飯野希珠が看護師から花火師へ進んだ理由
人の命を支える看護師から、夜空に花を咲かせる花火師へ。飯野希珠(いいの・きじゅ)さんが選んだ道は、かなり思い切った転身です。そのきっかけになったのが、コロナ禍の病院で耳にした花火の音でした。『ザ・ノンフィクション「花火師になりたくて~僕と私が打ち上げる夢~ 前編」(2026年8月16日)』では、山﨑煙火製造所で技術を身につけていく若き花火師たちの人生が描かれます。飯野さんがなぜ花火師になったのか、現在の仕事や作品までたどっていきます。
この記事でわかること
- 飯野希珠さんがどんな花火師なのか
- 看護師から転職した人生の転機
- 山﨑煙火製造所で取り組んでいる仕事
- 全国女流花火作家競技会に出した作品
飯野希珠は山﨑煙火製造所で働く女性花火師
飯野希珠さんは、茨城県つくば市にある株式会社山﨑煙火製造所で働く女性花火師です。
花火師と聞くと、夏の夜に筒へ花火をセットし、打ち上げる人を思い浮かべるかもしれません。
ところが、花火師の仕事はそれだけではありません。
花火そのものを作る製造工程があり、大会やイベントに向けた準備があり、実際の打ち上げ現場での作業があります。山﨑煙火製造所も花火の製造から打ち上げまでを手がけている会社です。公式サイトでは、花火ができるまでの工程や打ち上げまでの流れ、安全対策なども紹介されています。
飯野さんは、その世界へまったく別の職業から飛び込みました。
しかも会社では唯一の女性花火師として働いています。2026年8月時点で26歳、入社2年目の若手として、日々花火づくりの技術を身につけています。
女性だから珍しいというだけではなく、注目したいのはそこへ至るまでの経緯です。
飯野さんの人生を知ると、「どうして看護師を辞めて花火師に?」という最初の疑問が、そのまま彼女を理解する大きな入口になります。
飯野希珠は看護師から花火師へ転身した
飯野希珠さんの前職は看護師です。
医療の現場と花火の世界では、仕事内容も環境も大きく違います。
資格を生かして働く看護師から、火薬を扱いながら一から技術を覚える花火師へ進むのですから、簡単な職種変更とは言えません。
それでも飯野さんが花火師を選んだ背景には、看護師として過ごしたコロナ禍の経験がありました。
ここが飯野さんの人生で最も印象に残る部分です。
「昔から花火が好きだったから花火師になった」というだけなら、比較的分かりやすい話です。
飯野さんの場合は、人を支える医療の仕事を経験したことが、別の形で人の心を明るくしたいという思いにつながっているところに大きな特徴があります。
仕事そのものは変わっても、「人に何かを届けたい」という部分ではつながっている。
そう考えると、看護師と花火師という一見遠く見える2つの仕事が、少し違って見えてきます。
コロナ禍の病院で聞いた花火が飯野希珠の人生を変えた
転機になったのは、看護師として働いていたコロナ禍の病院でした。
病院の外から聞こえてきた花火の音に飯野さんは心を動かされます。
そして、
「今度は自分が人を元気にする側へ」
という思いから、花火師への転職を決めました。
このエピソードは、飯野さんが花火師になった理由を考えるうえで欠かせません。
花火は数秒で消えてしまいます。
けれど、その数秒を見るために外へ出たり、空を見上げたり、誰かと「きれいだね」と話したりする。
特に人との距離を取らなければならなかった時期に聞いた花火の音なら、普段とは違う意味を感じたとしても不思議ではありません。
飯野さん自身も、その体験をただ「感動した」で終わらせず、自分が花火を届ける仕事へ進むという行動に変えました。
個人的には、ここが飯野さんという人物を知るうえで最も心に残るところです。
職業を変えたこと以上に、自分が受け取ったものを、次は別の誰かへ渡そうとした。その流れが現在の花火師という仕事につながっています。
飯野希珠は「人を元気にする側」になるため花火師を選んだ
看護師も花火師も、人と向き合う方法はまったく違います。
看護師は目の前にいる患者を直接支えます。
一方の花火師は、自分が作った花火を何百人、何千人、場合によってはそれ以上の人が同じ夜空で見上げます。
飯野さんが語った「人を元気にする側」という言葉からは、花火を単なる娯楽ではなく、人の気持ちを動かすものとして捉えていることが伝わってきます。
もちろん、花火師になればすぐ自分の思い通りの花火を作れるわけではありません。
華やかな打ち上げの裏には、火薬を扱う緊張感のある仕事があります。
山﨑煙火製造所も安全対策や製造工程を公式に紹介しており、完成した花火だけを見るのと、作る側の工程を知るのとでは印象がかなり変わります。
夜空に見えている時間はほんのわずか。
その一瞬のために、多くの手間と技術が積み重ねられているわけです。
男性中心の花火製造現場で技術を磨いている
飯野希珠さんは、山﨑煙火製造所で毎朝早くから仕事に取り組む努力家として紹介されています。
一方で、男性がほとんどを占める職場のなかで、自分から積極的に前へ出ることに難しさも感じています。
本人が口にしているのが、
「ガツガツいけない」
という悩みです。
花火師という仕事では、覚えなければならない作業も多く、経験を積むことが欠かせません。
若手であれば、先輩から教わり、実際に作業をし、少しずつ任される仕事を増やしていくことになります。
飯野さんの場合、転職によってスタート地点が変わっただけではありません。
看護師として積んできたキャリアから離れ、別の専門職で再び技術を一から身につけていることになります。
社会人になってから別分野の専門技術を覚え直すのは、想像する以上に勇気が要ることです。
しかも花火は、きれいに作ればいいだけではなく、安全が大前提になります。
華やかな部分だけを見ると楽しそうな仕事ですが、飯野さんの働き方を知ると、むしろ地道な積み重ねが大部分を占める職人の仕事なのだと感じます。
飯野希珠は全国女流花火作家競技会にも作品を出している
飯野希珠さんは、ただ花火会社で修業しているだけではありません。
すでに自分の名前で花火作品を出しています。
2024年7月6日に秋田県大仙市で開催された第41回協和七夕花火では、全国女流花火作家競技会に山﨑煙火製造所所属の飯野希珠さんとして参加しました。
出品した作品は、
「夏の果 未来を願い とき偲ぶ」
です。
この競技会では、全国の女性花火師がそれぞれ作品を持ち寄ります。
特徴的なのは、単純に大きな花火を上げればいい競技ではないことです。
参加者は5・7・5の言葉と組み合わせて花火を表現し、タイトルとのまとまりや花火の美しさなどを競います。2024年は全国12社の女性花火師が参加しました。
つまり、花火師には製造技術だけでなく、
「夜空で何を表現するのか」
という作家としての感覚も求められるわけです。
飯野さんの作品名に「未来を願い」という言葉が含まれていることも、看護師時代から現在までの歩みを知ってから見ると印象が変わります。
花火大会で何気なく見上げていた1発にも、作った人の名前と作品としてのテーマがある。
これは初めて知ると、次に花火を見るとき少し見方が変わりそうです。
山﨑煙火製造所は茨城県つくば市にある老舗花火会社
飯野希珠さんが働く株式会社山﨑煙火製造所は、茨城県つくば市泊崎に本社・工場を置く花火会社です。
創業は1903年(明治36年)。
100年以上にわたり花火づくりを続け、競技大会でも実績を重ねてきました。フジテレビ側も、同社を明治36年創業で数々の賞を獲得してきた会社として紹介しています。
会社の公式サイトを見ると、花火を「一瞬の輝き」で終わらせず、文化として次の時代へつないでいく姿勢が掲げられています。
飯野さんが転職先として入ったのは、こうした長い歴史を持つ会社です。
100年以上続く技術の中へ、元看護師の若い女性が入って新しく花火を学んでいる。
そう考えると、飯野さんの物語は1人の転職だけではなく、伝統産業へ新しい世代が入っていく物語でもあります。
花火業界が人手不足を抱えるなか、山﨑煙火製造所には異業種から若者が集まっています。飯野さんもその1人です。
長く続いてきた技術を守るには、次に作る人がいなければ続きません。
この点まで知ると、「女性花火師」という珍しさよりも、若い世代が花火文化を受け継いでいることの方が大事に思えてきます。
飯野希珠の現在は花火を作る職人と作家の両面がある
飯野希珠さんの現在を一言で表すなら、花火を作る職人として経験を積みながら、自分の作品も夜空へ送り出し始めた若手花火師です。
看護師だった頃に耳にした花火が人生を変え、自分が作る側へ回りました。
そして今度は、自分が作った花火を誰かが見上げる立場になっています。
この流れはとても分かりやすい一方で、実際にそこまで行動へ移せる人は多くないでしょう。
さらに全国女流花火作家競技会へ名前の付いた作品を出していることからも、「転職して花火会社へ入った」という段階から、すでに一歩先へ進んでいることが分かります。
これから飯野さんを見るときは、経歴だけでなくどんな花火を作るのかにも注目したいところです。
花火師は、完成した作品が夜空に現れた瞬間に多くの人へ届く仕事です。
看護師時代に自分が花火から力をもらい、「人を元気にする側へ」と考えた飯野さん。
その思いが今度は、自分の花火を見上げた誰かへ渡っていくことになります。
看護師と花火師。
最初はまったく違う人生に見えますが、ここまでたどると、人を元気にしたいという1本の線でつながっていることが飯野希珠さんの一番大きな魅力なのだと感じます。
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