堀口博信が画家と十三の居酒屋を続けてきた人生
ソースと醤油を絵の具代わりにして、即興で似顔絵を描く男性。その正体は、大阪を拠点に活動する画家の堀口博信さんです。長年、十三の老舗居酒屋「富五郎」と画家という2つの世界を行き来してきました。『家、ついて行ってイイですか?(山手線を歩いて一周女子&借金700万男の純愛物語)(2026年8月16日)』でも、その歩みが取り上げられます。7人きょうだいの家庭で育ち、一度は絵を諦めながらも描き続けた人生、国内外で重ねてきた受賞歴、富五郎との関係まで見ていきます。
この記事でわかること
- 堀口博信さんがどんな画家なのか
- 絵を諦めかけた過去と両親の後押し
- ソースと醤油で似顔絵を描く独特のスタイル
- 十三の老舗居酒屋「富五郎」と画家活動の関係
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堀口博信は大阪を拠点に活動する画家
堀口博信さんは、パステル画や油彩を中心に作品を制作してきた大阪出身の画家です。
1941年に大阪府で生まれ、小学2年生だった1949年にはすでに画家を志していました。
子どものころから絵を描くだけでなく、遊び道具まで自分で作っていたといいます。
1961年には金沢美術工芸大学へ進学。高光一也さんや小磯良平さんらから指導を受け、デッサンの基礎を磨きました。1965年に油絵科を卒業した際には、卒業制作「群像」が大学に買い上げられています。
この経歴だけを見ると、美術の道を一直線に歩いてきた画家のように感じます。
ところが堀口さんの人生には、絵だけでは生活できない時期や、一度は絵を諦めようとした経験がありました。
そしてもう1つ大きな特徴となっているのが、大阪・十三の居酒屋「富五郎」と深く関わりながら画家を続けてきたことです。
画家と居酒屋。
かなり意外な組み合わせですが、ここに堀口さんらしい生き方が表れています。
堀口博信は7人きょうだいの家庭で育った
堀口博信さんは、7人きょうだいの家庭で育ちました。
幼いころから絵が好きで、小学2年生には画家を目指していた一方、家庭は決して余裕のある暮らしではありませんでした。
2026年8月16日に紹介される人生の中でも、7人きょうだいの家庭で育ったことと、生活の厳しさの中で一度は絵を諦めたことが大きな節目として扱われています。
ここを知ると、後に海外の展覧会で賞を受ける画家になったという結果だけを見るのとは印象がかなり変わります。
子どものころから才能があり、そのまま順調にプロになったわけではないからです。
好きなことがあっても、それを仕事として続けられるとは限りません。
特に絵の場合は、作品を作る時間だけでなく、生活そのものを成り立たせなければならない難しさがあります。
堀口さんが後に居酒屋の仕事と画家を両立する道を選んだ背景を考えるうえでも、この幼少期からの経験は大切な部分です。
一度諦めた絵を続けられた転機は両親の後押し
堀口博信さんの人生で大きかったのが、一度は諦めようとした絵を両親が後押ししてくれたことです。
画家を目指し続けることが難しくなった時期にも、両親の支えによって絵を続けることができました。
さらに堀口さんにとって特別だったのが母親の存在です。
母親は堀口さんの絵が大好きだったとされ、自分の作品で母を楽しませることができたことも、画家としての喜びにつながっています。
画家としての受賞歴だけを並べると華やかに見えますが、堀口さんの原点にあるのはもっと身近なものです。
自分の絵を喜んでくれる人がいたこと。
これはかなり大きかったのではないでしょうか。
絵を描く目的が「評価されるため」だけなら、結果が出ない時期は苦しくなります。
けれど、自分の絵によって目の前の人が喜んでくれるという経験があれば、「描くこと」そのものに意味が生まれます。
世界的な賞を受けるようになった後も、居酒屋で身近な人を相手に絵を描く姿につながっていると考えると、堀口さんの活動が一本の線として見えてきます。
堀口博信はソースと醤油でも似顔絵を描く
堀口博信さんを初めて知った人が、最も驚くのがこれかもしれません。
ウスターソースと醤油を使って、その場で人物の似顔絵を描くことがあります。
通常の絵の具ではありません。
色紙などを使い、醤油とウスターソースを画材にして人物を描くという、とても変わった即興人物画です。堀口さん本人名義で公開された実演映像でも、使用素材として「色紙、醤油、ウスターソース」と紹介されています。
「居酒屋だからソースと醤油を使っているだけの余興なのでは」と思ってしまいますが、堀口さんには土台となる確かなデッサン力があります。
金沢美術工芸大学で美術を学び、長年人物画を描き続けてきた画家だからこそ、普通なら画材とは考えない調味料でも人物を形にできるわけです。
ここが面白いところです。
奇抜な材料だけを見るとパフォーマンスに見えますが、基礎となる技術があって初めて成立する遊びなのですね。
堀口さんの作品にはパステルによる人物画も多く、公式サイトにはコスチューム姿の人物、ヌード、風景など数多くの作品が掲載されています。最近の作品も掲載され続けており、紙とパステルを組み合わせた制作が目立ちます。
ソース似顔絵だけを見て「変わった絵を描く人」と考えるより、本来の作品まで見ると印象はかなり変わるでしょう。
堀口博信は国内外の展覧会で受賞歴を重ねてきた
堀口博信さんが「世界的画家」と紹介される背景には、海外を含む展覧会で重ねてきた受賞歴があります。
主な経歴を見ても幅広さが分かります。
- 1986年:サロンド・パリ協会パリ展 エトワール賞
- 1988年:ロイヤル美術家連盟 ベストアーチスト賞
- 1995年:アトランタ環太平洋美術展 銀賞
- 1996年:サロンド・パリ マイアミ展 サロンド・パリ大賞
- 1997年:サロンド・パリ 東京展 準大賞
- 2003年:フランス美の革命展 IN ルーブル グランプリ賞
- 2004年:カンヌ国際芸術祭 コートダジュール国際芸術賞
国内でも、大阪府立現代美術センターで145点を展示した個展をはじめ、百貨店や画廊などで数多くの個展を開催してきました。
特に目を引くのが、2003年の「フランス美の革命展 IN ルーブル グランプリ賞」です。
堀口さんの公式サイトにも受賞歴と表彰状が掲載されています。
ソースと醤油で気さくに似顔絵を描く姿と、海外展で賞を獲得してきた画家としての経歴。
このギャップはかなり大きいですね。
肩書だけ聞けば近寄りがたい芸術家を想像するかもしれませんが、実際には大阪・十三という庶民的な街と長く関わり、店のお客さんとも接してきました。
堀口さんを面白くしているのは、海外で評価されたことだけではなく、世界へ作品を出しながら、生活の場所を十三に置き続けてきたことなのだと思います。
堀口博信と十三の老舗居酒屋「富五郎」
堀口博信さんのもう1つの顔として欠かせないのが、十三の老舗居酒屋**「富五郎」**です。
富五郎は大阪市淀川区十三本町にあり、1932年(昭和7年)創業。
2026年で創業94年を迎える、十三でも特に歴史の長い居酒屋です。現在は4代目の堀口詠士さんが店を切り盛りしています。
堀口博信さんも長年この富五郎の店主として店に立ちながら、画家として活動してきました。
十三駅の西側、駅からほど近い場所にある大衆居酒屋で、長いカウンターを中心とした昔ながらの店です。
店そのものにも個性的な文化があります。
代表的なのが、小皿にあらかじめ自分の予算を置いておき、料理や酒が出るたびにそこから代金を支払っていく方式です。
たとえば今日は2000円までと決めたら、その2000円を皿に置いて飲み始める。
残ったお金を見ながら次に何を頼むか決められるため、使った金額が一目で分かります。
かなり十三らしい仕組みですね。
さらに富五郎には、豆腐を衣なしで揚げる名物の厚揚げがあります。
店の歴史や雰囲気を知ると、単に「有名画家が副業で居酒屋をやっていた」という話ではないことが分かります。
堀口さんの人生には、画家としての世界と十三の大衆文化が同時に存在してきたのです。
画家と居酒屋の2足のわらじは自由に絵を描くためだった
では、海外でも賞を受ける画家が、なぜ居酒屋の仕事を続けたのでしょうか。
ここは堀口博信さんを理解するうえで、とても重要です。
堀口さん自身を紹介したインタビューには、
「画家として自由に描くために、あえて2足のワラジを」
という考え方が紹介されています。
絵だけで生活しようとすれば、「売れる作品」を作る必要も出てきます。
買い手が求める絵を考え、売上を作り、生活費を確保しなければなりません。
しかし別に生活を支える仕事があれば、画家としては自分が描きたいものを描ける。
堀口さんにとって居酒屋の仕事は、単に絵が売れない時期を補うものではなく、画家としての自由を守るためのもう1つの仕事でもありました。
個人的には、堀口さんの人生で一番興味深いのはここです。
普通なら「世界で評価されたのだから、画家一本にすればいいのに」と考えてしまいます。
ところが、仕事を1つに絞ることが必ずしも自由とは限らない。
生活の基盤を別に持つことで、むしろ好きな絵を自由に描けるという考え方です。
今でいう「複業」に近い生き方を、堀口さんはずっと以前から実践していたことになります。
居酒屋という場所が堀口博信の人物画にもつながっている
堀口博信さんが得意としてきたジャンルの1つが人物画です。
公式サイトを見ると、人物を描いたパステル作品が数多く並んでいます。
一方で、居酒屋の仕事も毎日のように人と接する仕事です。
会社員、地元の常連、初めて来る客など、さまざまな人がカウンターに座ります。
絵を描く場所と働く場所が完全に切り離されているわけではなく、富五郎という場所そのものが多くの人と出会う場になってきました。
そこから生まれるのが、ソースと醤油を使った即興の似顔絵のような遊びです。
美術館の静かな展示室で見る作品とはまったく違います。
酒を飲みながら目の前で自分の顔が絵になっていく。
この距離の近さは、堀口さんが長年居酒屋と画家を両立してきたからこそ生まれたものなのでしょう。
海外展で受賞する画家と、十三の気さくな居酒屋。
最初は正反対に見えた2つの顔が、実は「人を描き、人を楽しませる」という部分でつながっていることが見えてきます。
堀口博信は現在も作品制作を続けている
堀口博信さんは、長い画歴を経た現在も作品を制作しています。
公式サイトには2026年に入ってからも新しい作品が掲載されており、紙にパステルで描いた作品などを見ることができます。
作品は人物画だけではありません。
人物、風景、油彩など幅広い作品があり、公式サイトでは作品集を見ることができます。
作品には基本価格も設定されており、掲載されている価格表ではパステル画と油彩について号数を基準にした価格が案内されています。作品ごとの評価によって金額が変わる仕組みです。
さらに生徒募集や問い合わせ窓口も用意されています。
テレビでソースと醤油の似顔絵を見て初めて堀口さんを知った人なら、そのインパクトに目を奪われると思います。
ただ、そこから人生をたどってみると、
小学2年で画家を志す
↓
7人きょうだいの家庭で育つ
↓
絵を諦めかける
↓
両親に背中を押される
↓
美術大学で本格的に学ぶ
↓
居酒屋と画家を両立する
↓
国内外で受賞を重ねる
↓
十三で人を楽しませながら絵を描き続ける
という長い流れがあります。
ソースと醤油の似顔絵は、その人生のほんの一部分なのですね。
一度は諦めた絵を長年描き続け、海外で評価されても十三という街を離れず、人のすぐそばで描いてきた。
堀口博信さんという人物の魅力は、世界的な受賞歴以上に、「好きな絵を自由に描き続けるための生き方を自分で作ったこと」にあるように感じます。
参考リンク


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