鳥羽の「伝説の海女一家」は中川家、3世代で受け継いだ海女漁は今も続く
『頂点サマ(衝撃神業10連発&伝説の海女・秘境のチーズ職人に2泊3日見習いSP)(2026年9月3日)』で2泊3日の見習い生活が行われる鳥羽の海女一家。その中心となるのが、相差で長く海女漁を受け継いできた中川家です。祖母・母・娘の3世代が現役海女として活動した珍しい一家で、娘の中川静香さんは結婚後も松阪から鳥羽へ通って海に潜っています。さらに家族は民宿や海女小屋も営み、海女文化を「漁」だけではない形で次の世代へつないでいます。
この記事でわかること
- 鳥羽で知られる3世代海女・中川家の家族構成
- 中川静香さんが高校生で海女を目指した理由
- 結婚後も松阪から鳥羽へ通って海女を続けられる理由
- 民宿「なか川」とVISON「海女小屋 なか川」の現在
中川家は祖母・寿美子さん、母・早苗さん、娘・静香さんの3世代海女
鳥羽市相差町の中川家は、祖母の中川寿美子さん、母の中川早苗さん、娘の中川静香さんが海女として海に潜ってきた一家です。
3世代がそろって現役海女だったことから全国的にも知られるようになり、鳥羽市の観光キャンペーンにも3人で起用されました。
寿美子さんは16歳ごろから潜り始めたベテラン。早苗さんは相差へ嫁いだ後、海女だった義母・寿美子さんが獲ってきたアワビを宿泊客に出し、喜んでもらう姿を見たことから海女を目指しました。
そして3世代目が静香さんです。
母と祖母が海へ向かう姿を幼いころから見て育ち、高校生のころに自分も海女になることを決めました。
家業だから仕方なく継いだのではなく、家族が楽しそうに海へ潜る姿への憧れから、自分で海女の道を選んだことが中川家の物語で大切なところです。
中川静香さんは高校3年生で海女の道を選んだ
中川静香さんは1991年生まれ、鳥羽市相差町で育ちました。
海女を始める決意をしたのは高校3年生のころです。
大学へ進学してからも海女を続け、午前中に海へ潜った後に大学へ通い、帰宅すると実家の民宿を手伝う生活を送っていました。
当時は相差の若手海女としても珍しい存在でした。
2012年には「ミス伊勢志摩」のグランプリに選ばれ、祖母、母とともに鳥羽市の観光キャンペーンガールとして地域の魅力を発信しています。
海女として海に潜るだけでなく、
海女文化そのものを外へ伝える役割
まで担うようになったのです。
結婚して松阪へ移った後も鳥羽まで通って海女を続けている
静香さんの経歴で特に興味深いのが、結婚後です。
25歳で結婚し、鳥羽市から松阪市へ移りました。
普通なら、ここで海女を辞めても不思議ではありません。
海女漁には地域の漁業権が関係するため、結婚によって地域を離れることは、そのまま海女を続けられなくなる問題につながるからです。
しかし静香さんの場合、海女の高齢化や担い手不足を背景に新たなルールが作られ、松阪に住みながら鳥羽へ通って海女漁を続けられるようになりました。
海女を続けるために毎日海の近くに住まなければならない、という従来の形とは違います。
結婚や転居をしても海女を続けられる仕組みができたことは、後継者を残していくうえでも重要な変化です。
静香さんは松阪市ブランド大使としての活動も続けています。
中川家が暮らす相差は日本を代表する「海女の町」
中川家の物語を理解するには、相差(おうさつ)という土地も欠かせません。
鳥羽・志摩の海女文化は約2000年前までさかのぼるとされ、女性が素潜りでアワビ、サザエ、海藻などを採る文化が受け継がれています。
相差には海女や漁師の家族が営む宿も多く、漁と観光が生活の中でつながっています。
海女は酸素ボンベを使わず、自分の息だけで海底へ潜ります。
獲れるだけ獲るのではなく、漁をする時期や時間、採ってよい大きさなどを地域で管理し、海の資源を守りながら続けてきた漁です。
海女が単なる「素潜りの達人」ではない理由がここにあります。
海を読み、資源を残し、次の漁につなげることまで含めて海女の仕事なのです。
実家は現役の漁師と海女が営む「民宿旅館 なか川」

(出典:民宿旅館 なか川 | 宿泊 | 伊勢志摩観光ナビ – 伊勢志摩観光コンベンション機構公式サイト)
中川家は海女漁だけでなく、鳥羽市相差町で民宿旅館 なか川を営んでいます。
特徴は、旅館用に仕入れた魚介だけを提供するのではなく、現役の漁師や海女が関わって得た伊勢志摩の海産物を料理に使っていることです。
伊勢えび、アワビ、鯛など、相差らしい魚介を中心とした料理を楽しめます。
基本情報は次の通りです。
- 所在地:三重県鳥羽市相差町480
- 電話:0599-33-6868
- 貸切露天風呂あり
- 鳥羽温泉郷の温泉を利用
三世代海女の家族そのものが営んできた宿なので、単に「海女の町にある民宿」というより、海女の暮らしと相差の海の幸が直接つながった宿という点に大きな特徴があります。
中川家の海女文化はVISON「海女小屋 なか川」にも広がった
(出典:観光三重「海女小屋 なか川」)
中川家の活動は鳥羽だけにとどまりません。
三重県多気町の大型商業リゾートVISON(ヴィソン)には、中川家が営む「海女小屋 なか川」があります。
海女小屋を再現した空間で、伊勢えびやアワビをはじめとした海の幸を味わえる店です。
海女小屋のコースでは、新鮮な刺身や焼き貝などを提供。
現在は伊勢えびやアワビを組み込んだコースも用意されています。
- 伊勢えびコース:15,000円
- 鮑&松阪牛コース:15,000円
- 海女コース:18,000円
- スペシャルコース:25,000円
海女小屋のコース料理は前日までの予約制です。
海女に直接会うために鳥羽の漁場へ行くことが難しくても、食を通じて海女文化へ触れられる場所になっています。
中川家の長男・涼太郎さんは海女ではなく「料理」で文化を継いだ
中川家には、さらに興味深い次世代がいます。
静香さんの弟にあたる中川涼太郎さんです。
涼太郎さんは海女ではありません。
選んだのは料理人の道でした。
西洋料理を学び、VISONの「海女小屋 なか川」で料理長を務めるようになりました。
ここが、中川家の物語を「3世代海女」で終わらせない部分です。
涼太郎さんは自ら漁にも出て、釣った魚を料理に使用。母・早苗さんが採ったアワビや、実家の畑で育てた野菜なども組み合わせています。
提供する料理も自分で考案し、食材によって塩を使い分けるなど、昔ながらの海女小屋料理に西洋料理で学んだ技術を加えています。
後継者というと「同じ仕事を継ぐ」ことを想像します。
しかし中川家では、
祖母から母へ、母から娘へは海女として受け継ぎ、次の世代は料理を通じて海女文化を残す
という別の形が生まれています。
これはかなり面白い継承の形です。
海女が減る中で「仕事」だけでなく文化そのものを残そうとしている
鳥羽・志摩は今も日本を代表する海女の地域ですが、海女の人数は長期的に減少しています。
文化庁の日本遺産にも「海女に出逢えるまち 鳥羽・志摩」として認定されるほど歴史的価値の高い文化ですが、担い手がいなければ漁法だけを保存することはできません。
中川家が続けていることは、
海に潜ることだけではありません。
民宿で海の幸を提供する。
観光活動で海女を知ってもらう。
結婚後も通える形で海女を続ける。
VISONで海女小屋文化を伝える。
若い世代が料理人として海産物を扱う。
こうして見ると、家族の活動すべてが海女文化につながっています。
3世代海女として有名になった一家ですが、本当に興味深いのは、3世代の物語が終わった後も、形を変えながら次へつなげていることです。


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