25年続く旅を日本へつなぐ岩崎圭一の人力世界一周
『午後LIVE ニュースーン(特集は自転車で世界めぐるマジシャン)(2026年8月20日)』で紹介される岩崎圭一さんは、自転車と手こぎボートを中心に人力で世界を巡りながら、マジックで旅を続けてきた冒険家です。2001年に群馬県を出発してから25年。世界的オーディション番組での成功、大西洋横断を経て、現在は日本への帰国につながる太平洋横断を目指しています。
この記事でわかること
- 岩崎圭一さんが人力世界一周を始めた理由
- 旅の途中でマジックが仕事になっていった経緯
- Britain’s Got Talentのゴールデンブザーが旅を変えた転機
- 太平洋横断を延期した理由と現在目指しているゴール
岩崎圭一は人力で世界一周を続けるマジシャン
岩崎圭一さんは、群馬県出身の冒険家・大道芸人です。
普通の世界一周旅行と大きく違うのは、できるだけ飛行機などに頼らず、自転車や徒歩、手こぎボートといった人力で地球を巡ることを目標にしている点です。
旅の始まりは2001年4月。28歳だった岩崎さんは、ポケットに160円だけを入れて群馬県前橋市を出発しました。
当時は父親が経営する会社を手伝っていましたが、日本を飛び出してすぐに海外へ向かったわけではありません。新宿で約2か月暮らした後、ヒッチハイクなどで47都道府県を巡り、2002年3月にフェリーで韓国へ渡りました。
ここで意外なのが、最初から自転車世界一周を計画していたわけではないことです。
韓国から中国へ渡った後、現地で知り合った人から受け取った3000円をきっかけに自転車を購入しました。
ゆっくり進む自転車では、目的地だけでなく、その途中に暮らす人たちと出会えます。
岩崎さんにとって自転車は単なる移動手段ではなく、世界の人の暮らしを見るための道具になっていきました。
岩崎圭一が世界一周へ出発した理由
岩崎さんを旅へ向かわせた根本にあったのは、世界の人たちがどのように暮らしているのかを自分の目で見たいという思いでした。
28歳になったとき、このまま働いているだけでは人生があっという間に終わってしまうと考え、お金を稼ぐことよりも自分がやりたいことを優先する道を選びました。
もう1つ大きかったのが、21歳のときのオーストラリア旅行です。
お金を持って海外へ行けば、不自由なく生活できます。一方でその経験から、自分がお金に強く依存していることにも気づいたと語っています。
さらに当時放送されていた猿岩石のユーラシア大陸ヒッチハイク企画を見て、少ないお金でも陸路で世界を移動できるのではないかと考えました。
興味深いのは、岩崎さんが「最初から25年間旅しよう」と決めていたわけではないことです。
当初の計画は約3年。
ところが世界を進むうちに立ち寄りたい場所や挑戦したいことが増え、ヨーロッパへ着いた時点ですでに出発から5~6年ほど経過していました。
「世界一周」が予定通り目的地を回る旅ではなく、出会った場所から次の挑戦が生まれる旅へ変わったことが、25年という長さにつながっています。
世界各地でマジックを披露するようになった経緯
今では「世界一周マジシャン」として知られる岩崎さんですが、マジックも最初から仕事だったわけではありません。
手品との出会いは中学生時代。
技術の授業を担当していた先生がよく手品を見せてくれたことから興味を持ち、趣味として覚えていました。
それが旅を続けるための力になったのはネパールです。
お金がなくなったことをきっかけに、町の路上でマジックを見せ、帽子を置いて投げ銭を受け取る大道芸を始めました。
町に着くとマジックを披露し、得たお金で生活して、また自転車で次の町へ進む。
こうして趣味だった手品が、旅を続けるための仕事へ変わりました。
さらにヨーロッパへ入ると、マジックそのものへの向き合い方も変化します。
イタリアの大道芸人たちが観客を楽しませる姿を見て、岩崎さんも「もっと人を楽しませたい」と考えるようになり、2013年ごろから本格的に芸を磨き始めました。
2015年にはローマの路上でパフォーマンスをしていたところ、テレビ番組関係者から声をかけられます。
翌2016年に「Italia’s Got Talent」へ出演し、セミファイナルへ進出。
生きるために始めた大道芸が、世界の舞台へ進む入口になったのです。
自転車と手こぎボートで人力移動を続ける旅
岩崎さんの旅が際立っているのは、自転車だけにこだわっているのではなく、「人力でつなぐ」ことそのものを重視している点です。
アジアを進んでネパールへ到着したときには、エベレストを見て登頂を決意しました。
しかも山の近くまで飛行機で移動するのではなく、海抜0m地点から自転車と徒歩だけで山頂を目指し、2005年に登頂しています。
下山後には自転車を回収し、インドで手に入れたボートに分解した自転車を積んでガンジス川を下りました。
その後はカスピ海でも手こぎボートを利用しています。
さらに大きな節目となったのが2023年の大西洋横断です。
ポルトガル側から南米スリナムまで、手こぎボートで106日、6265kmを進みました。本人のYouTubeプロフィールにも、この記録が掲載されています。
海の上では自転車のように町へ立ち寄ることもできません。
大西洋横断時には飲料水を作る装置が途中で故障し、予備の手動装置で水を作りながら航海を続けました。
自転車、徒歩、手こぎボート。
乗り物は変わっても、「自分の力で地球をつないでいく」という旅の軸は変わっていません。
Britain’s Got Talentで日本人初のゴールデンブザーを獲得
岩崎さんの人生を大きく動かしたのが、2022年のBritain’s Got Talent(BGT)でした。
リングを浮かせるマジックなどを披露すると、審査員だけでなく会場も大きく沸き、司会のAnt & Decがゴールデンブザーを押しました。
日本人として初めての獲得です。公式動画には当時のパフォーマンスが残されています。
ただし、この出演にはマジシャンとして有名になること以外にも目的がありました。
岩崎さんは、人力世界一周を完成させるために大西洋を手こぎボートで横断する計画を持っていました。
そのためには専用ボートを購入する資金が必要です。
BGTで優勝して賞金を得られれば、船を買えると考えて挑戦しました。
最終的に優勝には届きませんでしたが、ゴールデンブザーを獲得した動画を見た企業経営者から支援の申し出があり、大西洋横断用ボートを購入できました。
つまりゴールデンブザーは単なるマジックの受賞歴ではありません。
大道芸人としての成功が、人力世界一周を次の大陸へ進める力に変わった転機でもありました。
長期間に及ぶ世界一周を支える生活と旅費
25年も世界を旅すると聞くと、まず気になるのがお金です。
岩崎さんの旅では、高級ホテルを転々とするような旅行とはまったく異なる生活が続いてきました。
初期には野宿をしながら移動し、食べ物をもらうこともありました。ネパール以降は路上マジックによる投げ銭が大切な収入源になります。
大道芸で収入を得やすい町では長めに滞在し、次の移動資金を作るという生活です。
ヨーロッパではビザの滞在可能期間も考えながら国を移動しました。
一方、大西洋横断のように通常の大道芸収入だけでは難しい大規模な挑戦では、BGT出演後にスポンサーの支援も受けています。2026年の太平洋横断に向けては、手こぎボート購入のためのクラウドファンディングも行いました。
そのため「160円だけで25年間暮らしている」という意味ではありません。
160円は旅立ったときの所持金であり、その後は現地で大道芸をする、働く、支援を受ける、必要な資金を自分で集めるという方法を組み合わせながら旅をつないできました。
マジックが単なる特技ではなく、世界中で人と出会いながら生きていく手段になっているところが、岩崎さんの旅の大きな特徴です。
岩崎圭一が現在挑んでいる旅
2026年、岩崎さんの人力世界一周はいよいよ日本へつながる段階まで来ました。
大西洋横断後は南米を自転車で移動し、ブラジル、パラグアイ、チリ、ペルー、エクアドル、コロンビアなどを経て中米へ進み、メキシコからアメリカへ北上しました。2026年5月にはカリフォルニア州サンフランシスコ周辺へ到達しています。
その先に計画していたのが、手こぎボートによる太平洋横断と25年ぶりの日本帰国です。
日本へ戻ろうと決めた大きな理由の1つが両親でした。2026年5月のインタビューでは、高齢になった父母が元気なうちに会いたいという思いを語っています。
当初は2026年夏にカリフォルニアから出航し、ハワイを経由して日本を目指す計画でした。
しかし7月、天候予測や経験者の意見を検討した結果、安全を優先して太平洋横断を延期しました。本人のSNSでも延期を発表しています。
旅を断念したわけではありません。
ボートを保管した後、大道芸で再び資金を整え、2027年4~5月ごろにモントレーから再挑戦する方針です。
2001年に160円を持って群馬を出た青年が、自転車でユーラシアを進み、エベレストへ登り、マジックで世界の舞台に立ち、手こぎボートで大西洋を越えました。
そして最後に残された大きな海が太平洋です。
25年続いた旅は「長い旅行」というより、出会いや偶然を次の挑戦へ変え続けてきた人生そのものに近いものがあります。
太平洋を越えて日本へたどり着いたとき、岩崎さんが長く掲げてきた人力世界一周は、最大の節目を迎えることになります。


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