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板井三那子は基町アパートの30歳自治会長|地下倉庫の神輿とアートでつなぐ広島の記憶【Dearにっぽんで紹介】

人物

基町アパートに根を張る30歳の自治会長

広島の戦後復興を象徴する巨大団地で、自治会長とアーティストという2つの顔を持って活動しているのが板井三那子さんです。『Dearにっぽん(“わやな町”に生きて〜広島 若き自治会長の奮闘記〜)(2026年8月23日)』では、基町アパートで暮らしながら地域の課題と向き合う姿が描かれます。なぜ若い芸術家がこの町に住み、自治会長になったのか。地下倉庫から見つかったものや、その後につながった地域の記憶を残す活動まで掘り下げます。

この記事でわかること

  • 板井三那子さんが自治会長になった経緯
  • アーティストが基町アパートに移り住んだ理由
  • 地下倉庫から見つかったものと整理の目的
  • 2026年まで続く基町の記憶を残す活動

板井三那子は基町高層アパート第6コアの自治会長

つむぐ平和:広島2025 板井三那子さん(30) 託された「記憶」残すため /広島 | 毎日新聞

つむぐ平和:広島2025 板井三那子さん(30) 託された「記憶」残すため /広島 | 毎日新聞

板井三那子さんは、広島市中区にある市営基町高層アパート第6コアの自治会長であり、アーティストでもある人物です。

2019年から基町高層アパートで暮らし、2022年から自治会長を務めています。広島市立大学大学院で学びながら、人の記憶をテーマにした作品制作や地域のアートプロジェクトにも携わってきました。

自治会長という肩書だけを見ると地域運営を担う人ですが、板井さんの場合は少し違います。

住民の生活に入り込み、そこで交わされる言葉や思い出、地域に残された物を拾い上げ、それを次の世代へつなげていく。自治会活動とアートがほとんど切り離せない形になっているのが大きな特徴です。

基町との出会いは先輩アーティストからの誘いだった

板井さんが基町に関わり始めたのは、現在のような地域活動をするためではありませんでした。

2017年ごろ、大学の先輩でアーティストの久保寛子さんらから基町へ遊びに来るよう誘われたことがきっかけです。

大学から広島中心部へ戻る途中、夜の基町高層アパートが大きな暗い塊のように見え、以前から気になる存在だったといいます。

転機になったのが、住民が集まるラジオ体操でした。

朝の広場には大勢の高齢者が集まっており、板井さんは参加者の1人に使い捨てカメラを渡しました。後日返ってきた写真には、外から眺めるだけでは分からない住民の日常が写っていました。その写真を展示する活動へ発展し、基町との関係が深まっていきます。2019年には自ら住民となりました。

「地域を研究するために外から通う」のではなく、自分自身がそこで暮らす人になるという選択が、その後の活動につながっています。

2022年に自治会長となり約150世帯の暮らしと向き合う

基町高層アパートでは、同じエレベーターを使う住戸群などを単位とした「コア」ごとに自治会があります。

板井さんが担当するのは第6コアです。

自治会長になるきっかけについて、本人は住民の高齢男性から任された経緯をユーモアを交えて語っていますが、実際の仕事はかなり幅広いものです。

共益費の徴収、建物の修繕管理、連合自治会の会議への出席など、アートとは一見関係のない日常的な仕事が続きます。

さらに基町では住民の高齢化だけでなく、多国籍化も進んでいます。

日本語だけの回覧では情報が十分に届かないため、中国語に加えてヒンディー語やネパール語などを併記する工夫も行われてきました。

若い自治会長が必要とされている背景には、単なる世代交代ではなく、異なる文化や世代をどうつなぐかという団地特有の課題があります。

アーティストとして「人の記憶」を作品に残している

板井さんが制作で大切にしてきたテーマの1つが記憶です。

基町で暮らす人を題材にした作品を制作するなど、歴史年表には残りにくい個人の記憶や日常へ目を向けています。

被爆や戦後復興という大きな歴史だけではありません。

住民同士のサークル活動、遊び、祭り、昔使われていた道具など、一見すると何気ないものにも、その場所で人が生きてきた証しがあります。

板井さんは、そうした「語られにくい記憶」に価値を見いだし、生活と制作の両方から基町と関わってきました。

自治会長として住民に近い場所にいる経験そのものが、作品づくりにもつながっています。

長年放置された地下倉庫から見つかったのは神輿

特に象徴的なのが、基町高層アパートの地下倉庫です。

長期間ほとんど手を付けられていなかった地下空間を整理すると、そこから地域で使われていた神輿が見つかりました。以前から倉庫には古い獅子舞など、住民の暮らしや行事を伝える品々も残されていました。

ただ物を捨てて倉庫をきれいにすることが目的ではありません。

「誰が使ったのか」「どんな行事で使われたのか」と記憶をたどれば、物そのものが地域の歴史資料になります。

そのため地下倉庫では、残されていた物品の整理や記録に加えて、住民の記憶を集め、展示や見学、回顧へつなげる地域アーカイブづくりが進められるようになりました。

倉庫整理が「片付け」ではなく「町の記憶を保存する活動」に変わったところが、この取り組みの面白さです。

地下倉庫の活動は「住まいのまちなみ賞」受賞につながった

板井さんたちが進めてきた地下倉庫の取り組みは、その後さらに大きく発展しました。

基町高層アパート第6コア自治会と広島大学の教員・学生が協力し、倉庫に残る品物の整理・記録、住民の生活の記憶の収集、展示などを実施。

この活動は第21回「住まいのまちなみコンクール」の「住まいのまちなみ賞」を受賞しました。

古くなった団地を単純に新しくするのではなく、そこに積み重なった生活文化も残しながら次の使い方を考える取り組みとして評価されたものです。

板井さんが関わった地下倉庫は、忘れられていた空間から、基町で暮らした人々の記憶を受け渡す場所へ変わり始めています。

基町高層アパートは戦後広島の復興を物語る巨大団地

板井さんの活動を理解するうえで欠かせないのが、基町高層アパートそのものの歴史です。

基町は広島城に近く、原爆投下後には深刻な住宅不足を背景として多くの木造住宅が建ち並んだ地域でした。

その住宅問題を解消するために整備された大規模な市営住宅が基町高層アパートです。

設計には建築家の大高正人らが関わり、住居だけでなく商店街、学校、集会所なども含めて、地域全体を1つの町としてつくる発想が採用されました。

基町地区だけでも2964戸という規模を持ち、折れ曲がるように連続する住棟や屋上庭園など、一般的な団地とは異なる独特の設計で知られています。

つまり板井さんが向き合っているのは、単なる築年数の古い市営住宅ではありません。

広島が戦後どのように人々の暮らしを再建してきたのかを、そのまま残している場所なのです。

基町プロジェクトでもアートと地域をつないできた

基町では広島市中区役所と広島市立大学が連携し、2014年度から基町プロジェクトを進めています。

文化芸術活動や地域交流を通じて基町を活性化し、「まなぶ」「つくる」「つなぐ」という3つの方向から町の新しい可能性を探る取り組みです。

板井さんも地域活性化に関わる活動に携わりながら、自治会長、大学院生、アーティスト、住民という複数の立場で基町に関わってきました。

行政や大学側から見る地域と、実際に毎日暮らしている住民から見える地域は必ずしも同じではありません。

その両方を知っていることが、板井さんならではの強みになっています。

2026年も基町の再生に関わり続けている

活動は地下倉庫整理だけで終わっていません。

2026年6月には、広島大学と台湾の大学による日台合同建築デザインワークショップが基町高層アパートを舞台に開催されました。

板井さんも第6コア自治会長として講義を担当し、住民の立場から団地が抱える課題や地域の実情を学生たちに伝えています。

学生たちは建築や空間デザインの視点から基町の再生方法を考えました。

かつて先輩アーティストに誘われて基町へ通い始めた板井さんが、今度は若い学生にこの町を伝える立場になっていることも印象的です。

記憶を受け取った人が、次の人へ渡していく。

板井さんの活動を追っていくと、自治会長という役割以上に、この流れが大きな軸になっていることが見えてきます。

基町高層アパートを訪れる際は住民の生活を最優先にする

基町高層アパートは建築としても知られているため、実際に見てみたい人もいるでしょう。

ただし、ここは観光施設ではなく現在も多くの人が暮らしている市営住宅です。

屋上庭園などは通常公開されておらず、建物を見る場合も住民のプライバシーへの配慮が必要です。外観を撮影する際にも、住戸や住民を不用意に撮影しないことが大切です。

歴史的な建築を見る場所であると同時に、「今も続いている暮らしを見る場所」でもあります。

板井さんの活動が伝えようとしている基町の価値も、建物だけではなく、そこに暮らしてきた人々の生活まで含めて初めて見えてくるものです。

参考リンク

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