1枚の写真がつないだ父と息子
一度も会ったことのない父が、約80年前の集合写真の中にいた――。千葉市に暮らす依田信正さんは、鹿児島県の知覧特攻平和会館の企画展をきっかけに、父・依田今朝人さんの姿を偶然見つけました。『NHKニュースおはよう首都圏(戦後81年 写真で追う 会えなかった父の面影)(2026年8月13日)』でも、この父子の物語が取り上げられる予定です。父の死後に生まれた息子が、残された写真や手紙、遺品から父の人生をたどっていきます。
この記事でわかること
- 依田信正さんが写真の中に父を見つけた経緯
- 父・依田今朝人さんと飛行第105戦隊
- 家族に残された手紙と遺品
- 知覧特攻平和会館の写真が父子をつないだ理由
会えなかった父を写真で見つけた依田信正さん
依田信正さんは千葉市に暮らす男性です。
信正さんが探し求めていたのは、自分が生まれる前に亡くなった父、依田今朝人さんの生前の姿でした。
父と会った記憶がないのではありません。
信正さんが生まれたのは父が亡くなった後だったため、そもそも父と一度も会うことができませんでした。
そんな信正さんが父の姿を見つけるきっかけになったのが、鹿児島県南九州市にある知覧特攻平和会館の企画展でした。
企画展の告知に使われていた古い集合写真を見たところ、その中に父が写っていることに気づきます。
その写真は、1945年1月1日に台湾の台中飛行場で撮影された飛行第105戦隊の集合写真でした。知覧特攻平和会館の公式展示情報でも、この写真が企画展資料として紹介されています。
名前や文字だけで知っていた父が、突然「顔のある一人の人間」として現れる。
たしかにこれは、本人にとって非常に大きな出来事だったはずです。写真そのものは1枚でも、息子にとってはそれまで埋まらなかった父の人生の一部につながる手がかりになりました。
依田信正さんが父の姿を初めて知ったきっかけ
きっかけとなったのは、知覧特攻平和会館で行われていた企画展「台湾から出撃した陸軍沖縄特攻~第8飛行師団の沖縄戦~」です。
この企画展では、沖縄戦で台湾から出撃した陸軍の部隊について、当時残された遺品や資料を通して紹介しています。
展示資料の一つとして使われているのが、
「飛行第105戦隊(昭和20年1月1日撮影) 台中飛行場にて」
と説明された集合写真です。
信正さんは、この企画展を知らせる告知の写真を見て、そこに父・今朝人さんが写っていることを偶然知りました。
その後、生前の父について少しでも知りたいと考え、知覧特攻平和会館を訪れています。
ここで印象的なのは、家族が新しい写真を探し当てようとして専門機関を訪ね歩いた末に発見した、という流れではないことです。
企画展の告知という偶然の接点から父の姿が見つかったのです。
戦後80年以上が経過しても、博物館や資料館が古い写真や手紙を保存・公開することで、家族にとって新しい発見につながることがあります。
個人的には、この点がこの話の大切なところだと感じます。歴史資料というと「過去を勉強するためのもの」と考えがちですが、誰かにとっては今も続いている家族の記憶そのものなのだと分かります。
父・依田今朝人さんはどんな人物だったのか
父の依田今朝人さんは、戦時中、台湾で編成された飛行第105戦隊の隊員でした。
現在確認できる公開情報では、今朝人さん個人の詳しい生年月日や入隊までの経歴などは明らかにされていません。
そのため、職歴や階級、どのような性格だったのかといった部分を推測して書くことはできません。
一方で、息子の信正さんに残された手紙と写真から、今朝人さんが1945年1月当時、台湾にいたことは確認できます。
そして集合写真が撮影されてから約2週間後、米軍による機銃掃射で亡くなったことが伝えられています。
この「約2週間」という時間の短さを知ると、写真の意味も変わって見えてきます。
集合写真を撮影したとき、写っていた人たちがその後どのような運命をたどるのかは、写真だけからは分かりません。
しかし信正さんにとっては、父が生きていた最後の時期を知る非常に貴重な記録になりました。
台湾で編成された飛行第105戦隊
飛行第105戦隊は、台湾に置かれていた第8飛行師団に関係する部隊です。
知覧特攻平和会館の企画展では、沖縄戦当時、台湾にも陸軍の飛行場があり、台湾から沖縄方面へ向けて出撃した部隊が存在したことが紹介されています。
沖縄戦における陸軍の航空作戦というと、鹿児島県の知覧など九州南部の飛行場を思い浮かべる人も多いかもしれません。
しかし実際には、台湾からも沖縄方面への出撃が行われていました。
台湾には第8飛行師団の司令部が置かれ、所属する飛行戦隊などが沖縄を目指して出撃したことが企画展で紹介されています。台湾から沖縄までの距離はおよそ600kmです。
そして企画展で紹介されている105戦隊の集合写真は、1945年1月1日に台中飛行場で撮影されたものです。
この写真の中に今朝人さんがいました。
歴史全体だけを見ると、「第8飛行師団」「飛行第105戦隊」といった部隊名は記号のように感じるかもしれません。
しかし、その写真に写る一人ひとりに家族がいて、その中には父の顔を一度も見ることなく育った子どももいた。
信正さんの話を知ると、部隊の記録が家族の歴史にも直接つながっていたことがよく分かります。
父が家族へ残した最後の手紙
信正さんの手元には、父・今朝人さんが残した最後の手紙がありました。
この手紙には、後に知覧特攻平和会館の企画展を通して見つかった集合写真が撮影されたときのことも記されていたとされています。
つまり、
父が残した手紙
↓
1945年1月1日の集合写真
↓
知覧特攻平和会館で保存された資料
という、別々に残っていた記録が何十年もの時を経てつながったことになります。
公開されている情報だけでは、手紙の全文や詳しい文面までは確認できません。
そのため「父が具体的に何を書いたのか」について、確認できていない内容を補うことはできません。
ただ、写真が撮影された出来事そのものが手紙にも残されていたことで、信正さんは「写真に写った父」と「家族へ手紙を書いた父」を同じ時間軸の中で知ることができました。
個人的には、この一致がとても大きいように感じます。
古い集合写真だけなら、「本当にこのとき父はどうしていたのだろう」と分からない部分が残ります。
そこに本人が当時書いた手紙が重なることで、写真が単なる記録ではなく、父が確かに生きていた時間へつながっていきます。
父の死後に生まれた息子が守ってきた遺品
信正さんが生まれたのは、今朝人さんが亡くなった後でした。
そのため、信正さんには父との直接の思い出がありません。
それでも家族のもとには、今朝人さんが残した遺品があり、信正さんはそれらを大切に保管してきました。
現時点で確認できる公開情報では、保管されているすべての遺品の種類や数量までは示されていません。
ここは推測せず、確認できている範囲にとどめる必要があります。
ただ、父本人に会えなかった信正さんにとって、手紙や遺品は父を知る数少ない手がかりだったことは間違いありません。
私たちは家族について知りたいと思えば、本人に直接聞けることがあります。
しかし、その相手がすでに亡くなっている場合は、写真、手紙、遺品、第三者の記録を一つずつつなげていくしかありません。
信正さんが長く保管してきたものと、遠く離れた鹿児島の資料館に残されていた写真がつながったというところに、この出来事の重みがあります。
知覧特攻平和会館の写真と父子をつないだ経緯
知覧特攻平和会館は、鹿児島県南九州市知覧町にあります。
今回父子をつなぐきっかけとなった企画展は、「台湾から出撃した陸軍沖縄特攻~第8飛行師団の沖縄戦~」という内容で、2025年11月1日から2026年3月31日まで開催されました。
展示では、
- 第8飛行師団の沖縄戦
- 台湾から家族へ送られた便り
- 台湾に残る戦争遺跡
などが紹介されました。
その展示資料の一つが、信正さんの父が写っていた飛行第105戦隊の集合写真です。
興味深いのは、この企画展が終了した後も写真や展示情報が記録として残されていることです。
戦争を扱う資料館の役割は、出来事を後世へ伝えることだけではありません。
保存されてきた資料から、これまで家族さえ知らなかった事実が見つかる可能性もあります。
今回のように、古い写真に写る人物が家族によって確認されれば、資料そのものに新しい意味が加わることもあります。
実際にこうした施設を訪れる場合は、企画展の開催期間と常設展示は別である点に注意したいところです。今回の企画展は2026年3月31日で終了しているため、同じ展示内容を現在もそのまま見られるとは限りません。
依田信正さんが語った現在の思い
父・今朝人さんは、集合写真が撮影されてから約2週間後に亡くなりました。
そして息子の信正さんは、父の死後に生まれました。
信正さんは長い年月を経て初めて、写真の中にいる父の姿と向き合うことになりました。
父の人生が戦争によって断ち切られたことを思い、信正さんは父の無念に思いを寄せたと伝えられています。
そして今回父の足跡をたどる中で、父の分まで家族を大切にしていきたいという思いを新たにしました。
この話は、単に「昔の写真から父親を発見した」という珍しい出来事だけではないと思います。
信正さんが知りたかったのは、有名な軍人の経歴でも、大きな戦果でもありません。
自分の父はどんな人だったのか。どんな時間を生き、家族のことをどう思っていたのか。
ごく普通なら親子の間で知ることのできることを、信正さんは約80年を経て残された資料から少しずつ知ることになりました。
戦争から長い年月が経ち、当時を直接知る人が少なくなる中で、写真や手紙を保存していく意味もここにあります。
1枚の集合写真が、歴史上の「飛行第105戦隊」という部隊と、父の顔を知らずに生まれた一人の息子をつないだ。
個人的には、そこがこの出来事で最も心に残る部分です。
出典ソース


コメント