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佐々木麟太郎がソフトバンク1位指名よりマーリンズを選んだ理由 スタンフォード2年間の苦戦と飛躍【佐々木麟太郎 in AMERICA】

佐々木麟太郎が選んだ「日本を経由しない」メジャーへの道

『佐々木麟太郎 in AMERICA(2026年8月20日)』では、花巻東高校から日本のプロ野球へ進まず、スタンフォード大学へ渡った佐々木麟太郎の2年間が描かれました。大学1年目は「野球人生で一番苦しかった」と語るシーズン。それでも2年目に本塁打を倍以上へ伸ばし、ついにマイアミ・マーリンズと契約しました。ソフトバンクからドラフト1位指名を受けながら、なぜMLBへの道を選んだのか。その決断までをたどります。

この記事でわかること

  • 佐々木麟太郎がマーリンズ入りを選んだ理由
  • スタンフォード大学1年目と2年目の成績の変化
  • ソフトバンク・DeNAから1位指名されたNPBドラフトとの関係
  • 父・佐々木洋監督や大谷翔平につながる花巻東での原点

佐々木麟太郎はマーリンズと契約しMLBへの挑戦を選んだ

佐々木麟太郎は2026年のMLBドラフトで、マイアミ・マーリンズから8巡目・全体235位で指名され、その後入団を決断しました。

契約金は21万200ドル。日本円では契約時の換算で約3100万円と報じられています。7月23日に正式契約し、その後マーリンズ傘下のルーキーレベル、FCLマーリンズに登録されました。

この決断が大きな意味を持つのは、MLBから指名されただけではありません。

佐々木には、

  • スタンフォード大学に残る
  • ソフトバンクに入団する
  • マーリンズと契約する

という大きく3つの選択肢がありました。

その中から選んだのが、アメリカでそのままプロ野球選手になる道でした。

高校卒業時に日本のプロ入りを見送り、アメリカの大学へ進んだ決断が、2年後にMLB球団との契約へつながったことになります。

ソフトバンクからドラフト1位指名されても日本に戻らなかった

佐々木は2025年10月のNPBドラフトでも大きな注目を集めました。

横浜DeNAベイスターズと福岡ソフトバンクホークスが1巡目で競合。抽選の結果、ソフトバンクが交渉権を獲得しています。

つまり、MLBへ挑戦できなければ日本へ戻るしかなかった選手ではありません。

NPBの有力球団から1位指名され、プロ入りへの道が用意されていました。

それでもマーリンズを選びました。

佐々木が以前から重視してきたのは、「成功するかどうか」だけで進路を判断しないことでした。

マーリンズ入りを決めた際にも、失敗したかどうかではなく、挑戦したかどうかを選ぶ人生にしたいという考えを示しています。

ソフトバンクへの入団なら日本最高峰の環境からプロ生活を始められる一方、マーリンズではマイナーリーグからメジャー昇格を目指す競争が待っています。

より保証の少ない道を選んだ点に、今回の決断の大きさがあります。

高校卒業後にスタンフォード大学を選んだ理由

佐々木は花巻東高校時代、高校通算140本塁打を記録しました。

日本の高校野球を代表する長距離打者であり、そのままNPBドラフトへ進んでも上位指名が予想される存在でした。

ところが高校卒業後に選んだのは日本のプロでも日本の大学でもなく、アメリカのスタンフォード大学でした。

スタンフォード大学は、佐々木が進学先を選んだ理由として、質の高い教育を受けられることに加え、将来メジャーリーグでプレーする夢に近づける環境だったことを挙げています。

野球だけで大学を選んだわけではないところも特徴的です。

18歳でプロ入りするより、大学で野球と学業の両方に取り組みながら、自分の可能性を広げる道を選びました。

結果的に、この進路がMLBドラフトで指名されるための直接的なルートにもなりました。

大きな期待を背負った1年目は「野球人生で一番苦しかった」

スタンフォードでの公式戦デビューは2025年でした。

入学前から注目度は非常に高く、大学野球の有力新人として期待されていました。

ところが1年目は、佐々木自身が思い描いていたようなシーズンにはなりませんでした。

リーグ戦全51試合に先発し、

  • 本塁打:7
  • OPS:.790

という成績でした。

OPSは出塁率と長打率を合わせた指標で、打者がどれだけ得点につながる働きをしたかを見る際に使われます。

高校通算140本塁打という実績を考えると、「もっと長打を打つのでは」と期待されていた選手でした。

打撃がうまくいかずコーチへ相談する場面もあり、シーズン終了後には**「野球人生の中で今年が一番苦しかった」**と振り返っています。

高校時代まで国内トップクラスの打者だった選手が、言葉も文化も野球も違うアメリカで壁にぶつかった1年間でした。

だからこそ、その翌年の数字が重要になります。

2年目は16本塁打・OPS.952へ飛躍した

2026年の2年目、成績は大きく変わりました。

全54試合に先発し、

シーズン 本塁打 OPS
2025年 7 .790
2026年 16 .952

本塁打は7本から16本へ増加しました。

さらに45四球に対して三振は50。長打を狙うだけではなく、相手投手を見ながら出塁できる点も数字に表れています。

1年目の苦戦から逃げず、アメリカで2年目を迎えたことが結果につながりました。

高校時代から評価されていたパワーだけでなく、異なる野球環境へ適応して成績を伸ばした点は、プロ球団にとっても大きな判断材料になったと考えられます。

458フィート弾と打球速度115.4マイルが示した長打力

MLB球団へ強烈な印象を残したのが、2026年6月のMLBドラフト・コンバインでした。

コンバインはドラフト候補選手が集まり、身体能力やプレーを球団関係者へアピールする場です。

佐々木は打撃練習で458フィート、約140mの本塁打を記録。

さらに最高打球速度は115.4マイル、約186km/hに達しました。

日本の高校時代から知られていた最大の武器が、アメリカでも通用する可能性を数字で示した瞬間でした。

マーリンズのスカウトも、佐々木のパワーを高く評価しています。

一方で、MLB入りはゴールではありません。

プロでは打撃だけでなく守備、走塁、フィジカルを含めた総合的な成長が必要になります。本人もマーリンズ入り後、すべての面で向上していく考えを語っています。

父・佐々木洋監督と大谷翔平につながる花巻東で育った

佐々木麟太郎を語るうえで欠かせないのが、父の佐々木洋監督です。

花巻東高校野球部を長く率い、菊池雄星や大谷翔平を指導してきました。

麟太郎も父が監督を務める花巻東でプレーしています。

さらに佐々木家と大谷家の縁は高校だけではありません。

麟太郎は中学時代、大谷翔平の父・大谷徹さんが指導するチームでプレーしていました。一方、大谷翔平は花巻東で佐々木洋監督の指導を受けています。

世代をまたいで2つの家族が野球でつながっています。

また、「麟太郎」という名前にも父の考えが表れています。

由来となったのは、幕末に活躍した**勝海舟の幼名「麟太郎」**です。

父・洋監督は勝海舟を尊敬しており、その名を息子につけました。

日本から海を渡り、新しい世界へ進んだ現在の歩みを考えると、印象的な名前の由来です。

マーリンズ入りはゴールではなくマイナーからのスタート

MLBドラフトで指名されたからといって、すぐメジャーリーグの試合に出られるわけではありません。

佐々木はマーリンズとの契約後、傘下のFCLマーリンズへ登録されています。

ここからマイナーリーグの各カテゴリーを上がり、メジャー昇格を目指します。

高校時代は140本塁打。

スタンフォード1年目は7本塁打。

苦しんだ翌年に16本塁打。

そしてMLBドラフト8巡目・全体235位。

一直線にスター街道を歩いてきたというより、進路を選ぶたびに、より未知の世界へ進んできた選手です。

NPBドラフト1位という大きな評価を得ても、そこで進路を変えなかったことも、その姿勢を象徴しています。

これから問われるのは「アメリカへ渡ったことが正解だったか」ではなく、マイナーリーグでどれだけ成長し、メジャーまで到達できるかです。

スタンフォードで経験した1年目の苦しさと2年目の飛躍は、その長い挑戦の最初の2年間だったと見ることができます。

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