能登の手作り村を継いだ26歳・古矢拓夢の新しい村づくり
石川県能登町にある自然体験施設「ケロンの小さな村」を祖父から受け継ぎ、2代目村長として歩み始めた古矢拓夢さん。東京で働いていた若者が能登へ戻った直後、能登半島地震に見舞われました。『新婚さんいらっしゃい!(この夏、会いに行きたくなる“こんなところの新婚さん”第3弾・石川県能登町)(2026年8月23日)』では、妻・川又由妃乃さんと村を営む暮らしが紹介されます。祖父からの継承、震災からの再建、若者をつなぐ活動まで、その歩みをたどります。
この記事でわかること
- 古矢拓夢さんがケロンの小さな村を継いだ経緯
- 東京での会社員生活から能登へ戻った大きな転機
- 妻・川又由妃乃さんとの出会いと現在の暮らし
- 能登若衆の会や星空ビレッジで進める新しい村づくり
古矢拓夢はケロンの小さな村を継いだ2代目村長
古矢拓夢さんは、石川県能登町の山あいにある自然体験施設「ケロンの小さな村」の2代目村長です。2026年2月の紹介時には26歳。金沢市で育ち、祖父・上乗秀雄さんが作った村を次の世代へつなぐ役割を担っています。
ケロンの小さな村は、森や小川、田畑などの自然を生かした約3.4ヘクタールの手作りの村です。
基本的に入場は無料で、自然観察や農業体験を楽しめるほか、村で採れた野菜や果物、米粉を使ったパンも販売されています。村の食材を使って作る石窯ピザ体験も人気で、子どもたちが自然の中で遊び、学べる場所として育てられてきました。
古矢さんにとって、ここは単なる仕事場ではありません。
小学4年生だった2009年から、休みになると金沢から村へ遊びに来て、祖父の仕事を手伝っていました。薪割りを教えてもらったり、冬には雪の中で遊んだりした思い出が残っています。
その少年が成長し、祖父が高齢になって事業承継という課題に直面したとき、今度は自分が村を守る側へ回りました。
東京で働いていた26歳が能登へ戻った転機
古矢さんは18歳で専門学校への進学を機に東京へ移り、卒業後は営業の仕事に就きました。
能登とはまったく異なる都会で会社員として働く日々です。
それでも、子どものころから過ごしてきたケロンの小さな村への思いは消えませんでした。働きながら「能登へ帰って村を継ぎたい」という気持ちが少しずつ強くなっていきます。
東京時代に古矢さんが考えるようになったのは、単に故郷へ戻ることではなく、自分にしかできない仕事をしたいということでした。
祖父が人生をかけて作った場所がある。
自分自身もそこで育った。
そして、祖父の世代だけで終われば、その場所はいずれなくなってしまいます。
古矢さんは会社を辞め、2023年12月に石川県へ戻りました。当時23歳でした。
安定した会社員生活から、里山の小さな自然体験施設を継ぐ道へ。
収入も仕事の内容も大きく変わる決断でしたが、古矢さんにとっては「地方に戻る」というより、子どものころから親しんだ場所で自分の人生を始め直す選択だったことが分かります。
祖父・上乗秀雄から手作りの村を継いだ経緯
ケロンの小さな村を作ったのが、古矢さんの祖父上乗秀雄さんです。
上乗さんは元高校教員で、教育委員会や高校長などを務めた後に定年退職しました。
退職後、「自分の健康や生きがいだけではなく、子どもたちの自然体験や環境教育、地域活性化につながる場所を作りたい」と考え、能登町斉和地区の耕作放棄地で村づくりを始めました。
2008年から妻・純子さんと整備を進め、2009年にケロンの小さな村を開村しています。
最初から立派な観光施設があったわけではありません。
荒れた土地を自分たちで整え、遊具や石窯などを手作りし、長い年月をかけて少しずつ形にしてきました。
年間5000人を超える人が訪れるようになり、国の「ディスカバー農山漁村の宝」や「ふるさとづくり大賞」に選ばれるまでに成長しました。
一方で、上乗さんが80歳を迎えるころになると大きな問題が浮上します。
誰がこの場所を次に継ぐのかという後継者問題です。
そこで名乗りを上げたのが孫の古矢さんでした。
祖父が「自分の代で終わらせてもいい」と考えていた村を、孫が「やっぱり引き継ぎたい」と決断したことで、ケロンの小さな村には次の世代への道が開かれました。
能登半島地震で直面した村存続の危機
ところが、古矢さんが能登へ戻った直後に大きな試練が訪れます。
2024年1月1日の能登半島地震です。
移住してまだ約1か月。
これから祖父から仕事を学び、新しい村づくりを始めようとしていた時期でした。
地震によって、ケロンの小さな村では石窯が壊れ、建物が傾き、地割れや亀裂、橋や石垣の崩壊など大きな被害が発生しました。シンボルだった水車小屋も土台が崩れ、傾いてしまいました。
ただ修理すれば元に戻るという規模ではありません。
古矢さんは「村を継ぐ」という段階から、いきなり壊れた村を再建する2代目になりました。
祖父も、本来なら整った状態で孫へ引き継ぎたかったものの、事業承継は「マイナスからのスタート」になったと振り返っています。
それでも2人は村をあきらめませんでした。
ボランティアや周囲の人たちの協力を受けながら復旧を進め、2024年4月には復興への決意を込めて「夢桜」と名付けた桜を祖父と孫で植えています。
古矢さんにとって震災は、村を守る覚悟を試される出来事であると同時に、自然との向き合い方そのものを考え直す転機にもなりました。
「元通りにする」だけではなく、災害を経験したからこそ作れる新しいケロンへ。
その方向へ村づくりが変わっていきます。
妻・川又由妃乃は愛媛出身、東京での出会いから能登へ移住
古矢さんの現在の村づくりを支えているのが、妻の川又由妃乃さんです。
由妃乃さんは愛媛県出身。2人が出会った場所は能登ではなく、東京の職場でした。
電話営業の仕事をしていたころ、由妃乃さんは営業成績を上げる「エース先輩」、古矢さんは周囲から好かれる後輩という関係でした。
最初は恋愛関係ではありませんでしたが、古矢さんが営業成績で悩んだ際、由妃乃さんが話し方について助言したことなどから距離が縮まっていきました。
その後、古矢さんから積極的に気持ちを伝え続け、最後は由妃乃さんの側から交際を申し込む形で2人は付き合い始めます。
そのわずか1か月後、古矢さんは祖父の村を継ぐことを決めました。
一般的な転勤とは違い、仕事そのものを変え、東京から能登の山あいへ移る選択です。
由妃乃さんも後にケロンを訪れ、祖父母に迎えられながら村の仕事を体験。自然の中で働く楽しさに触れ、2025年5月には能登へ移住しました。
現在は夫婦で村の運営や管理、販売などを担い、由妃乃さんはピザ作り体験で子どもたちをサポートする役割も担っています。
祖父から孫へという事業承継だけでなく、そこへ妻も加わったことで、ケロンの小さな村は家族3世代で次へつなぐ場所へと変わっています。
102人がつながる能登若衆の会を始めた理由
古矢さんの活動は、ケロンの小さな村だけにとどまりません。
2025年3月には「能登若衆の会」を立ち上げました。
目的は、能登にいる若者や能登に関わりたい若者がつながり、新しいことへ挑戦しやすい人間関係を作ることです。
2026年2月時点で会員は石川県内外を合わせて102人、平均年齢は約25歳まで広がっています。
参加者の立場もさまざまです。
復興支援をきっかけに能登を知った人、インターンで訪れた人、移住を考えている人、大学を休学して活動している人など、出身地や仕事が違う若者たちが集まっています。
古矢さんが目指しているのは、自分だけが能登で頑張ることではありません。
「やってみたい」と思った若者を周囲が応援できる地域を作ることです。
人口減少が進む地域では、1人の後継者を見つけるだけで終わりではありません。
次の挑戦者、その次の挑戦者が生まれる関係を作れるかが重要になります。
祖父から古矢さんへ渡されたバトンを、さらに多くの若者へ広げようとしているのが能登若衆の会です。
星空ビレッジなど新しい村づくりを進める現在
ケロンの小さな村では、震災前の姿へ戻すだけではなく、新しい取り組みも始まっています。
その1つがキャンプエリア「星空ビレッジ」です。
満天の星空の下で宿泊やキャンプを楽しめる場所として整備され、バーベキューなども楽しめるようになりました。
もともとのケロンには、自然の中で遊ぶこと、農作業を体験すること、パンやピザを作ることなど、子どもたちが五感を使って楽しめる魅力があります。
そこへキャンプや宿泊という新しい過ごし方が加われば、数時間立ち寄る施設から、能登の自然をゆっくり体験する拠点へと可能性が広がります。
古矢さんはさらに、森づくりや道づくりなど、これまでボランティアの協力で進めてきた活動を企業研修として活用する取り組みにも動いています。
復興を「支援され続ける活動」で終わらせず、仕事として収益を生み、長く継続できる仕組みに変えていく考えです。
祖父が荒れ地から作った子どもたちの村。
それを孫が継ごうとした直後に襲った大地震。
さらに妻や100人を超える若者たちが加わり、キャンプや新しい事業へと活動が広がってきました。
古矢拓夢さんが受け継いだのは、完成した施設そのものではありません。
「次の世代にも渡せる場所を作る」という祖父の思いです。
26歳の2代目村長が進めているのは、古い村をそのまま残すことではなく、新しい人を呼び込みながら、能登で暮らし続けられる未来へ村を作り直していく挑戦なのです。
参考リンク

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