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後藤圭司は元競輪選手から柔道整復師へ|声帯師・Mr.Children帯同・BMKGの現在【Switchで話題】

人物

後藤圭司は競輪から「身体を支える仕事」へ転身した人物

『Switch-背中を押してくれたあの人-(競輪選手から柔道整復師へ…後藤圭司さん)(2026年8月24日)』に登場する後藤圭司さんは、19年間プロ競輪選手として走った後、柔道整復師、ツアートレーナー、会社経営者へと仕事を広げてきた人物です。さらにMr.Childrenの櫻井和寿さんから「声帯師」と名付けられ、アーティストのライブ現場も支えています。競輪選手から現在の仕事へつながった転機を詳しく見ていきます。

この記事でわかること

  • 後藤圭司さんが元プロ競輪選手から柔道整復師になった経緯
  • 現役中に国家資格を取った理由とセカンドキャリア
  • Mr.Childrenなどのツアートレーナーになったきっかけ
  • 「声帯師」の意味とBMKG・fimm/eyjaでの現在の活動

後藤圭司は元プロ競輪選手の柔道整復師

後藤圭司さんは、19年間プロとして活動した元競輪選手で、現在は柔道整復師、運動実践指導者、ツアートレーナー、BMKG株式会社代表取締役として活動しています。

静岡県出身で、小学5年生のころから競輪選手を目指しました。中学生になるとロードレースチームへ入り、高校でも自転車競技を続けています。

高校卒業後に競輪学校への合格を目指しましたが、すぐに夢がかなったわけではありません。

17歳から試験を受け始め、20歳のときに8回目の挑戦で合格。21歳でプロデビューし、A級で5度優勝するなど、2014年まで19年間にわたって競輪選手として走り続けました。

現在の後藤さんを見ると、競輪から全く別の仕事へ移ったように感じます。

しかし実際には、競輪生活で徹底的に自分の身体と向き合った経験が、そのまま現在の仕事の土台になっています。

競技を知る人が施術をする。

ケガを経験した人が選手の不安を理解する。

さらにプロスポーツの厳しさを知る人が、次のキャリアに悩むアスリートを支える。

後藤さんの現在の仕事は、競輪選手だった19年間と切り離されたものではなく、競輪で積み重ねた経験を別の形で生かすセカンドキャリアになっています。

19年間の競輪生活とセカンドキャリアへの準備

後藤さんは当初、70歳まで競輪選手を続けるつもりだったと語っています。

しかし競輪は、時速60〜65kmほどに達することもある激しい競技です。

後藤さん自身もレース中の事故で脳挫傷や肺挫傷などの大きなケガを経験しました。

ケガでレースに出られなければ競走成績にも影響し、ランクや収入にも直結します。30代半ばになると、結婚したこともあり、競輪だけを続けていく将来について考えるようになりました。

意外な転機になったのが、競輪の出場停止期間に経験した自転車店でのアルバイトです。

それまでプロ競輪選手として活動していた後藤さんが、時給950円で接客の仕事を経験しました。

電話の取り方や接客、商品の仕入れ、販売など、それまで経験してこなかった一般社会の仕事を1から学ぶことになります。

最初は戸惑ったものの、どうすれば商品を買ってもらえるのかを考え、最終的には販売でも結果を出しました。

この経験から見えてくるのは、後藤さんが引退してから突然セカンドキャリアを始めたわけではないことです。

競技を続けながら、自分が競輪以外でも働ける力を少しずつ身につけていたことが、その後の経営にもつながっています。

現役中に国家資格を取得した転機

後藤さんが柔道整復師を目指した最初の理由は、開業や転職ではなく自分自身の身体をもっと理解したかったからでした。

競輪時代には多くのケガを経験し、病院、鍼、整体などさまざまな場所で身体のケアを受けていました。

ところが、自分の身体で起きていることを施術者や医師へうまく伝えられない。

そこで「身体について自分でも勉強したい」と考えるようになります。

柔道整復師を選んだ理由の1つには、資格取得後に独立開業できることもありました。

競輪選手としてレースに出ながら、3年間夜間の学校へ通い、国家資格を取得しています。

そして資格取得の時期に、大きな話が舞い込みました。

新豊洲にフットボールと音楽をテーマにした施設を作る計画があり、その中にケガへの対応や身体のコンディショニングを行うスペースを作らないかという話です。

その施設がMIFA Football Parkでした。

後藤さんは2014年、MIFA Football Park内に「ボディメンテナンス整骨院」を開業します。

しかも開業した時点では、まだ現役競輪選手でした。

ところがその後、レースで再び大きなケガを経験します。

施術する側になった自分がさらに大きなケガをして動けなくなれば、人の身体を支える仕事もできなくなる。

その出来事をきっかけに、整骨院を開業した2014年に競輪選手を引退しました。

競輪から柔道整復師への転身は、一瞬の決断ではありません。

自分のケガをきっかけに身体を学び、現役中に資格を取り、開業する機会が訪れ、最後に大きなケガが引退を決断させる。

いくつもの出来事が重なって現在の仕事につながっています。

Mr.Childrenなどのツアートレーナーになった経緯

後藤さんのキャリアがさらに大きく広がった場所もMIFA Football Parkでした。

MIFAは、Mr.Childrenの櫻井和寿さんとGAKU-MCさんが中心となって始めたプロジェクトで、音楽関係者やサッカー選手などさまざまな人が集まっていました。

後藤さんがライブの世界へ入るきっかけになったのは、意外にもフットサル中のケガです。

ゴスペラーズの安岡優さんがプレー開始後に肉離れを起こし、後藤さんが対応しました。

安岡さんには全国ツアーが控えていたため、その後も身体を診てもらえないかという依頼につながります。

これがアーティストへの出張メンテナンスとツアー帯同の出発点でした。

さらにライブの現場で知り合ったイベント関係者からSEKAI NO OWARIを紹介され、活動の幅が広がっていきます。

その後はMr.Childrenの櫻井和寿さん、SEKAI NO OWARI、SKY-HIなど、第一線で活動するアーティストの身体を支えるようになりました。

BMKGの活動記録には、Mr.Childrenの2024年アリーナツアーへの帯同も掲載されています。

2026年も活動は続いており、4月にはMr.Children Tour 2026 “Saturday in the park”、7月・8月にはSEKAI NO OWARI DOME TOUR 2026「THE CINEMA」への帯同が報告されています。

競輪選手時代に培ったコンディショニングの知識が、スポーツ選手だけではなく音楽ライブという全く違う世界でも生かされているのが、後藤さんのキャリアの大きな特徴です。

「声帯師」と呼ばれる独自の仕事

後藤さんを調べると目を引くのが、「声帯師」という肩書です。

ただし、声帯師という国家資格や公的な資格があるわけではありません。

後藤さん自身のインタビューによると、Mr.Childrenの櫻井和寿さんが名付けた呼び名です。

一般的なボディトレーナーの場合、筋肉や関節の状態を整えるイメージが強いですが、アーティストにとって声もパフォーマンスを左右する重要な要素です。

後藤さんはライブ帯同の際、身体のメンテナンスだけではなく、声が出にくくなったときの対応や食事の管理まで行う場合があると説明しています。

その人が何に困っているのかを見ながら対応方法を変えるため、後藤さん自身は仕事について「カラダコンサル」という表現が近いとも語っています。

競輪選手なら、練習量や競技動作を考えて身体を整える。

アーティストなら、長期間のツアーやライブ本番を見据え、身体だけでなく声を出すためのコンディションまで考える。

同じ施術を誰にでも行うのではなく、その人が最高のパフォーマンスを発揮するために何が必要なのかを見る仕事です。

その独自性を象徴している言葉が「声帯師」なのでしょう。

BMKGとfimm/eyjaで続ける現在の活動

後藤さんは2018年にBMKG株式会社を設立し、代表取締役を務めています。

BMKGではアスリートやアーティストへのコンディショニングだけでなく、サイクリングケア、トレーナー育成、イベント、地域活動、アスリートのセカンドキャリア支援などへ事業を広げています。

会社は2026年5月に設立7周年を迎えました。

さらに2024年には、HARUMI FLAGにfimm/eyja(フィムノエイヤ)をオープンしました。

こちらはパーソナルトレーニングと身体のメンテナンスなどを組み合わせた施設で、スタッフには現役または元アスリートが多く在籍しています。

後藤さん自身が競技引退後の仕事に悩んだ経験を持つため、fimm/eyjaにはアスリートの新しい働き口やセカンドキャリアを作るという目的も込められています。

施設では一般の利用者も身体のコンディショニングやトレーニングを受けられます。

全身ボディコンサルティングは45分8,800円、90分16,500円、130分23,100円などのメニューがあり、後藤さんを指名する場合は基本指名料5,000円が設定されています。所在地は東京都中央区晴海5丁目、HARUMI FLAG SUN VILLAGE F棟1階です。

後藤さんが競輪を引退して行き着いたのは、単に「柔道整復師へ転職した」というキャリアではありませんでした。

選手時代の身体感覚、ケガの経験、国家資格、経営、アーティストとの出会いをつなぎながら、現在はプロスポーツから音楽、一般の利用者、次のキャリアを考えるアスリートまで支えています。

競輪選手として自分の身体と向き合った経験が、今度は他の人の身体と人生を支える仕事へ変わった。

後藤圭司さんの19年間の競輪生活は、引退で終わったのではなく、現在の仕事へそのままつながっていることが分かります。

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