イベントなどの空間に合わせた香りを手掛けています。
塩野太一が7代目として受け継いだもの
塩野太一さんの歩みを見ると、「218年続く老舗を守る」という言葉だけでは少し足りません。
塩野香料そのものが、薬種商から香料メーカーへ転換し、国産エッセンス、海外展開、医薬品分野、空間演出へと事業を変化させてきた会社だからです。
塩野さんも、ヤマハ発動機という外部企業で商品企画を経験してから30歳で家業へ入り、キチベエの立ち上げを経て7代目社長になりました。
現在、塩野香料が掲げているのは「香りの、その先へ」という考え方です。食品や化粧品だけでなく、環境問題や社会課題まで香りの可能性を広げています。
218年続いた会社をそのまま残すのではなく、次の時代にも必要とされる会社へ変えていくことが、7代目・塩野太一さんの現在の仕事につながっています。
まとめ
2026年9月23日の『よ〜いドン!』で紹介される「218年続く香料会社」は塩野香料株式会社、その7代目社長が塩野太一さんです。
塩野さんは1983年生まれ。大学院で美術史学を学んだ後、ヤマハ発動機へ入り、オートバイの商品企画を担当しました。
30歳だった2014年に家業の塩野香料へ入社し、マーケティングや営業、経営を経験。2016年には調香師の能力をより自由に発揮する新事業「キチベエ」を立ち上げ、2023年6月に7代目の代表取締役社長へ就任しています。
1808年に大阪・道修町の薬種商として始まった会社を受け継ぎながら、香りを空間演出や環境課題へ広げているところに、218年続く塩野香料の現在があります。
参考リンク
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