寺の枠を越えて町の人の暮らしを支える古井昇空
2026年9月6日放送のフジテレビ『ザ・ノンフィクション 人生 最期までお付き合い 前編~型破りな2人の駆け込み寺~』では、神奈川県大磯町の東光院で、住民の日常から人生の最期まで寄り添う大澤曉空住職と古井昇空さんが特集されます。番組では「執事・古井さん(45)」と紹介されていますが、東光院や地域の公的資料では古井昇空(ふるい・しょうくう)さんとして確認でき、副住職・寺務などの立場で地域活動を担ってきました。もともとは寺や仏教とは縁のない生活を送り、都心でIT系の仕事をしていた人物です。そこから、なぜ僧侶として「なんでも屋」のような仕事まで引き受けるようになったのでしょうか。
この記事でわかること
- 古井昇空さんがIT系の仕事から東光院の僧侶になった経緯
- 「僧侶となんでも屋」と呼ばれる理由と地域での仕事
- 遺体搬送や死に化粧まで自ら担う東光院の葬送
- 多世代食堂や暮らしの保健室につながる「最期まで付き合う」考え方
古井昇空が東光院の僧侶になった経緯

出典:タウンニュース「客殿を地域の共用空間に 大磯 東光院の『海近寺巣』」
古井昇空さんは1980年生まれ。東光院が2014年に掲載した本人の自己紹介によると、神戸で生まれ、広島で育ち、高校から埼玉へ移り、その後は都心でIT系の仕事をしていました。寺の家に生まれたわけでも、幼い頃から僧侶を目指していたわけでもありません。
2014年の時点で、古井さんは「4年ほど前から東光院で修行している」と書いています。単純にたどると、東光院との本格的な関わりは2010年ごろまでさかのぼります。地域のお祭りや大磯漁港の手伝いに参加しながら、少しずつ町とのつながりを広げていきました。
本人を紹介する「おしまいDEATH!!!」では、古井さんについて、もともと寺や仏教とはまったく縁のないところから東光院に関わり、「地域のハブとしての寺」に可能性を感じて出家した僧侶と紹介されています。
ここが古井さんの経歴で面白いところです。
先に「僧侶になりたい」という目標があり、そのために寺へ入ったというより、地域の人と関わり続ける中で、「寺だからこそできること」が見えてきた人物です。
2018年には、29代住職となった大澤曉空さんと古井さんが中心となり、東光院の客殿を地域の共用スペース「海近寺巣(うみちかてらす)」として開放しました。約1000冊の図書、車いす対応設備、授乳室などを備え、子どもから高齢者まで気軽に立ち寄れる場所を目指しています。
寺の内側だけで修行するのではなく、町の中へ出て、人との関係そのものを僧侶の仕事にしていく。
この姿勢が、現在の古井さんの活動につながっています。
「僧侶となんでも屋」と呼ばれる地域での仕事
古井さん自身を紹介する大磯の地域サイトでは、肩書がずばり「僧侶となんでも屋」となっています。
これは単なるキャッチコピーではありません。
古井さんは、ITやデザインの経験を生かしたパソコンのサポート、イベント企画、店舗運営の手伝いなども行ってきました。本人は、もともと寺や僧侶は「地域の困りごと相談員」のような存在だと考え、こうした活動を地域共助の延長として続けていると説明しています。
2026年9月6日の『ザ・ノンフィクション』でも、その範囲の広さがよく分かります。
番組では、東光院の2人が介護や一人暮らしの相談に応じるだけでなく、88歳の画家・藤井兼弘さんの生活を支え、古井さんが髪を切る場面まで紹介されます。藤井さんは妻を亡くし、娘はイギリス在住。施設生活ではなく自宅へ戻りたいという本人の思いに、東光院の2人が深く関わっていきます。
お経を読む、法事を行う、葬儀を行う。
一般に想像する僧侶の仕事はそこまでかもしれません。
ところが古井さんたちは、その人が生きている時の困りごとから関わることを重視しています。
パソコンが分からない。
一人で食事をしている。
介護について相談したい。
病院や施設との付き合い方に悩んでいる。
死んだ後を頼める人がいない。
こうした日常の小さな困りごとを拾っていった結果、「なんでも屋」と呼ばれるほど活動範囲が広がったわけです。
遺体搬送から死に化粧まで自ら担う理由
古井さんたちの活動の中でも、特に驚かされるのが葬儀社を介さず、僧侶が葬送の実務まで行う東光院の本堂葬です。
東光院公式サイトによると、亡くなった人の搬送、遺体のケア、納棺、遺影の準備、式の進行、行政手続きまで僧侶が担当します。納棺前には古式湯灌を行い、死に化粧や身支度も整えます。
古井さんは復元納棺師のもとで、遺体の保存や修復、死に化粧に必要な専門技術も学んできました。2025年にNHKが東光院を取材した際にも、生前の面影に近づけるため、古井さん自身が死に化粧を施す様子が紹介されています。
なぜ、そこまで僧侶が行うのでしょうか。
背景には、大澤住職と古井さんが経験してきた葬儀があります。
大澤住職は公式サイトで、身近な人の死をきっかけに葬儀のあり方を見つめ直したことを振り返っています。葬儀の準備や食事の手配などを古井さんと一緒に引き受け、故人と縁のある自分たちが家族に寄り添うことで、「共に故人を送る」時間になったと感じたそうです。
東光院は現在も、葬儀をビジネスとしてではなく、人が人を送る大切な時間として捉える考え方を公式に示しています。
だから読経だけを担当して帰るのではなく、病院への迎えから故人の身支度、納棺、葬儀まで付き合う。
番組タイトルの「人生 最期までお付き合い」は、まさにこの姿勢を表しています。
多世代食堂「おむすび」を始めた背景
東光院の活動は、「死」の場面だけに集中しているわけではありません。
2023年には、多世代食堂「おむすび」をスタートしました。
場所は東光院の隣にある一軒家。かつて一人暮らしの高齢男性が暮らしていましたが、亡くなった後、およそ10年間空き家になっていた建物です。家族の理解を得てほぼ無償で借り、地域の食卓へと生まれ変わりました。
「おむすび」が生まれた背景には、古井さんが地域の子どもから聞いた話がありました。
両親の帰宅が夜遅く、買ってある食べ物を一人で夕食にしている子どもがいる。一方、大磯には高齢者の一人暮らしもあり、一人で食事をする人が少なくありません。
そこで「困っている特定の人だけを助ける食堂」ではなく、子どもも大人も高齢者も、誰でも同じテーブルで食べられる場所を作ろうと考えました。神奈川県の紹介でも、古井さんは「家庭の食卓の延長線上にある食堂」という考え方を語っています。
東光院公式では、「おむすび」を互救ぷろじぇくとの一環と位置付けています。
家族だけにすべてを任せるのではなく、家族という枠を少し広げ、地域で互いに助け合える仕組みを作る。その考えを「食べる」という誰にとっても身近な行為から始めたのが「おむすび」です。
テレビで古井さんを見て「なぜ僧侶が食堂までやるのだろう」と感じても、活動をたどると一本につながっています。
孤立する前から人とつながっておく。
それが、将来の介護や看取り、葬送にもつながっていくからです。
暮らしの保健室で続ける介護と生活相談
東光院では2022年8月から、「暮らしの保健室・安養」も始まりました。
医療や介護について、予約なし・無料で専門職に相談できる地域の場で、古井さんのほか、地域包括ケアの専門家や地域包括支援センター職員らが中心となって運営してきました。
ただ、古井さんが目指しているのは「相談窓口らしい相談窓口」ではありません。
相談する人と相談される人をはっきり分けてしまうと、困っている人ほど入りづらくなります。
そのため「安養」では、おしゃべりをしたり、一緒に食事をしたり、愚痴をこぼしたりする中から、生活上の困りごとを拾っていきます。古井さんは、気が向いた時に立ち寄り、生活の中で感じていることを自然につぶやける場所にしたいと説明しています。
医療、介護、福祉は、本当に困ってから制度につながろうとすると複雑です。
そこで東光院は、まだ問題が大きくなる前から「顔を知っている関係」をつくろうとしているわけです。
多世代食堂も、暮らしの保健室も、終末期の支援も別々の事業に見えます。
しかし古井さんたちの活動では、すべてが「普段から関係をつくっておく」という考えにつながっています。
人生の最期まで付き合う東光院の考え方
古井さんは「おしまいDEATH!!!」で、人生100年時代には誰もが認知症や車いす生活、延命治療などの選択に向き合う可能性があるとし、死をただ縁起の悪いものとして遠ざけるのではなく、気軽に学び、語れる場所が必要だという考えを示しています。
東光院には、宗教行事だけのために人が集まるのではありません。
食事をしに来る。
おしゃべりをしに来る。
介護について聞く。
イベントに参加する。
一人暮らしの不安を話す。
そうやって元気な時から関係を作っているからこそ、病気や介護が必要になった時にも声を掛けやすくなります。そして亡くなった時には、すでにその人の性格や暮らし、家族との関係を知っている僧侶が葬送を手伝うことができます。
これは、一般的な「葬儀の時に初めて僧侶と会う」形とはかなり違います。
東光院公式は、看取ってくれる人がいない人や、自分が亡くなった後を託す相手がいない人に向けた「弔い委任」も案内しています。
古井さんたちが目指しているのは、死の瞬間だけを支援する寺ではありません。
生きている間からつながり、困った時に支え、最後にはきちんと送り出す。
『ザ・ノンフィクション』で描かれる「最期まで付き合う」という言葉には、こうした長い時間軸があります。
古井昇空のプロフィールと東光院の場所
古井昇空さんは1980年生まれ。神戸で生まれ、広島で育ち、高校時代から埼玉へ移りました。その後、都心でIT系の仕事を経験し、2010年ごろから東光院で修行。地域活動に深く関わり、後に僧侶となりました。地域媒体や公的資料では、副住職・寺務として紹介されています。
東光院は神奈川県中郡大磯町大磯1525にあります。公式サイトでは24時間の電話窓口も案内されており、本堂葬、多世代食堂「おむすび」、墓地、弔い委任などについて情報を公開しています。
なお、番組で興味を持ったからといって、介護相談や葬送についていきなり訪問するより、利用条件や開催日時を公式サイト・電話で確認してから相談するのが安心です。
まとめ
古井昇空さんは、寺の家に生まれてそのまま僧侶になった人物ではありません。
神戸、広島、埼玉と移り住み、都心でIT系の仕事を経験した後、縁があって大磯町の東光院に関わりました。そして地域の祭りや暮らしに入り込む中で、寺を「人が困った時に頼れる地域のハブ」にする活動を続けてきました。
そこから生まれたのが、「海近寺巣」、多世代食堂「おむすび」、「暮らしの保健室・安養」、そして葬儀社に任せきりにせず僧侶自身が搬送や死に化粧まで行う本堂葬です。
一見すると、食堂、介護相談、パソコンの手伝い、葬儀はまったく違う仕事に見えます。
しかし古井さんにとっては、すべて「目の前の人の困りごとに付き合う」という同じ活動です。
2026年9月6日の『ザ・ノンフィクション』で古井さんが「型破りな僧侶」に見えた人ほど、その背景をたどると、東光院がなぜここまで地域の暮らしに入り込んでいるのかが見えてきます。
参考リンク


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