眞嶋優が1200kmのリフティング旅を任された理由
『世界で開け!ひみつのドアーズ(ニッポン応援!リフティング旅)(2026年8月26日)』で、ダラスからメキシコ・モンテレイまで1200kmを旅するのが俳優の眞嶋優さんです。なぜ俳優がリフティングで日本代表を応援する大役を任されたのでしょうか。実は3歳からサッカーに親しみ、リフティング2273回の記録を持つ本格派。サッカーを1度離れた転機から、特技を仕事へ変えた歩みまで見ていきます。
この記事でわかること
- 眞嶋優さんがどんな俳優・サッカー人なのか
- リフティング2273回という実力と得意技
- 1度サッカーを離れてからフリースタイルを始めた経緯
- JFA資格やアンバサダーなど現在につながる活動
眞嶋優はリフティング2273回の実力を持つ俳優
眞嶋優さんは、単に「サッカーが得意な俳優」というだけではありません。
所属先のプロフィールでは、特技としてサッカー、フリースタイルフットボール、リフティング2000回以上が挙げられています。さらに本人へのインタビューでは、リフティングの最高記録が28分間で2273回だったことも紹介されています。
また、JFA公認C級コーチ、サッカー4級審判員の資格を取得し、フリースタイルフットボールの公認アンバサダーとしても活動しています。競技を見るだけではなく、プレーする側、教える側、伝える側までサッカーとの関わりが広がっている人物です。
2026年のリフティング旅で「日本代表のサポーターを1000人増やす」という役目を担うのも、これまで積み重ねてきた活動を知ると納得できます。
3歳からサッカーを始め浦和でボールを追い続けた
眞嶋優さんは1997年8月30日生まれ。群馬県出身で、埼玉県で育ちました。
サッカーを始めたのは3歳ごろです。
幼いころを過ごしたのはサッカー文化の根付いた浦和。家族や友人と自然にボールを蹴る環境があり、浦和レッズの試合にも足を運んでいました。
さらに浦和レッズハートフルクラブでプレーした経験があります。ここに入ったことで「もっと上手くなりたい」という気持ちが強くなったと振り返っています。好きだったのはドリブルからシュートへ持ち込むプレーでした。
学校でも昼休みや放課後になると男子に混じってサッカーをするほどの生活で、小学生の女子チームではキャプテンも務めています。
今の華麗なリフティングだけを見ると、最初からフリースタイルの道を進んできたようにも見えますが、原点にあったのはごく普通の「サッカーが好きな少女」としての日々でした。
中学1年でサッカーをやめたことが大きな転機になった
そのまま競技を続けたわけではありません。
眞嶋優さんは5歳から子役として芸能活動もしていました。中学1年になると女子サッカー部を退部します。
芸能活動を続けるなかで、日焼けやケガのリスクが気になり、中途半端な気持ちでサッカーを続けることに迷いが生まれたためです。本人はこの決断をサッカー人生の大きな転機として振り返っています。
一見すると「サッカーを諦めた出来事」ですが、結果としてこの空白期間が後の活動につながりました。
競技選手として一本道を進むのではなく、俳優という仕事を続けながら、自分ならではの方法で再びボールと向き合うことになります。
18歳ごろにフリースタイルフットボールと出会った
再び本格的にボールを蹴り始めるきっかけになったのが、フリースタイルフットボールでした。
フリースタイルフットボールとは、サッカーボールを使ってリフティングやさまざまな技を組み合わせ、表現する競技・カルチャーです。
18歳ごろ、テレビでフリースタイルフットボールの特集を見て、「自分もこんな技をできるようになりたい」と練習を始めました。
意外なのは、最初から現在のようなリフティングの達人だったわけではないことです。
当時は右足なら50回ほどできたものの、左足は苦手でした。そこから両足で多彩な技を扱えるよう練習を重ねています。
サッカー経験が長ければ自然に高度なリフティングもできる、というわけではありません。現在の技術は改めて身につけたものなのです。
毎朝1時間以上の練習で2273回まで伸ばした
上達の裏には、かなり地道な練習がありました。
朝食後に近所の公園へ行き、毎朝1時間から1時間30分ほど1人で練習する生活を続けた時期があります。
その積み重ねによって、リフティングは2000回を超えるまでになりました。
得意技の1つがクリッパーストールです。
足を交差させ、インサイド付近でボールを止める技で、眞嶋優さんは立った状態でボールをまたいだり回したりするタイプの技を得意としています。
華やかな技ほど一瞬で成功しているように見えますが、実際には1人で同じ動作を繰り返す時間が圧倒的に長い世界です。
本人も、技が難しくなるにつれて練習をやめたくなる時期があったと語っています。それでもしばらくボールから離れるとまた触りたくなり、練習へ戻る。その繰り返しで技術を伸ばしてきました。
SNS動画の反響がリフティングを仕事に変えた
大きな転機となったのがSNSでした。
覚えたリフティング技を動画にして投稿すると反響が広がり、定期的に新しい技の動画を公開するようになります。
やがてフリースタイルフットボールの関係団体からイベントへの誘いが入り、趣味として練習していたリフティングが仕事につながりました。
ショート動画の中には500万回を超えて再生されたものもあります。
しかも反響は日本だけではありません。韓国、インドネシア、台湾、ブラジルなど海外にも視聴者が広がりました。言葉が違っても、ボール1つで技の面白さを伝えられるところがフリースタイルフットボールの強みです。
ダラスからモンテレイまで各地のサッカーファンと交流する企画にも、この経験がそのまま生きています。
JFA公認C級コーチ資格を取った理由
眞嶋優さんのサッカーへの関わり方は、技を披露するだけにとどまりません。
サッカー教室やイベントへの依頼が増えた際、「どう教えればいいのか」「説得力を持って指導するにはどうすればいいのか」と考え、JFA公認C級コーチ資格の取得を決めました。
さらにサッカー4級審判員資格も取得しています。
4級審判員は、地域のサッカー協会などに所属する団体・連盟が主催する試合を担当できる資格です。
特技を仕事にするだけなら、リフティング技術だけを磨く方法もあったでしょう。
そこから指導方法や競技規則まで学んでいるところに、眞嶋優さんの活動の特徴があります。
俳優とサッカーという2つの道がつながっている
眞嶋優さんの本業は俳優です。
子役時代から活動し、『天花』『名前をなくした女神』『ラジエーションハウス』などのドラマ、映画や舞台にも出演。映画『あらののはて』では門真国際映画祭助演女優賞を受賞しています。
一方で、サッカー関連の仕事も着実に増えてきました。
2025年にはスペイン・バルセロナを本拠地とするUEサン・アンドレウのアンバサダーに就任。クラブの魅力を世界へ発信する役割を担っています。
さらにフリースタイルフットボールのアンバサダー、群馬県渋川市の「日本のまんなか しぶかわ応援大使」としても活動しています。
俳優とサッカーを別々の仕事として持っているのではなく、2つを組み合わせることで独自の活動領域を作ってきた人物といえます。
ダラスからモンテレイ1200kmの旅はこれまでの活動の集大成
2026年8月、眞嶋優さんが挑むのは、アメリカ・ダラスからメキシコ・モンテレイまで約1200kmを移動しながらリフティングを披露する旅です。
目的は、旅先で出会った人々とサッカーを通して交流し、日本代表のサポーターを1000人増やすこと。
3歳から続いてきたサッカーとの縁、俳優として培った表現力、18歳ごろから磨いたフリースタイルの技、SNSを通じて国境を越えてきた経験。そのすべてを使う企画になっています。
眞嶋優さん自身は、女子サッカーの魅力を広め、子どもたちにサッカーの楽しさを伝えていきたいという目標も語ってきました。俳優としては、いつかサッカーを題材にした作品へ吹き替えなしで出演することも目標の1つです。
1度はサッカーから離れながら、自分にしかできない形で再びサッカーを仕事にした。その歩みを知ると、1200kmのリフティング旅は単なる特技を使った挑戦ではなく、これまでのキャリアの延長線上にあることがよく分かります。
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