佐藤善文が造った「おさとうやま」!東日本大震災で74人が無事に避難した山
宮城県東松島市の「おさとうやま」は、佐藤善文(さとう・よしふみ)さんが65歳から約12年かけて、たった1人で整備した私設の津波避難所です。
2011年3月11日の東日本大震災では、巨大な津波が押し寄せる中、この小さな山に74人が避難し、全員が無事でした。
2026年10月13日放送のテレビ東京『おてがらさん~秒で決断!あなたならどうする!?』では、周囲から理解されなくても津波への備えを続け、多くの命を守った佐藤さんの行動が取り上げられます。
佐藤さんが山の整備を始めたのは1999年。東日本大震災が発生する12年も前のことでした。
当時、野蒜地区は大きな津波被害を経験してこなかった地域で、避難所を造る必要性を疑問視する声もありました。
それでも佐藤さんは作業をやめず、山頂に避難小屋を建て、四方から登れる道を整備しました。
長年の備えが、2011年3月11日に多くの命を守ることにつながったのです。
この記事でわかること
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佐藤善文さんが65歳から「おさとうやま」を造り始めた理由
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12年間の整備で完成した避難路と避難小屋の仕組み
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東日本大震災で74人が無事に避難できた経緯
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防災絵本『おさとうやま』の誕生と現在に受け継がれる教訓
佐藤善文が整備した「おさとうやま」は宮城県東松島市にある
公式動画:宮城県復興支援・伝承課「私設避難所『おさとうやま』」
「おさとうやま」は、宮城県東松島市野蒜地区にある小高い山です。
野蒜海岸から約700m内陸に位置し、高さは約30m。周囲には住宅地が広がり、以前はJR仙石線の野蒜駅も近くにありました。
この山は、もともと自治体が整備した公共の避難施設ではありません。
地元に暮らす佐藤善文さんが、個人で土地を確保し、自分の手で津波から命を守る場所として整備したものです。
おさとうやまの基本情報
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名称:おさとうやま(佐藤山)
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所在地:宮城県東松島市野蒜地区
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整備した人物:佐藤善文さん
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整備開始:1999年
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山の高さ:約30m
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海岸からの距離:約700m
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避難路:東西南北の4方向
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山頂の設備:避難小屋、調理設備など
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東日本大震災での避難者:74人(佐藤さん本人の記録)
山には階段や手すりが整備されており、複数の方向から頂上へ向かえるようになっています。
山頂には小屋があり、電気やガス、テーブル、調理台なども備えられていました。
単に高い場所へ逃げるだけでなく、避難した人が一定期間過ごせることまで考えられた場所です。
1960年のチリ地震津波が避難所づくりの原点
佐藤さんが津波への備えを重視するようになった背景には、若い頃に経験したチリ地震津波があります。
1960年5月、南米チリで発生した巨大地震による津波が、太平洋を越えて日本の沿岸に到達しました。
宮城県の沿岸地域も大きな被害を受け、石巻市などでは浸水や建物の被害が発生しました。
当時20代だった佐藤さんは、この津波による被害を目の当たりにしています。
津波は、必ずしも身近な場所で起きた地震によって発生するとは限りません。
遠く離れた地域で発生した地震でも、津波が海を越えて押し寄せることがあります。
佐藤さんはその経験を通して、津波への備えの大切さを知りました。
その後、長い年月が経過しても、災害に対する意識を持ち続けていました。
やがて、自分たちが暮らす地域に安全な避難場所を確保する必要があると考え、具体的な行動を起こします。
65歳で会社経営を長男に任せ、1999年から山の整備を始めた
1999年、65歳になった佐藤さんは、長男に会社の経営を任せ、津波避難所づくりを本格的に始めます。
選んだのは、野蒜海岸から約700m内陸にある高さ30mほどの山でした。
当時の野蒜地区では、明治以降、大きな津波による被害が少なかったこともあり、津波に備える避難所が必要だという考えは、必ずしも地域全体に浸透していませんでした。
佐藤さんは市にも避難所の整備について相談しましたが、新しい避難所を造る予定はないという回答でした。
そこで、自分で山を整備することにしたのです。
避難所づくりの経緯
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1960年:チリ地震津波の被害を経験
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1999年:65歳で避難所づくりを開始
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1999年以降:山道、階段、手すり、山頂の小屋などを整備
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2011年3月11日:東日本大震災で74人が避難
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2014年:取り組みを伝える絵本の制作が始まる
避難所づくりは、行政の大規模な工事ではなく、佐藤さん自身の手作業が中心でした。
山を切り開き、避難路を造り、階段を設ける。さらに山頂には小屋を建て、避難生活を支える設備を整えていきます。
これらの作業は、短期間で完成するものではありません。
佐藤さんは10年以上にわたって整備を続け、少しずつ山を避難場所として使えるようにしていきました。
四方から登れる避難路と山頂の小屋が命を守る備えになった
おさとうやまの大きな特徴は、山頂へ向かう道が1本だけではないことです。
佐藤さんは東西南北の4方向から登れるよう、避難路を整備しました。
災害時には、どの方向から津波が迫り、どの道が通れなくなるか分かりません。
入口が複数あれば、住民がそれぞれの場所から避難しやすくなります。
また、急な斜面を登るための階段や手すりも設置しました。
佐藤さんが整えた主な設備
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山頂へ続く4方向の避難路
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斜面を登るための階段
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避難を助ける手すり
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山頂の避難小屋
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電気・ガス設備
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テーブルやソファ
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調理台
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暖を取るためのストーブ
避難小屋には、災害で孤立した場合にも対応できるよう、生活に必要な設備が整えられていました。
津波から逃げることと、避難した後に生き延びること。その両方を考えた準備だったのです。
高台へ避難しても、すぐに救助が来るとは限りません。
寒さや雨、食料不足など、避難後にもさまざまな問題が発生します。
おさとうやまは、そうした状況にも対応できる私設避難所として整備されていました。
2011年3月11日、74人が「おさとうやま」へ避難した
2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が発生しました。
東松島市の野蒜地区にも巨大な津波が押し寄せ、住宅地や海岸周辺に甚大な被害が発生しました。
佐藤さんが12年間にわたって整備してきたおさとうやまには、住民たちが避難してきました。
佐藤さん自身が残した2016年の記録では、避難した74人全員が無事だったとされています。
長い年月をかけて整備した階段や避難路、山頂の小屋が、実際の災害で役立つことになったのです。
避難者たちは津波から逃れ、山の上で夜を過ごしました。
しかし、地震と津波の被害によって周囲との交通は遮断され、すぐに救助される状況ではありませんでした。
自衛隊が到着したのは、震災発生から3日目でした。
その間、佐藤さんや避難した住民たちは山の上で過ごしました。
さらに、佐藤さんの妻は、家や避難所に残されていた米を炊き、避難者たちに食事を振る舞いました。
食事の提供は4〜5日間にわたって続けられています。
佐藤さんが整えた避難場所は、津波を避けるだけでなく、孤立した人たちの生活を支える場所にもなりました。
「津波は来ない」という地域の認識を超えて備えを続けた
おさとうやまの物語で特に重要なのは、2011年の震災よりも12年早く、佐藤さんが備えを始めていたことです。
当時、野蒜地区では、大きな津波が来ることを想定していない人もいました。
そのため、山を切り開いて避難所を造るという佐藤さんの取り組みに対して、必要性を疑う声もありました。
しかし、佐藤さんは整備を続けました。
過去に大きな被害がなかったからといって、将来も同じとは限りません。
実際に2011年の津波は、それまでの地域の経験を超える規模で押し寄せました。
ここで注目したいのは、佐藤さんが単に危険を訴えていたわけではないことです。
自分で土地を確保し、山を整備し、階段を設け、小屋を建てるという具体的な行動に移していました。
12年間の作業によって生まれたのは、誰もが目にすることができ、実際に避難に使える場所でした。
その長年の備えが、多くの命を守る結果につながりました。
防災絵本『おさとうやま』は2014年に制作が始まった
佐藤さんの取り組みは、東日本大震災の後、防災教育の教材としても広がっていきました。
2014年、当時京都大学の大学院生だった藤枝雅博さんと、イラストレーターのみたらしさんが、絵本『おさとうやま』の制作を始めました。
佐藤さんが1人で避難所を造り、多くの人の命を守った出来事を、子どもたちにも伝えるためです。
絵本は、佐藤さんの取り組みを昔話風に描いた作品です。
津波の恐ろしさだけを強調するのではなく、災害に備えることの大切さを、子どもにも理解しやすい形で伝えています。
絵本『おさとうやま』の情報
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作品名:おさとうやま
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制作:ふじえだ・みたらし
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制作開始:2014年
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電子書籍版:2014年に刊行
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紙の絵本・紙芝居:2015年に制作
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内容:佐藤善文さんが私設避難所を造った実話
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海外展開:英語、インドネシア語、ロシア語、ウクライナ語などに翻訳
この取り組みは、日本国内だけでなく、津波被害のある海外の地域へも広がりました。
また、防災紙芝居『おさとうやま』は、福島市内の幼稚園30園に贈呈されています。
園児たちは紙芝居を通して、海の近くで大きな地震が起きたときに、どのような行動を取るべきかを学びました。
1人の男性が造った小さな避難所の物語が、次の世代へ命を守る知識を伝える教材になったのです。
震災後も草花を植え、地域に親しまれる山へ
東日本大震災で多くの命を守った後も、おさとうやまの整備は続けられました。
2023年の取材時点では、佐藤さんは89歳になっていましたが、毎日のように山へ足を運び、管理を続けていました。
避難小屋の近くには東屋が設けられ、山には四季折々の草花も植えられています。
桜や紅葉、アジサイ、ヤマユリ、サルスベリなど、季節によって異なる植物を楽しめる場所になっています。
佐藤さんが草花を植えた背景には、普段から地域の人に立ち寄ってもらいたいという考えがありました。
災害のときだけ訪れる場所ではなく、日常生活の中でも身近に感じられる場所にする。
普段から場所を知り、そこへ向かう道に親しんでおくことは、非常時に行動するうえでも大切です。
山の管理には、佐藤さんだけでなく、草刈りなどを手伝う地域住民も加わるようになりました。
かつて1人で整備を始めた避難所は、地域の人たちにも支えられる場所へと変化していきました。
おさとうやまの所在地と防災に役立つ教訓
おさとうやまは、宮城県東松島市野蒜地区にある私設避難所です。
一般的な観光施設とは異なり、個人が長年管理してきた場所です。所在地を調べて訪問する際には、管理者や関係者の案内に従う必要があります。
所在地に関する情報
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地域:宮城県東松島市野蒜地区
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名称:おさとうやま(佐藤山)
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地形:約30mの小高い山
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旧野蒜駅付近に位置する私設避難所
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防災教材:絵本・紙芝居『おさとうやま』
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公式映像:宮城県復興支援・伝承課が公開
おさとうやまの事例から学べることは、避難先を決めておくだけでは十分ではないという点です。
災害時に安全な場所へたどり着くためには、普段から避難経路を知り、実際に歩いておくことも必要になります。
ただし、過去に安全だった高台でも、将来の津波に対する安全が保証されるわけではありません。
地域の津波ハザードマップや自治体が指定する緊急避難場所を確認し、地震発生時には最新の避難情報に従って行動することが重要です。
おさとうやまは、備えることを日常の行動に変えた佐藤さんの取り組みを、現在に伝える場所です。
まとめ
佐藤善文さんは、1960年のチリ地震津波で受けた衝撃を忘れず、1999年、65歳で私設避難所「おさとうやま」の整備を始めました。
周囲から必要性を疑問視されながらも、1人で山を切り開き、避難路や小屋を造り続けました。
そして12年後の2011年3月11日、東日本大震災が発生。
この山には74人が避難し、全員が無事でした。
佐藤さんの取り組みは絵本や紙芝居にもなり、国内外で防災教育に活用されています。
大きな災害が起こる前に、安全な場所を確保し、避難できるように準備しておく。
おさとうやまの物語は、長年の備えが実際に人の命を守ったことを伝えています。
参考リンク
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