鈴木麻実子は「カントリー・ロード」の日本語訳詞を書いた鈴木敏夫の長女
『24時間テレビ49(ジェシーが取材 テレビ初共演!鈴木敏夫親子が語る ジブリとわたしの家族の話)(2026年8月30日)』で、鈴木敏夫さんとテレビ初の親子共演をする鈴木麻実子さん。18歳で『耳をすませば』の「カントリー・ロード」の日本語訳詞を手がけ、その後も作詞やエッセイ執筆へ活動を広げてきました。父の仕事とは一定の距離を置いて育った娘が、現在は父とのオンラインコミュニティを運営している歩みも興味深いところです。
この記事でわかること
- 鈴木麻実子さんが現在取り組んでいる仕事
- 18歳で「カントリー・ロード」を書くことになった経緯
- 宮﨑駿さんが10代の鈴木麻実子さんに託した理由
- 作詞・エッセイ・オンラインコミュニティへ広がった活動
鈴木麻実子は作詞家・エッセイストとして活動する鈴木敏夫の長女

(出典:CHANTO WEB)
鈴木麻実子さんは1976年に東京で生まれた、スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫さんの長女です。
名前を広く知られるきっかけになったのが、1995年公開の映画『耳をすませば』でした。
主題歌「カントリー・ロード」でクレジットされているのは、
日本語訳詞:鈴木麻実子
補作:宮﨑駿
です。
これは作品の正式なクレジットにも記載されています。
ただし、その後すぐに専業の作詞家として活動したわけではありません。
高校卒業後には飲食店で接客の仕事を経験し、その後は美容サロンで働き、店舗のマネジメントにも携わりました。2024年の本人インタビューでは、美容サロンのマネージャー業を続けながら、依頼を受けて作詞などの仕事もしてきたと語っています。
さらに2023年には初のエッセイ集『鈴木家の箱』を刊行。
現在につながる鈴木麻実子さんの姿は、「ジブリのプロデューサーの娘」というだけではなく、
作詞、文章、美容サロンの仕事、オンラインコミュニティ運営
と複数の仕事を持つ人物として見ると分かりやすくなります。
18歳で「カントリー・ロード」の日本語訳詞を書いた経緯
鈴木麻実子さんが「カントリー・ロード」を書いたのは18歳のときです。
当時からプロの作詞家だったわけではありません。
中学生のころから詩を書くことが好きで、日記を書くような感覚でノートに詩を書きためていました。ただ、人に見せることには恥ずかしさがあり、ごく親しい友人以外にはほとんど見せていなかったと語っています。
そんな中、父の鈴木敏夫さんから突然「書いてみないか」と声をかけられました。
『耳をすませば』は中学生の月島雫が、自分の将来や才能と向き合っていく物語です。
そこで宮﨑駿さんは、年齢の離れた大人が無理に若者の気持ちを書くより、主人公と世代が近い10代の人間に書いてもらう方がいいと考えました。
面白いのは、鈴木麻実子さん自身が「18歳の少女の気持ち」をそのまま歌詞にしたわけではないことです。
本人が思い浮かべていたのは、23歳ほどの働いている男性。
誰かになったつもりで、その人物へ自分を投影しながら書くという方法を取っていました。
求められている青春像とは少し違うものを書いたため、本人は採用されないと思っていたほどでした。
ところが、その言葉が宮﨑駿さんの心をつかみます。
結果として、一度限りのつもりで書いた18歳の文章が、30年以上たっても歌い継がれる作品へとつながりました。
宮﨑駿の依頼から「カントリー・ロード」の歌詞が生まれた
「鈴木敏夫さんが娘だから仕事を与えた」と考えると、実際の経緯とは少し違います。
発端は宮﨑駿さんの提案でした。
もともと「カントリー・ロード」の日本語詞は宮﨑さん自身が書く予定でしたが、制作スケジュールが迫る中でなかなか仕上がりません。
そこで宮﨑さんが鈴木敏夫さんに、
主人公に近い世代である娘に書かせてみよう
という趣旨の提案をしました。
鈴木敏夫さんを通じて話を聞いた麻実子さんが、実際に詞を書くことになります。
完成した詞を読んだ宮﨑さんは高く評価しました。
映画の正式クレジットでは鈴木麻実子さんが「日本語訳詞」、宮﨑駿さんが「補作」となっており、麻実子さんが書いたものを基礎に宮﨑さんが手を加えて完成したことが分かります。
さらに後年、麻実子さんのエッセイ『鈴木家の箱』では、歌詞を読んだ宮﨑さんから自宅に電話がかかってきた出来事も振り返られています。
宮﨑さんにとっても、10代の少女から出てきた言葉は予想以上に印象的だったようです。
映画を見ていると、「カントリー・ロード」は主人公・雫自身が訳詞に取り組む重要な曲として登場します。
実際の制作現場でも、主人公に近い年齢だった鈴木麻実子さんが言葉を作っていたことを知ると、作品と現実が重なっているようで面白いエピソードです。
ジブリのそばで育った娘が選んだ仕事は意外にも別の道だった
父がスタジオジブリの鈴木敏夫さんなら、幼いころからジブリ作品が大好きで、そのまま映画業界へ進んだように思えます。
しかし実際はかなり違います。
鈴木麻実子さんにとって、幼いころの宮﨑駿さんは「有名な映画監督」というより、父の友人という感覚だったといいます。
夏に宮﨑さんの別荘へ行ったり、父の会社へ遊びに行ったりすることはあっても、映画制作の世界を特別なものとして見ていたわけではありません。
むしろ子どものころには、父がジブリで働いていることを友人からからかわれ、あえてジブリ作品を避けていた時期もありました。
家族で普通に食卓を囲む生活への憧れもあり、父の仕事と距離を置きたい気持ちさえあったと振り返っています。
高校卒業後に選んだのも映画会社ではありません。
飲食店での接客を経験した後、美容サロンの仕事へ進みました。
美容サロンでは店舗マネジメントにも携わりながら、作詞の依頼が来れば言葉を書く。
いわば生活の中心に別の仕事を持ちながら創作を続けるスタイルです。
父と同じ映画制作の道を選ばなかったからこそ、18歳のときに偶然始まった「書くこと」が、自分のペースで長く続いてきたともいえます。
作詞以外にも『二ノ国』やエッセイへ活動が広がった
「カントリー・ロード」があまりにも有名ですが、鈴木麻実子さんが手がけた言葉はこの1曲だけではありません。
ゲーム『二ノ国』のエンディングテーマ「心のかけら」では作詞を担当しています。
作曲は久石譲さん、歌は久石さんの娘・麻衣さん。
ゲーム公式サイトにも、
ボーカル:麻衣
作詞:鈴木麻実子
作曲:久石譲
と記載されています。
平原綾香さんが歌う「ふたたび」など、久石譲さんに関連した楽曲でも言葉の仕事を重ねてきました。本人も、久石さんから直接依頼を受けて作詞する機会があったと語っています。
そして、長く持ち続けていた「文章を書く仕事がしたい」という思いが、別の形でまとまったのが2023年刊行の『鈴木家の箱』です。
196ページの初エッセイ集で、価格は1,980円。
「カントリー・ロード」が生まれた日のことだけでなく、鈴木敏夫さんを父に持つ家庭で育った娘だから書ける家族の記憶がまとめられています。
18歳の1曲から始まった「書く仕事」が、楽曲から本へ広がった形です。
オンラインコミュニティ「鈴木Pファミリー」を運営する現在
現在の鈴木麻実子さんを知るうえで、もう1つ大きいのが「鈴木Pファミリー」です。
これは父・鈴木敏夫さんとファンが交流するオンラインコミュニティで、麻実子さんが立ち上げ、運営しています。
始めるきっかけになったのはコロナ禍でした。
身近な著名人が亡くなるニュースを見る中で、「もし父が突然いなくなったら」と考えるようになった麻実子さんは、父との思い出が意外に少ないことに気づきます。
そこで、鈴木敏夫さんをゲストとして招き、映画について語ったり、ファンと交流したりする場所を作りました。
この活動は、麻実子さん自身の父親を見る目も変えました。
家庭で見る父と、仕事をする鈴木敏夫さんはまったく違ったからです。
映画の感想会に向けて準備する姿や、参加者への気遣いを見ることで、それまで知らなかった仕事人としての父を知り、尊敬する気持ちが強くなったと話しています。
これは、鈴木親子の関係を知るうえでかなり興味深い変化です。
10代のころは父の仕事から距離を取り、映画とは別の道を選んだ娘。
その娘が大人になってオンラインコミュニティを作り、今度は鈴木敏夫というプロデューサーとファンをつなぐ側になりました。
麻実子さん自身も、父と仕事をすることで得るものが多く、今後は一緒に何か形として残るものを作りたいという思いを語っています。
「カントリー・ロード」を書いた18歳の娘と、ジブリ映画を支えてきた父。
一度は別々の道を歩いた2人が、年月を経て今度は一緒に仕事をする関係になっていることこそ、鈴木麻実子さんの現在を知るうえで大きなポイントです。


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