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松岡俊介さんが伊豆の山暮らしを選んだ理由|元カリスマモデルの2度の震災と現在【The秘境生活】

移住

元カリスマモデルが選んだ伊豆の山暮らし

華やかな芸能界や東京のファッションシーンから離れ、伊豆の山奥で家族と暮らすようになった松岡俊介さん。『The秘境生活(何もなくてもそれが幸せ)(2026年8月22日)』をきっかけに気になるのは、なぜ便利な都会を離れ、不便さの多い生活を選んだのかという点です。古民家を購入した経緯、2度の震災、妻と4人の娘との暮らし、横浜で働く現在までをたどると、単なる「芸能界からの田舎移住」ではない人生の変化が見えてきます。

この記事でわかること

  • 松岡俊介さんが山暮らしを始めた経緯
  • 2度の震災が人生に与えた影響
  • 湧水や薪を使う伊豆の家での生活
  • 4人の娘を支える仕事と現在の活動

松岡俊介さんは元カリスマモデルから伊豆の山暮らしへ転身

元カリスマモデル・松岡俊介の今。伊豆半島の山奥で不便な生活に挑んで13年、なぜ単身赴任?

元カリスマモデル・松岡俊介の今。伊豆半島の山奥で不便な生活に挑んで13年、なぜ単身赴任?

松岡俊介さんは、1990年代にモデルや俳優として活躍し、その後ファッションデザイナーとしても活動してきた人物です。

18歳でモデルデビューし、ファッション誌やCMなどで活躍。俳優としてテレビドラマや映画にも出演しました。

30代になると活動の中心をファッションへ移し、村上淳さんとストリートブランドを立ち上げたほか、自身がデザイナーを務めるブランド「MASH(マッシュ)」を展開。東京・三宿にはセレクトショップ「DrILL(ドリル)」を構えていました。

モデルや俳優として表舞台に立つだけでなく、自分で服を作り、店を持ち、カルチャーを発信する側でもあったわけです。1990年代のファッションを知る人なら、現在のひげを伸ばした山暮らしの姿との違いに驚くかもしれません。

現在、家族の生活拠点になっているのは静岡県の伊豆半島・松崎町です。

妻と4人の娘を持つ6人家族で、標高約500mの山中にある古民家を生活の場としてきました。人里から徒歩で約1時間かかる場所にあり、一般的な「自然の多い郊外暮らし」と比べてもかなり山深い環境です。

松岡さんが選んだのは、都会の便利さを田舎へ持ち込む生活ではありません。

むしろ、あえて不便な環境へ身を置き、家族が自分の力で生活する力を身につけることを大切にしてきました。

ここまで知ると、「元芸能人の仙人生活」という見た目のインパクトだけでは、この暮らしを説明しきれないことが分かります。

東京の最先端を追う生活から「自分でできることを増やす」暮らしへ

松岡さんは、最初から自然の中で静かに暮らすことを望んでいたわけではありません。

20代はモデルやCM、ドラマなど華やかな世界で活動し、30代は服のデザイン、販売、展示会、フェスへの出店、海外での服作りなどに取り組んでいました。

当時は締め切りに追われる日々が続き、東京を中心に非常に忙しい生活を送っていたと振り返っています。

大きなきっかけの1つになったのが、各地のフェスへ出店する中で出会った人たちでした。

自分で火を起こし、食べ物を育て、手を動かして生活を作る人たちと接することで、それまで東京のファッション界を中心に見ていた松岡さんの価値観が変わっていきます。さらに結婚を機に、家族で暮らす家を伊豆方面で探すようになりました。

その後の山暮らしでも、「何でも買えばいい」という生活とは距離を置いています。

食事には畑で育てた野菜を取り入れ、暖を取るには薪を使う。テレビや家庭用ゲーム機を置かず、子どもたちにも自然の中で遊びや楽しみを見つけてもらう。

ただし、都会の文化や便利なものを否定しているわけでもありません。

子どもたちに山暮らしを無理に押しつけるのではなく、家族がおいしい、楽しいと感じられるから続けているという考え方です。

ここは松岡さんの暮らしを理解するうえで大事なところです。

「完全自給自足を達成する」という競争ではなく、自分たちでできることを増やし、不便さの中から楽しみを見つけることが生活の軸になっています。

2009年に山奥の古民家を購入し家族との暮らしを始めた

松岡さんが松崎町の家を購入したのは2009年です。

結婚を機に伊豆方面で物件を探し、山中にある古民家を購入しました。2020年に自宅が紹介された際には、25年ローンで購入した住宅であることも明かされています。

ただ、購入してすぐに現在のような生活へ完全移行したわけではありません。

松崎町の家と東京・三宿の店を行き来し、全国のフェスにも家族で出店する多拠点生活を続けていました。

都市と田舎のどちらかをすぐに捨てたのではなく、しばらくは両方の生活を続けていたところも興味深い部分です。

そして松岡さんが山暮らしで大切にしたのが、あえて便利すぎない環境で家族の「生きる力」を育てることでした。

例えば山の生活では、何かが壊れても業者がすぐに来られるとは限りません。

食べ物、暖房、家の修繕、天候への備えなど、都市部ならサービスに頼れることも自分で考えなければならない場面があります。

もちろん苦労もありますが、その不便さ自体を教育や生活経験の一部として受け入れてきました。

華やかなモデル時代から考えると正反対に見えますが、松岡さん自身にとっては「何もなくなった生活」ではなく、自分でできることが増えていく生活だったのでしょう。

2度の震災とアパレル事業の変化が移住を決定づけた

松崎町の家を本格的な生活拠点にするまでには、大きな転機が続きました。

1つ目が2011年の東日本大震災です。

震災を機に、東京・三宿にあったDrILLを静岡県浜松市へ移しました。

さらに2015年、服を生産していたネパールへ一家で移住します。

ところが数か月後、今度はネパール大地震に遭遇しました。

現地での服の生産が止まり、日本側でも卸先の閉店などが重なります。長年活動拠点にしていた店を失うなど、アパレル事業を続ける環境も大きく変わっていきました。

そこで松岡さんは、2009年に購入していた松崎町の家で本格的に暮らすことを決めました。

つまり伊豆移住を、

「芸能界を辞めて、突然山にこもった」

と理解すると少し違います。

結婚と家探し
→東京と伊豆の多拠点生活
→東日本大震災
→ネパール移住
→ネパール大地震
→アパレル事業の変化
→松崎町での生活へ

という長い流れがあります。

2度の大きな地震と仕事環境の変化を経験したことが、「どこで、何を大切にして暮らすのか」を決める大きな転機になりました。

人生は計画通りに進まないものですが、予定が崩れた結果として、以前購入していた山の家が家族の居場所になったという経緯は印象的です。

電気はあるがガスなし・湧水と薪で暮らす山の家

松岡さん一家の自宅は、標高約500mにある山中の古民家です。

生活インフラも都市部の家とはかなり違います。

電気は通っていますが、ガスはありません。

水道水ではなく湧水を使い、寒い時期には薪を割って薪ストーブで暖を取ります。

畑では野菜を育て、食卓にも取り入れてきました。

こう聞くと理想的な自然生活に見えますが、山で暮らす大変さもあります。

自宅は人里から徒歩約1時間。斜面に建っているうえ、日照時間が短く、湿気が非常に多い場所です。

霧が家の中まで入ってくることがあり、洗濯物が乾きにくく、革製品がカビてしまうほど。建物そのものも湿気によって傷みやすいといいます。

大雨になると道路へ大きな石が転がることもあり、救急車や消防車を呼ぶ際にも山道で迷う心配があります。自然の中で暮らすことには、景色や静けさだけでは語れないリスクがあります。

松岡さん自身も、山の物件を選ぶ場合は日当たりや季節ごとの環境をしっかり見ることが重要だと語っています。

田舎暮らしに憧れる人にとって、この経験はかなり参考になります。

家の価格や景色だけではなく、

  • 日当たり
  • 湿気
  • 道路状況
  • 水
  • 暖房
  • 災害時のアクセス

まで見る必要があります。

自然が豊かな場所ほど、暮らし始めてから気づく条件も多いのだと分かります。

4人の娘を支えるため横浜・白楽でも働く現在の生活

山暮らしは、お金をまったく使わずに成立しているわけではありません。

松岡さんには4人の娘がいます。

子どもたちが成長すると教育費や生活費も増えていきます。山での生活だけでは家族に必要な収入を確保することが難しくなり、松岡さんは横浜・白楽で働くようになりました。

2022年には、白楽の「カメヤ食堂」で店長を務め、松崎町に家族を残して単身赴任する生活が紹介されています。

自然の中で暮らしていると聞くと「自給自足だけで生活している」というイメージを持ちやすいですが、ここは現実的です。

家族を養うには現金収入も必要です。

それまで続けてきたアパレル事業はコロナ禍などの影響も受け、少量生産だけで利益を出し続ける難しさもありました。そんな中で、知人との縁から飲食店で働く道を選びました。

2026年にも、松岡さん本人のInstagramにはカメヤ食堂を活動拠点とする投稿があり、横浜・白楽とのつながりは続いています。

「山へ移住したから、都会とは完全に縁を切った」という生き方ではありません。

必要であれば都会へ出て働き、山へ戻る。

自然の暮らしを理想化しすぎず、家族を守るために仕事も変える柔軟さがあります。

むしろこの部分を知ると、松岡さんの山暮らしがぐっと現実的に見えてきます。

家族と松崎町に根ざして生きることを目指している

松岡さんが山暮らしを始めてから、生活の形は何度も変わってきました。

東京と伊豆を往復した時期があり、ネパールへ移住したこともありました。そして家族は松崎町で暮らしながら、自身は横浜で働く生活も経験しています。

2022年のインタビューでは、理想として家族と暮らしながら松崎町という土地にもっと深く関わって生きることを挙げていました。

田舎暮らしに力を入れたい一方で都会も好きだという自身の気持ちも認めつつ、山で暮らし始めて長い年月がたったからこそ、土地に根ざした生活へ進みたいという考えを語っています。

ここが松岡俊介さんの生き方の面白いところです。

都会を「悪いもの」、田舎を「正しいもの」として選んだわけではありません。

モデル、俳優、ファッションデザイナー、店の運営、山暮らし、飲食店での仕事と、その時々で必要なものを選び直しています。

そして山での暮らしも、何もしないための隠居生活ではありません。

薪を作り、畑を育て、家を維持し、子どもを育てながら、必要なら都会へ出て働く。

華やかな世界を知った人が最後に求めたのは、豪華なものを増やすことではなく、家族と一緒に、自分の手で暮らしを作れる環境でした。

元カリスマモデルという過去と現在の姿のギャップは大きいですが、これまでの転機をたどると、なぜ伊豆の山中での生活を選んだのかが自然につながってきます。

参考リンク

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