金ピカ社長・坂口輝光が変えた町工場と「自由に働ける会社」
『ニュース ONE(握って幸福感!若者に流行スクイーズ!シニアに意外な効果?/息子は甲子園で活躍 イケメン金ピカ社長)(2026年8月21日)』で取り上げられるのが、岐阜市の坂口捺染3代目社長・坂口輝光さんです。派手なファッションの一方、会社では出退勤時間を柔軟にし、従業員を最優先する経営を徹底。小さな町工場を大きく成長させました。甲子園で活躍した息子との関係や、新たに始めた県民球団づくりまで、その歩みを追います。
この記事でわかること
- 坂口輝光さんが坂口捺染を大きく成長させるまで
- 出退勤時間を自由にする働き方が生まれた理由
- 甲子園で活躍した息子・路歩さんと県岐商3代の物語
- 岐阜の新しいプロ野球球団で始めた次の挑戦
坂口輝光は坂口捺染を急成長させた3代目社長

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坂口輝光(さかぐち・てるみつ)さんは、岐阜市に本社を置く株式会社坂口捺染の代表取締役です。
坂口捺染は1953年創業。祖父が着物の染めを手掛ける会社として始め、父の代にTシャツや肌着などの衣料へプリントする事業へ転換しました。現在はシルクスクリーンプリントを中心に、Tシャツやバッグなどの加工を行っています。
坂口さんが家業へ入った当時、従業員は約14人でした。
それが2026年には約230人規模へ成長。本人によると、入社当時約5000万円だった売上は11億円まで伸び、約20倍になっています。中部学院大学で行われた2026年の講演でも、3代目として会社を大きく成長させた歩みが紹介されています。
見た目のインパクトだけではなく、会社そのものを大きく変えた経営者というところが坂口さんの大きな特徴です。
アメリカ留学を経て家業に入った経緯
坂口さんは1982年、岐阜県生まれ。
県立岐阜商業高校を卒業した後、すぐ家業には入らず、単身でアメリカへ渡りました。パサデナシティカレッジを卒業し、2004年に帰国して坂口捺染へ入社しています。
高校2年生ごろには「いつか会社を継ぐ」という気持ちは持っていましたが、自分が会社で何をしたいのかまでは見えていませんでした。
そこで、やりたいことを見つけるために選んだのがアメリカ留学でした。現地では学生生活だけでなく、古着のバイヤーなども経験。結婚を機に、自分で稼ぐことや家族を支えることへの考え方も変化していきます。
帰国後も、いきなり経営側へ回ったわけではありません。
最初の約3年間は職人たちと一緒に現場へ入り、実際のプリント作業を経験しました。
当時の会社には大きな問題がありました。
仕事が春の繁忙期に集中し、数か月は遅くまで働く一方、それ以外の時期は仕事が少ないという不安定な状態だったのです。坂口さんは、このままでは会社が続かないと感じ、生産管理や分業化に取り組み始めました。
2010年に専務、2014年に3代目社長へ就任。
アメリカから帰ってきた後に現場で見た「働きにくさ」が、その後の会社改革につながっていきます。
出勤時間を縛らない働き方を始めた理由
坂口捺染を有名にした取り組みの1つが、働く時間を会社側が一方的に決めない仕組みです。
特にパート従業員については、自分の都合に合わせて出退勤時間を決められるフレックスタイム制を導入しました。
子育て中の人、家族の介護がある人、高齢者など、働く意欲はあっても「決まった時間に毎日来る」という条件では働きにくい人が地域にいることに坂口さんが気づいたためです。
時間だけを自由にしても、工場が止まってしまっては成り立ちません。
そこで同時に進めたのが多能工化でした。
1人が複数の仕事を覚え、その日の出勤人数に合わせて配置を変えます。働く側に会社へ合わせてもらうのではなく、会社側が働く人に合わせられる体制を作ったわけです。
エアコンの導入やトイレの改修など工場そのものにも手を入れ、4年間で5億円以上の設備投資を行った時期もありました。
2026年6月には、子育て支援、女性や若者への支援、働き方改革などが評価され、坂口捺染が「将来世代応援企業賞」を受賞しています。
約230人の従業員のうち約200人が女性という会社になったことも、この経営方針の積み重ねを物語っています。
売上20倍へつながった従業員第一の経営
坂口さんの経営を語るうえで欠かせない言葉が、「従業員ファースト」です。
働きやすくすれば従業員が集まり、従業員が定着すれば技術も蓄積される。結果として会社の対応力も上がっていくという考え方です。
実際、坂口捺染は求人を出さなくても応募者が集まる会社になりました。
SNSでパートを募集した際、5日間で70人から応募があった例もあります。人手不足が深刻な製造業の中ではかなり珍しい状態です。
一方で「好きな時間に働ける」だけの会社ではありません。
複数工程を担当できる人材を育て、仕事を覚えるほど賃金を上げる仕組みを整えています。
坂口さん自身も、会社の商品以上に「人こそが会社の最大の強み」という考えを示しています。
従業員を大切にすることを福利厚生だけで終わらせず、生産体制そのものに組み込んだことが、坂口捺染の成長につながっています。
コロナで売上90%減から立て直した転機
順調に成長してきた坂口捺染にも、大きな危機がありました。
新型コロナウイルスの感染拡大です。
イベントやスポーツ大会などが相次いで中止となり、Tシャツプリントの需要が急減。売上の約90%が失われる状況に直面しました。
そこで坂口さんは、単に仕事が戻ってくるのを待ちませんでした。
仕事を失った地域の人にもできる内職事業を始め、新しい仕事を作ります。この事業は2〜3か月ほどで軌道に乗り、約半年後にはコロナ前を上回る規模へ成長しました。
この経験から、坂口さんの目は会社の中だけでなく地域へ広がっていきます。
自社ブランド「TWR」を立ち上げ、駄菓子屋やカフェ、古着、オリジナルショップなどを備えた複合施設を展開。
坂口捺染の公式サイトにも「地域の繋がりを大切にして、みんながそこに集い喜びを分かちあえる場所を作る」というTWRの考え方が掲げられています。
会社の危機を乗り越えるだけでなく、地域に仕事や居場所を生み出す方向へ事業を広げたことが、コロナ禍後の大きな転機になりました。
甲子園で活躍した息子・路歩と3代続く県岐商一家
坂口さんには、経営とは別にもう1つ強いつながりがあります。
県岐商野球部です。
坂口家は祖父・清貴さん、父・輝光さん、息子・路歩さんと、3代続いて県岐商野球部に所属しました。
祖父の清貴さんは投手として1969年春のセンバツに出場。
輝光さんが高校生だった1999年夏にも県岐商は甲子園へ出場しましたが、自身はベンチ入りできず、スタンドから仲間を応援しました。
そして3代目となる坂口路歩(ろあ)さんが、2025年夏に大きな夢をかなえます。
県岐商の4番打者として甲子園に出場し、チームは16年ぶりとなるベスト4へ進出。準々決勝の横浜戦では延長11回にサヨナラ打を放つなど、全国の高校野球ファンにも強い印象を残しました。
祖父は幼いころから路歩さんの打撃を指導し、父の輝光さんも野球生活を支えてきました。
3人が同じ県岐商で甲子園を目指し、最後に息子が夏の甲子園でプレーするという流れは、坂口さんの人物像を知るうえでも印象深い家族の物語です。
さらに路歩さんは、将来は父の会社を継ぐことも考え、経営や海外文化を学ぶため米国留学の道を選んでいます。
父と同じように、高校卒業後に海外で学んでから家業へ向かう道を歩み始めています。
岐阜ダイヤモンドリバーズで始まった新しい挑戦
野球とのつながりは、息子の甲子園で終わりません。
坂口さんは2026年、岐阜県初のプロ野球チーム誕生を目指す岐阜県民球団の球団プロデューサーに就任しました。
5月には球団名が「岐阜ダイヤモンドリバーズ」に決定。
さらに7月、テクノアとのネーミングライツ契約により、現在のチーム名は「岐阜テクノアダイヤモンドリバーズ」となっています。
チームは2027年春の活動開始と独立リーグ「日本海リーグ」への参入を目指しています。
2026年8月には、元中日ドラゴンズ投手の若松駿太さんが2027年シーズンから監督に就任することも決まり、構想から実際のチームづくりへ進み始めました。
球団が掲げるテーマの1つが、野球だけに人生を依存しないデュアルキャリアです。
坂口さん自身が町工場を「働きたい人が働ける場所」へ変えてきたことを考えると、若者に野球を続ける場所と仕事の両方を作ろうとする今回の挑戦は、これまでの活動ともつながっています。
Tシャツプリント全国トップクラスへ成長した会社の強み
坂口捺染の主力は、Tシャツなどへのシルクスクリーンプリントです。
デザイン作成からプリント、仕上げまでを自社で行い、1枚の小ロットから数万枚の大量注文まで対応。条件が合えば最短で発注翌日に発送できる体制を持っています。
Tシャツプリントでは全国トップクラスのシェアを持つ企業として紹介されており、国内有数のプリントラインを備えています。
ただ、坂口さんが会社の最大の強みとして挙げるのは設備ではなく、人です。
出退勤を柔軟にするために多能工化を進める。
働きやすい環境を作って人を集める。
集まった人へ技術を身につけてもらい、生産力を高める。
その循環によって、14人ほどだった町工場は200人を超える会社へ変わりました。
2026年には働き方改革そのものが表彰され、今度は会社の外へ飛び出して県民球団づくりにも関わっています。
「金ピカ社長」という第一印象と、従業員や地域を中心に置く経営とのギャップこそ、坂口輝光さんが繰り返し取り上げられる理由なのかもしれません。
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