14人きょうだいの7番目から芸人へ、笛木七男を育てた大家族
14人きょうだいの中で育った経験を、そのまま笑いの武器にしているピン芸人・笛木七男(ふえき・なおと)さん。『24時間テレビ49(14人きょうだいが大集合!杉浦太陽が大家族の帰省に密着)(2026年8月30日)』では、愛媛県愛南町の実家に14人全員が数十年ぶりに集合します。総勢35人となった笛木家と、大家族での暮らしを芸へ変えた笛木さんの歩みを見ていきます。
この記事でわかること
- 笛木七男さんが14人きょうだいの7番目として育った環境
- 19歳で芸人を目指し大阪へ出るまでの経緯
- 大家族の経験から生まれた「大家族あるある」
- R-1グランプリ2026準々決勝進出と現在の目標
笛木七男は14人きょうだいの7番目として育った芸人
(出典:笛木七男 公式X)
笛木七男さんは、愛媛県出身で大阪を拠点に活動する吉本興業所属のピン芸人です。
「七男」と書いて読み方は「なおと」。2000年4月4日生まれで、NSC大阪44期出身です。吉本興業のプロフィールでは、身長163cm、趣味は読書やテニス観戦、K-1観戦などが紹介されています。
そして笛木さんを語るうえで欠かせないのが、14人きょうだいの7番目として育ったことです。
ただ「大家族出身」という珍しいプロフィールを持っているだけではありません。その暮らしの中で経験した出来事を、現在は「大家族あるある」としてお笑いのネタへ変えています。読売テレビも、14人きょうだいでの経験が笛木さんにとって「笑いの原点」になっていると紹介しています。
芸歴は5年目。まだ全国的に広く知られた芸人ではありませんが、2026年にはR-1グランプリで初めて準々決勝まで進みました。
14人の中の1人だった青年が、自分にしか話せない家族の日常を武器に舞台へ立っているところが、笛木さんの大きな特徴です。
愛媛県愛南町で育った大家族・笛木家
笛木さんの故郷は、愛媛県南部に位置する愛南町です。
愛南町自身も2026年4月の広報で笛木さんを取り上げ、「私とお笑い」と題して芸人を目指した経緯を紹介しています。
14人きょうだいが暮らす家庭ですから、日常そのものが一般的な家庭とはかなり違います。
食事1つをとっても必要な量が多く、家の中では常に誰かがいる。年齢の離れたきょうだいもいて、集団生活に近い環境の中で育ったことになります。
そんな家庭の中心にいたのが母・りう子さんです。
14人の子どもを育て上げ、子どもたちが大人になって家庭を持った後も、実家は家族が戻ってくる場所として残っています。読売テレビの取材では、母を慕って自然と家族が集まる様子が強く印象に残ったと杉浦太陽さんも語っています。
さらに、笛木さんが芸人になることを決めた時には、両親がその挑戦を後押ししていました。
大家族で生活するだけでも大変だったはずですが、その中で「芸人になりたい」という7番目の子どもの夢を受け止めたことが、その後の人生につながっていきます。
数十年ぶりに14人きょうだい全員が集まった帰省
2026年、笛木家に特別な機会が訪れました。
14人きょうだい全員が、数十年ぶりに愛南町の実家へ集まることになったのです。
大人になれば、それぞれ仕事があり、住んでいる場所も生活環境も変わります。
14人全員の予定を合わせるとなれば、一般的な兄弟姉妹以上に難しいでしょう。それだけに、全員集合には大きな意味があります。
笛木家では昔、毎年家族写真を撮影していました。
ところが母・りう子さんは撮影する側に回ることが多く、家族写真に本人が写っていないことも少なくありませんでした。
そこで今回、数十年ぶりとなる家族写真では、りう子さんを中心にして撮影することになりました。
子ども14人を育てた母を囲み、大人になったきょうだいたちが再び同じ場所へ立つ。
単なる「人数の多い家族写真」ではなく、笛木家が歩んできた時間そのものが1枚に収まる形になります。
子どもや孫まで合わせて総勢35人になった家族
14人きょうだいだけでも十分な大家族ですが、年月とともに笛木家はさらに大きくなりました。
きょうだいたちはそれぞれ結婚や出産を経験し、今回の帰省で実家に集まった人数は総勢35人です。
杉浦太陽さんが実家を訪れると、予想以上の人数に驚くほどの状態でした。
食事も当然、数人分を作る家庭料理とは規模が違います。
母・りう子さんと杉浦さんが用意したのは、大量のおにぎりや唐揚げ。35人が一緒に食事をする光景は、笛木さんが「大家族あるある」として話している世界をそのまま見せるようなものです。
一方で興味深いのは、人数が増えても家族がまとまっていることです。
14人の子どもたちはすでにそれぞれの人生を歩み、そこへ配偶者や子どもたちも加わりました。
つまり現在の笛木家は、14人きょうだいの大家族から、世代をまたぐ35人の一族へ広がったことになります。
笛木さんが舞台で話す「大家族」という言葉も、現在では子ども時代だけの思い出ではありません。
今も家族そのものが増え続けています。
大家族で育った経験を笑いに変えた芸人活動
笛木さんが本格的に芸人を目指そうと考えたのは19歳ごろでした。
大学受験に失敗して専門学校へ進み、自分の将来について悩んでいた時期に、憧れていた芸人が出演するテレビ番組を見ながら「まだ19歳なら挑戦できる」と考えたことが転機になりました。
すぐ大阪へ行ったわけではありません。
愛南町で約2年間アルバイトをして資金を貯め、21歳で吉本総合芸能学院・NSC大阪44期に入学しました。
そこからも順調だったわけではありません。
周囲には面白い同期が大勢いて、笑いを取る難しさに直面。コンビも3度結成しましたが、いずれも解散し、現在はピン芸人として活動しています。
そこで自分ならではの武器になったのが、14人きょうだいで育った経験でした。
笛木さんは大家族で育った出来事を1本のネタにまとめ、周囲の芸人や家族から反応を得たことで、自分の経験そのものが笑いになる手応えをつかみました。
現在の代表的なスタイルの1つが、フリップを使った**「大家族あるある」**です。
14人きょうだいという環境は後から作れる設定ではありません。
食事、兄弟関係、家の中で起きる出来事など、実際にそこで生活してきた笛木さんだから話せることがあります。
「大家族だった」という経歴が、そのまま芸人としての個性へ変わったのです。
R-1グランプリ2026準々決勝まで進んだ実績
ピン芸人として活動する笛木さんにとって、大きな結果となったのがR-1グランプリ2026でした。
2026年大会はエントリー数6171人という大規模な大会となり、笛木さんは準々決勝進出者に名前を連ねました。
本人にとっても、R-1で準々決勝まで進んだのは初めてでした。
決勝進出ではありませんが、芸歴5年目の若手芸人にとっては大きな前進です。
特に笛木さんの場合、ものまねや特殊なキャラクターだけで勝負しているわけではなく、自分自身が育ってきた環境を笑いへ変えるという明確な軸があります。
テレビで大家族の姿を知った人が、今度は舞台で「大家族あるある」を見れば、「あの家庭で本当に育ったからこのネタができるのか」と背景まで分かります。
家族の物語と芸人としての活動が分かれておらず、互いにつながっているところが面白いところです。
母・りう子を中心につながる笛木家の現在
数十年ぶりに14人きょうだいが集まった時、中心になったのはやはり母・りう子さんでした。
14人を育てた母のもとへ、大人になった子どもたち、さらに孫たちまで帰ってくる。
杉浦太陽さんも、子どもたちが母を慕っていることや、家族が自然に集まってくる姿に笛木家のつながりの強さを感じたと話しています。
そして7番目の笛木さんは、その家族を離れて大阪で夢を追っています。
現在は、よしもと漫才劇場の舞台を目指し、オーディションライブやネタ見せライブなどで経験を重ねています。
故郷への思いも変わっていません。
笛木さんが掲げている夢の1つは、愛南町で自分のネタを披露することです。
19歳で芸人を志し、地元で2年間お金を貯め、大阪へ出た青年。
コンビ結成と解散を繰り返しながらピン芸人となり、自分の原点だった大家族をネタに変え、R-1では準々決勝まで進みました。
その背後には、14人の子どもを育て、今も35人もの家族が戻ってくる場所を守る母の存在があります。
愛南町の大家族で生まれた笑いを、いつか愛南町の舞台へ持ち帰る。
それが実現すれば、笛木七男さんにとって「大家族あるある」は単なる持ちネタではなく、家族と故郷をつなぐ芸になっていきそうです。


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