人生の楽園 25周年スペシャル 長崎・京都・福島の物語
「人生の楽園」と聞いて、心があたたかくなる人も多いのではないでしょうか。地方に移住した夫婦や、第二の人生を歩む人々の姿を描き続けて25年。今回の放送は、初代案内人 いかりや長介 さんの秘蔵映像や、西田敏行 さんが訪れた感動のロケ、そして「楽園の住人」たちのその後を追う特別版です。さらに新作では、長崎・東彼杵町で小さな宿を営み始めた夫婦が登場。25年の軌跡と、新しい物語が重なる感動の時間となります。
初代案内人 いかりや長介さんの思い出
番組開始時の案内人を務めた いかりや長介 さん。その語り口は独特で、落ち着きの中にユーモアと温かさがあり、今でも番組の象徴として多くの人の記憶に残っています。オープニングで語られた「人生には楽園が必要だってね」という一言は、番組のテーマを象徴する言葉として、長年視聴者の心をつかんできました。
体調不良で一時休養した後、再び案内人として復帰した際には「清潔・誠実、長生きするぞ!」と力強く語り、彼らしい明るさと前向きさを見せました。この一言には、自身の健康への思いと番組への愛情が込められており、当時の放送を見ていた人々に大きな感動を与えました。
いかりや長介 さんは、コメディアンとして『ザ・ドリフターズ』で日本中を笑わせた一方、俳優としても存在感のある演技を数多く残しました。その豊かなキャリアがナレーションにも活かされ、視聴者に安心感と親しみを与える“語り”を作り上げていたのです。
2004年に72歳で亡くなりましたが、番組に残した足跡は今なお色あせていません。今回の25周年スペシャルでは、当時の収録風景やナレーションの声が秘蔵映像として紹介される予定で、初代案内人が築いた「人生の楽園」の原点を改めて感じられる貴重な機会となります。
補足として、当時の制作陣は「案内人」という存在を通して、人の声で物語を語り継ぐことを番組の核に据えていました。その意図を体現したのが いかりや長介 さんであり、彼の温もりある声は、番組の世界観を確立する上で欠かせないものでした。
京都でお茶屋に転身した女性の25年後
第1回放送で登場したのは、建築家からお茶屋 「望月」 の女将へと転身した 野間光輪子 さんです。彼女はもともと建築家として都市部の高層ビルなどを手がけてきましたが、京都へ移り住んだことで町家の魅力に出会い、その空間に宿る歴史や営みを守りたいという思いから花街の世界に飛び込みました。
京都・祇園という場所は、日本独自の伝統文化やお座敷遊びの習慣が根強く残る特別な街。そこで女将としてお座敷を仕切ることは並大抵のことではなく、しきたりや格式を理解しながら人との縁を築き上げる努力が求められます。野間光輪子 さんはその責任を25年もの間果たし続け、訪れる人々に祇園の文化を伝え続けてきました。
さらに彼女は、お茶屋の経営だけでなく、建築家としての経験を活かして町家再生にも関わってきました。古い町家を現代に残しながら安全性や快適性を高める工夫を行い、文化を未来へつなぐ役割を担っています。その取り組みは、祇園の街並みを守るだけでなく、日本の伝統的な暮らし方を次世代に伝える貴重な営みでもあります。
25年経った今も現役でお茶屋を切り盛りし続ける姿は、祇園にとって欠かせない存在となっています。野間光輪子 さんは、建築家として培った視点と女将としてのおもてなしを融合させ、伝統と現代を結びつける独自の生き方を体現しているのです。
福島・蕎麦とピザの店を守る夫婦
第608回で紹介されたのは、福島県須賀川市で『うっちゃんの倉庫』を営む 内村正則さん・とも子さん 夫妻です。お店の特徴は、手打ち蕎麦と石窯ピザという一見意外な組み合わせ。正則さんが丹精込めて打つそばは地元産のそば粉を使用し、香り高くコシのある仕上がりで評判を呼んできました。一方で石窯で焼かれるピザは、季節の野菜や地元の食材をふんだんに使った具材が彩りを添え、そばと並ぶ看板メニューとして親しまれています。
しかし、二人の店には大きな試練が訪れます。2011年の東日本大震災で石窯が壊れ、営業を続けることが困難になったのです。当初は断念も考えたといいますが、長年通っていた常連客の「またあの味を食べたい」という声や励ましに背中を押され、再建を決意しました。資材の調達や改修には大変な苦労が伴いましたが、夫妻は力を合わせて店を復活させました。
現在も『うっちゃんの倉庫』は夫婦二人三脚で切り盛りされ、須賀川の人々にとって大切な交流の場となっています。そばとピザを一緒に味わえる独自のスタイルは、遠方から訪れる客にも人気です。震災を乗り越えて再び店を開いた夫妻の姿は、地域の人々にとって希望の象徴であり、「あきらめない強さ」を示す存在になっています。
補足として、口コミではピザの香ばしさと素朴な味わいに高い評価が寄せられ、そばとの“異色の組み合わせ”が意外にも好相性だと評判です。営業は週末を中心に行われ、地元農産物を生かしたメニューが季節ごとに楽しめる点も魅力となっています。
新しい「楽園の住人」 長崎・東彼杵町の宿
今回の新作で紹介されるのは、東京での仕事を離れ、自然豊かな土地で新しい暮らしを始めた 齊藤仁さん・晶子さん ご夫妻です。二人は「海の見える町で心穏やかに暮らしたい」という思いを抱き、全国各地を訪ね歩いた末に、長崎県の 東彼杵町 にたどり着きました。海と山に囲まれたこの町の風景や、人との温かなつながりに魅力を感じ、この地で第二の人生を歩む決心をしたのです。
ご夫妻が選んだ拠点は、千綿駅前にひっそりと残っていた古い旅館 「恵比須屋御旅館」。長く使われず空き家となっていた建物を、自分たちの手で少しずつ改修し、1年以上かけて宿として再生しました。そして2019年、宿は 『さいとう宿場』 として新しく生まれ変わりました。駅から徒歩1分という立地で、窓からは青く輝く 大村湾 と線路を走る列車が同時に見渡せる、ここならではの絶景が訪れる人を迎えます。
宿は客室がわずか3室という小さな規模ですが、和室・洋室・和洋室と趣の異なる空間を用意し、訪れる人が自分に合った滞在を楽しめる工夫がされています。運営はシンプルなスタイルで、チェックイン後のベッドメイキングはセルフ、アメニティの持参など宿泊者の協力を前提にしています。その代わり、気取らない心地よさと、どこか家庭的な雰囲気が味わえるのが魅力です。
食事面では、地元で採れた新鮮な野菜や魚を取り入れた和朝食が提供され、宿泊客からも好評を得ています。また、館内には宿泊者以外でも利用できるカフェやラウンジが設けられており、旅人同士や地域の人々が交流できる場として機能しています。まさに「宿泊施設」という枠を超えて、地域と旅人をつなぐ拠点となっているのです。
補足として、東彼杵町 は良質なお茶「そのぎ茶」の産地としても知られ、段々畑の茶畑風景や、古くからの宿場町の歴史を感じられる土地です。千綿駅は「海の見える駅」として鉄道ファンにも人気があり、『さいとう宿場』はその魅力を存分に体感できる絶好の場所になっています。
まとめ
・いかりや長介 さんの秘蔵映像で番組の原点を振り返る
・野間光輪子 さんが25年間守り続ける祇園のお茶屋「望月」
・内村夫妻 が震災を越えて続ける『うっちゃんの倉庫』
・齊藤夫妻 が長崎・東彼杵町で営む『さいとう宿場』の挑戦
「人生の楽園」が描くのは、ただの移住や転職の物語ではなく、人が自分らしく生き直すための勇気と出会いの記録。25周年の節目にふさわしい内容となりそうです。放送後には、それぞれの住人の「今」をさらに追記していきたいと思います。
ソース:
テレビ朝日 人生の楽園
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