菅沼安嬉子は83歳で診療を続ける現役内科医
『有働由美子の健康案内人!(83歳現役医師から学ぶ!身体と心が若々しくいられる秘訣)(2026年8月24日)』に登場するのが、菅沼安嬉子(すがぬま・あきこ)さんです。1943年生まれで、1968年に慶應義塾大学医学部を卒業して以来、半世紀以上にわたり医療に携わってきました。現在も菅沼三田診療所で診療を続ける一方、80代を元気に迎えるための生活習慣や心の持ち方を伝えています。
この記事でわかること
- 菅沼安嬉子さんが83歳でも現役医師を続ける現在
- 慶應義塾大学医学部から地域医療へ進んだ歩み
- 慶應女子高で約3000人に保健を教えた経歴
- 50代から80代まで大切にしている健康と生き方
菅沼安嬉子は83歳になった現在も診療を続けている
菅沼安嬉子さんは、1943年に東京都で生まれた現役の内科医です。
1968年に慶應義塾大学医学部を卒業して内科学教室へ入り、2026年現在は東京都港区にある菅沼三田診療所の副院長として診療に携わっています。
2026年6月に83歳を迎えました。
80代で医師を続けていることだけでも目を引きますが、菅沼さんの場合は単に長く仕事を続けているだけではありません。
地域の患者を診察しながら、産業医として働く人々の健康を支え、学校や大学で健康教育にも携わってきました。
医師として人を治療するだけでなく、病気になる前から健康について考えることを長年伝えてきた医師でもあります。
現在の元気な姿を見ると「もともと身体が丈夫だった人なのでは」と感じますが、幼少期はむしろ逆でした。
子どもの頃は病弱で肺炎や腎炎も経験した
菅沼さんは自身について、子どもの頃は身体が弱く、病気を繰り返していたと振り返っています。
肺炎を患い、小児科医が毎日のように往診して注射を受けたこともありました。
扁桃腺を腫らして高熱を出すことも多く、さらに腎炎を患ったため幼稚園にも通えなかった時期があります。
83歳で現役医師を続けている現在の姿とはかなり対照的です。
「高齢になっても元気に活動できる人は、若い頃から健康だった」とは限らないことが分かります。
菅沼さんが繰り返し伝えているのも、年齢を重ねてからの健康は若い頃の体質だけで決まるものではなく、50代、60代、70代をどう過ごすかが重要になるという考え方です。
自身が病弱な幼少期を経験していることも、身体の変化と長く向き合う現在の考え方につながっています。
慶應医学部を卒業し夫と三田で診療所を開いた
菅沼さんは1968年に慶應義塾大学医学部を卒業しました。
慶應幼稚舎から学び、幼稚舎出身の女性として初めて医学部へ進んだ人物でもあります。
医学部卒業後は内科学教室へ入ります。
当初は病院で診療や研究に打ち込む将来を思い描いていましたが、その後の人生を大きく変えたのが結婚でした。
夫は外科医で、将来は開業して地域医療に貢献したいという考えを持っていました。
菅沼さんはその思いに協力し、夫婦で三田に診療所を開設します。
その場所が現在につながる菅沼三田診療所です。
診療所は東京都港区芝にあり、JR田町駅から徒歩約4分、都営三田駅A7出口の近くにあります。
現在は内科、老年内科、外科、整形外科、皮膚科、泌尿器科などを掲げ、地域の診療を担っています。
大学病院で研究を続けるという当初の道とは異なりましたが、結果として地域の患者と長期間向き合う医師人生につながりました。
慶應女子高で約3000人に保健を教えた
医師としての仕事とは別に、菅沼さんの経歴で特に興味深いのが慶應義塾女子高等学校での保健教育です。
1985年から2000年まで保健の授業を担当しました。
扱ったのは単純な身体の仕組みだけではありません。
高校生の心と身体の健康から、妊娠、出産、更年期まで、女性が人生の中で経験する身体の変化を幅広く教えました。
本人によると、教え子は約3000人にのぼります。
さらに2001年から2008年には、慶應義塾大学看護医療学部で臨床栄養学の講師も務めています。
診察室だけでなく教育の場でも、「自分の身体を自分で理解すること」を伝え続けてきたわけです。
約3000人の女子高校生に授業をした経験は、後に健康や生き方について本を書くきっかけにもなりました。
当時の高校生たちが50歳前後になる時期を迎え、「これからの人生の道しるべになるものを伝えたい」と考えるようになったと語っています。
女性初の慶應連合三田会会長にも就任
菅沼さんの活動は医療や教育だけではありません。
2020年3月には、女性として初めて慶應連合三田会会長に就任しました。
慶應連合三田会は、慶應義塾の卒業生による三田会をまとめる組織です。
長い歴史の中で女性が会長となったのは菅沼さんが初めてでした。
診療所で患者と向き合いながら、教育、産業医、大学講師、卒業生組織など、複数の役割を長年続けてきたことになります。
そして80歳になったからすべての活動を終えるのではなく、むしろ菅沼さんは「これからが人生の本番」という考えを持っています。
年齢を重ねることを「できないことが増える時期」とだけ考えず、これまでの経験を使える時期として捉えているところが特徴です。
80代を元気に過ごす準備は50代から始まる
菅沼さんが健康について伝えている内容で重要なのが、80代になってから慌てて健康を考えるのでは遅いという点です。
50代、60代、70代、80代では、身体の状態も生活環境も異なります。
そのため、それぞれの年代で身体を整え、生活を見直しながら次の年代へ進むという考え方を大切にしています。
特に50代は大きな節目として位置付けています。
仕事や家庭で忙しく、自分自身の身体を後回しにしやすい年代ですが、80代をどう過ごせるかは、この頃からの健康管理にも左右されます。
60代になると仕事や家族との関係が変わり、70代になると筋力や骨の健康もより重要になります。
そして80代を「好きなことができる年代」にするには、そこへ到達するまでの準備が必要になるという考えです。
ただし、「これをすれば誰でも健康で長生きできる」という単純な健康法ではありません。
食事、運動、検診、社会とのつながり、心の状態などを組み合わせて考えることが大切になります。
83歳で続ける「菅沼流生活習慣」
菅沼さんが83歳になっても診療や活動を続けていることから、日常生活そのものにも関心が集まります。
健康を維持するうえで重視しているのは、特別な方法を一時的に行うことより、毎日の生活の中で身体を動かし、年齢に合わせて健康管理を続けることです。
8月24日のテーマでも、長年続けている「菅沼流生活習慣」とともに、元気な足腰を目指す2分間の体操が取り上げられます。
高齢になるほど大切になるのが、歩く、立つ、座るといった日常動作を支える足腰です。
一方で、運動量や身体の状態には大きな個人差があります。
痛みがある人、治療中の病気がある人、転倒リスクが高い人が同じ運動を無理に行うのは適切ではありません。高齢者向けの運動も「たくさんやればよい」のではなく、自分の身体の状態に合った範囲で続けることが大切です。
菅沼さんの生き方から参考にしたいのは、1つの体操だけではなく、日常の中で健康を管理することを何十年も続けてきた姿勢でしょう。
「ありがとう」を大切にする心の健康
身体だけでなく、心の持ち方も菅沼さんが大切にしているテーマです。
自身の著書では、健康管理だけでなく、年代ごとの生活、家族、介護、人生の終盤をどう過ごすかまで扱っています。
その中で大切にしている言葉の1つが「ありがとう」です。
80歳になった時に周囲へ「ありがとう」と言えること、そして周囲からも「ありがとう」と言ってもらえる人であることを大切にしています。
健康というと血圧や体重、食事、運動といった数字へ意識が向きがちです。
しかし長く生きるほど、人とのつながりや役割、生きがいも生活の大きな部分を占めます。
83歳になっても診察室に立ち、社会との接点を持ち続ける菅沼さん自身が、その考えを体現しています。
83歳の現在も「人生本番」と考えて活動を続ける
菅沼さんは2026年に著書『80歳、これからが人生本番 現役内科医の一生輝く生き方のコツ』を出版しました。
50代、60代、70代、80代それぞれの身体の変化や健康管理、介護、人生後半の暮らしについて、自身の経験と医師としての知識を交えてまとめた本です。
興味深いのは、83歳になった今を人生の「余生」と捉えていないところです。
子どもの頃は病弱で、医学部へ進み、結婚をきっかけに地域医療の道へ進みました。
その後は医師だけにとどまらず、高校で約3000人を教え、大学講師、産業医、慶應連合三田会会長など多くの役割を経験しています。
そして83歳の現在も診療を続けています。
特別な健康法だけを追いかけるよりも、年齢ごとに身体と生活を整えながら、自分の役割や楽しみを持ち続けること。
半世紀以上にわたって医療と健康教育に関わってきた菅沼安嬉子さんの歩みを見ると、「元気な80代」を考えるヒントは毎日の積み重ねの中にあることが分かります。


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