競技人生を取り戻した河合紫乃の現在
17年間打ち込んだバドミントンを続けられなくなり、車いすフェンシングへ転向。その後さらに左脚の切断を経験し、もう一度ラケットを握ったのが河合紫乃さんです。『ザ!世界仰天ニュース「どん底から這い上がった不屈の女性のストーリー」(2026年8月11日放送)』では、その大きく変化した競技人生が紹介されます。現在はパラバドミントン女子SL3で世界ランキング1位。2028年ロサンゼルスを目指すまでの歩みを、時系列で整理します。
この記事でわかること
- 河合紫乃さんのバドミントン時代の経歴
- 車いす生活と競技から離れた時期
- フェンシングからパラバドミントンへ転向した経緯
- 世界1位となった現在とロサンゼルス2028への目標
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河合紫乃は元実業団バドミントン選手
河合紫乃さんは、1992年生まれ、富山県出身のパラバドミントン選手です。
現在だけを見ると「パラバドミントンで急速に世界トップへ上がった選手」という印象が強いですが、その前には17年間に及ぶバドミントン経験があります。
河合さんがバドミントンを始めたのは小学2年生のころ。富山商業高校では全日本ジュニア5位、法政大学ではインカレ団体優勝を2度経験しました。大学卒業後の2014年には北國銀行のバドミントンチームへ入り、国内トップリーグであるS/Jリーグでプレーしています。
つまり、パラバドミントンへ転向して初めて本格的にラケットを握った選手ではありません。
もともと国内トップレベルで勝負していた実業団選手です。
この経歴を知っているかどうかで、現在の強さの見え方はかなり変わります。
ただし、「経験者だから世界1位になって当然」と考えるのも違います。
現在のパラバドミントンは障害の程度によってクラスが分かれ、それぞれの身体条件に応じた動きや戦術が求められます。河合さん自身も、競技へ戻るまでに長い空白期間と別競技での経験、さらに左脚切断後の身体の変化を経験しています。
個人的には、「元実業団だから強い」という一言で片づけない方が河合さんの歩みは分かりやすいと感じます。
同じラケット競技へ戻ったとはいえ、以前と同じ身体で同じ競技へ復帰したわけではないからです。
日本代表を目指していた17年間のバドミントン人生
河合紫乃さんにとって、バドミントンは単なる学生時代の部活動ではありませんでした。
小学校2年生から始め、高校、大学、実業団まで競技を続けています。
高校時代には全日本ジュニア5位。法政大学では団体戦で2度の全国優勝を経験し、卒業後は北國銀行へ入行して実業団選手となりました。全日本社会人ではベスト16、国体にも出場しています。
目指していたのは、さらに上の舞台でした。
日本代表へ入り、世界で戦うこと。
実業団へ進んだ時点でも競技者として高いレベルにいましたが、河合さんにとってはまだ夢の途中だったことになります。
ところが、2015年ごろから股関節の痛みが深刻になります。
日常生活にも支障が出るほどとなり、両股関節の手術を受けました。その後、長期入院と複数回の手術を経験し、左下肢に麻痺が残りました。
それまで競技人生のほとんどを占めていたバドミントンを続けられなくなったのです。
「別の競技をやればいい」と簡単に切り替えられる状況ではありません。
小学校から社会人まで続けてきたものが突然なくなる。
仕事として所属していた実業団からも離れることになる。
競技だけでなく、生活そのものが変化しています。
たしかにここは、成績だけを並べたプロフィールでは分かりにくい部分です。
河合さんにとって失ったのは「バドミントンという趣味」ではなく、自分が長い時間をかけて作ってきた将来そのものだったと考えると、その後の競技復帰の意味も見えてきます。
車いす生活へ変わった時期と競技から離れた時間
河合紫乃さんの身体に大きな変化が起きたのは、実業団選手として活動していた時期です。
2015年に股関節の強い痛みが生じ、その後の治療では約1年4カ月にわたって入院し、複数回の手術を受けています。
その過程で神経に障害が生じ、左脚に麻痺が残って車いすを使用する生活となりました。
ここで時系列を混同しないようにしたいところがあります。
河合さんがこの時点ですぐ左脚を切断したわけではありません。
最初は左下肢の麻痺が残り、車いす生活へ移行しています。
そして左脚を切断したのは、さらに後の2024年です。本人は2026年のインタビューで、血流障害による壊死が進んだ左脚を2024年夏に切断したと説明しています。
つまり、
実業団バドミントン
↓
股関節の手術
↓
左下肢麻痺・車いす生活
↓
車いすフェンシング
↓
2024年に左脚切断
↓
パラバドミントン
という流れです。
ここは初めて経歴を見ると、かなり複雑に感じます。
「脚を切断したからバドミントンを辞めた」のではなく、バドミントンを離れた時期と、切断手術を受けた時期の間には数年あります。
河合さんはバドミントンを断念したあと、すぐ前向きになれたわけでもありません。
以前の自身の振り返りでは、長期入院や競技引退後、自分のこれからを見つけられずに過ごした時期があったことを明かしています。
競技選手を見ていると、どうしても「復活した瞬間」だけが強調されがちです。
個人的には、その前に何もできないと感じた時間があったことも知っておくと、河合さんのその後の選択がより理解しやすいと思います。
車いすフェンシングで競技へ復帰した理由
河合紫乃さんが再びアスリートとして動き始めたきっかけのひとつが、入院中にかけられた言葉でした。
バドミントン時代の後輩から、一緒にオリンピック・パラリンピックを目指そうという趣旨の言葉をかけられたことで、再びスポーツへ挑戦する気持ちが生まれます。
ただし、ここで選んだ競技はバドミントンではありませんでした。
車いすフェンシングです。
河合さんは、以前の自分と比較したくないという思いもあり、新しい競技を選択しています。2018年から車いすフェンシングを始め、日本代表として国際大会にも出場するようになりました。
これはかなり興味深い選択です。
17年間続けたバドミントンなら、技術や試合経験という大きな蓄積があります。
それでも、あえてゼロから始めるフェンシングを選んだ。
当時の河合さんにとっては、「以前の自分を取り戻す」よりも、新しい自分として競技を始めることの方が必要だったわけです。
そして、車いすフェンシングでは日本代表まで進みます。
東京2020パラリンピックを目指しましたが出場には届かず、その後はパリ2024を目標に国際大会を転戦しました。
パラリンピック出場には世界ランキングが重要となるため、長期間にわたり海外大会を回り、ポイントを積み重ねる必要があります。
しかしパリ大会についても出場権獲得には届きませんでした。
河合さんは、その挑戦をやり切ったと感じたことなどから、車いすフェンシングを離れる決断をしています。
一度競技を失い、別競技で日本代表まで行き、それでもパラリンピックには届かなかった。
普通なら、そこで競技人生を終える選択も十分考えられます。
ところが河合さんは、ここからもう一度大きく方向を変えます。
左脚切断を前にパラバドミントンへの転向を決断
河合紫乃さんにとって、もうひとつの大きな転機となったのが2024年です。
左脚では血流障害による壊死が進み、切断手術を受けることになりました。
本人によると、手術を受ける前の段階で、車いすフェンシングからパラバドミントンの立位クラスへ転向することを決めていたといいます。
ここが河合さんの競技人生で非常に大きなポイントです。
最初に車いす生活となったときには、「以前の自分と比べたくない」とバドミントンから離れました。
しかし数年後、自分から再びバドミントンへ戻ることを選んでいます。
同じ競技へ戻ったように見えて、意味はまったく違います。
以前は「元の自分」と比べることが苦しかった。
その後、車いすフェンシングで新しい競技人生を築いた。
そしてもう一度、自分の原点だったバドミントンを選べる状態になった。
個人的には、河合さんの歩みで最も印象的なのはここです。
過去の自分へ戻ったのではなく、別の経験を積んだ現在の自分でバドミントンへ戻ったからです。
パラバドミントンへ転向した河合紫乃
河合紫乃さんがパラバドミントンで出場しているのは、女子シングルスのSL3クラスです。
SLは「Standing Lower Limb」の区分で、下肢に障害があり、立位でプレーする選手のクラスです。
河合さんは左大腿切断後、義足などを使いながらこのクラスで競技しています。
しかし、転向後すぐにすべてが順調だったわけではありません。
切断後も股関節を十分に動かせず、義足を使った歩行訓練ではバランスを崩すこともありました。本人は、リハビリ用の平行棒からなかなか離れられなかった時期についても語っています。
それでも競技復帰は早く、2024年12月には国内大会へ出場しています。所属先の公開情報では、2024年に左大腿切断後、同年12月の日本障がい者バドミントン選手権へ復帰したことが確認できます。
そして2025年になると、国際舞台でも急速に結果を残していきます。
2025年8月のペルー国際では、海外大会初出場で優勝。
同年11月のJAPANパラバドミントン国際大会でも、SL3女子シングルスで優勝しています。
バドミントン経験が長いとはいえ、切断手術からそれほど時間が経っていないことを考えると、この結果には驚かされます。
ただ、本人自身は「元実業団だから結果を出して当然」という見方とは違うと語っています。
長い競技離脱期間があり、身体条件も変わり、パラバドミントン独自の動きを一から身につける必要があるからです。
初出場の世界選手権で世界一に
河合紫乃さんのパラバドミントン転向後の勢いを決定づけたのが、2026年2月の世界選手権です。
河合さんは女子SL3シングルスに出場し、世界選手権初出場で優勝しました。
これは「大会で好成績を残した」というレベルを超えています。
競技転向から短期間で、世界一を決める大会の頂点に立ったことになります。
さらに2026年6月のフランス国際でもSL3女子シングルスを制し、国際大会で連勝を重ねました。
そして2026年8月時点、世界バドミントン連盟のパラランキングでは、河合さんが女子シングルスSL3世界ランキング1位となっています。
経歴を時系列にすると、その変化の大きさがよく分かります。
| 時期 | 主な出来事 |
|---|---|
| 小学2年〜 | バドミントンを開始 |
| 高校時代 | 全日本ジュニア5位 |
| 法政大学 | インカレ団体優勝を2度経験 |
| 2014年 | 北國銀行で実業団選手に |
| 2015年以降 | 股関節の治療・長期入院 |
| その後 | 左下肢麻痺となりバドミントンを引退 |
| 2018年 | 車いすフェンシングへ転向 |
| 2024年 | パラフェンシングを離れ、左脚を切断 |
| 2024年末 | パラバドミントンへ競技復帰 |
| 2025年 | 海外国際大会で優勝 |
| 2026年2月 | 世界選手権初出場・初優勝 |
| 2026年8月 | 女子SL3世界ランキング1位 |
こうして並べると、一直線に世界1位へ進んだ選手ではありません。
競技を失い、別競技へ進み、再び原点へ戻ってきた末の世界1位です。
世界ランキング1位でもロサンゼルス2028出場はまだ決まっていない
ここは、河合紫乃さんについて知るうえで大切な点です。
2026年8月時点で世界ランキング1位だからといって、2028年ロサンゼルス・パラリンピックへの出場がすでに決定しているわけではありません。
パラリンピックの出場枠は、対象期間のランキングや国・地域ごとの枠など、大会の正式な選考ルールに基づいて決まります。
そのため、現時点では「ロサンゼルス2028の金メダル候補」と見ることはできますが、代表内定選手という段階ではありません。
河合さん自身が現在掲げている目標は明確です。
ロサンゼルス2028で金メダルを獲得すること。
2026年4月に世界選手権優勝を報告した際にも、ロサンゼルスで金メダルを獲得するために取り組んでいく考えを明らかにしています。
この違いはきちんと押さえておきたいところです。
「世界1位=パラリンピック出場確定」ではありません。
今後も国際大会で結果を積み重ね、実際の出場資格を獲得する必要があります。
ロサンゼルス2028へ向けた最大の挑戦
河合紫乃さんが今後目指す最大の舞台は、2028年のロサンゼルス・パラリンピックです。
しかも目標は「出場」ではありません。
金メダルです。
すでに世界ランキング1位で、2026年世界選手権優勝という実績もあります。
それだけを見ると順調に見えますが、ロサンゼルスまではまだ約2年あります。
世界の選手も河合さんを研究しますし、クラス内の勢力関係も変化します。
さらに、パラ競技では身体の状態を維持しながら長期間国際大会を戦うことも重要です。
河合さんの場合、左脚切断後の身体で競技を始めてからまだ日が浅く、競技技術だけでなく身体の使い方そのものについても改善を続けている段階です。
だからこそ、現在世界1位であることはゴールではありません。
むしろ、世界1位になった状態をどうロサンゼルスまで積み上げていくかが次のテーマになります。
個人的には、「失ったものを取り戻した物語」とだけ見ると、河合さんの現在を少し狭く捉えてしまう気がします。
今の河合さんは、過去の自分へ戻ろうとしているのではありません。
実業団バドミントン、長期入院、車いす生活、車いすフェンシング、左脚切断、パラバドミントン。
すべてを経験したうえで、以前とは違う形で世界一を目指している選手です。
河合紫乃の現在は「復活」の先にある
河合紫乃さんの競技人生は、「大きな挫折から復活した」という言葉で紹介されることがあります。
もちろん間違いではありません。
ただ、ここまで経歴を追うと、単純な「復活」だけでは説明しきれないことが分かります。
バドミントンを失ったあと、車いすフェンシングで日本代表になる。
パラリンピック出場へ挑戦し、届かなかった。
左脚の状態が悪化し、切断手術を受ける。
その前にパラバドミントンへの転向を決める。
そして、世界選手権初出場で優勝し、世界ランキング1位へ到達する。
同じ場所へ戻ったのではなく、何度も進む方向を選び直しています。
だからこそ個人的には、河合さんを見るときに最も大事なのは「左脚を失っても諦めなかった」という一点だけではないと思います。
状況が変わるたびに、自分が次に何をするのかを選び直してきたことです。
現在はセイリンに所属し、パラバドミントン日本代表として世界で戦っています。2026年世界選手権では優勝し、女子SL3世界ランキング1位。次に見据えるのはロサンゼルス2028の金メダルです。
すでに世界の頂点へ立った河合紫乃さんが、これからどんな大会を戦い、2028年の代表争いをどう進んでいくのか。
これまでの経歴を知ると、次に確認したくなるのは「復活できたか」ではなく、世界1位になったその先で、どこまで進めるのかではないでしょうか。


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