歌手を目指した青年が小呂島の漁師になり島の未来をつくるまで
玄界灘に浮かぶ小呂島には、漁師として海に潜る一方、島の特産品開発やPRにも力を注いできた島田乾生さんがいます。『小さな旅(玄界灘の真ん中で 〜福岡市 小呂島〜)(2026年8月30日)』をきっかけに小呂島を知った人にとって意外なのが、島田さんがかつて3万人規模のボーカルオーディションで最終10人まで残った経歴です。漁師へ戻った転機から現在の島おこしまでたどります。
この記事でわかること
- 島田乾生さんが現在取り組む漁業と島おこし
- EXILEのボーカルオーディションで最終10人に残った経歴
- 歌手の夢から4代目漁師へ進んだ転機
- しまごはんやシーフードピザなど特産品との関係
島田乾生はEXILEオーディション最終10人から4代目漁師になった人物

島田乾生(しまだ・げんき)さんは、小呂島で代々続く漁師の家に生まれ、現在は漁師として働きながら島の魅力を発信している人物です。
島田家の漁師を継ぐ4代目である一方、若い頃から一直線に漁師だけを目指していたわけではありません。
19歳だった2010年、島田さんは「EXILE Presents VOCAL BATTLE AUDITION 2」に参加しました。
このオーディションは応募総数約3万通。1次審査を通過した378人、2次審査を通過した28人から、最後はわずか10人のファイナリストに絞られました。
その10人の中に島田乾生さんの名前があります。
一緒に最終10人へ残っていたのは、今市隆二さん、登坂広臣さん、片寄涼太さん、数原龍友さんら。その後、今市さんと登坂さんが三代目 J SOUL BROTHERSのボーカルに選ばれました。
現在の「小呂島の漁師」という姿だけを見ると、この経歴はかなり意外です。
しかも、歌手への挑戦は漁師人生と切り離された遠回りではありませんでした。島の外へ出た経験が、後に「小呂島を外へ伝える」という活動へつながっていきます。
歌手になる夢を追って島と東京を行き来した
島田さんは小呂島で生まれ育ちました。
高校卒業後は歌手を目指し、東京で音楽活動を経験しています。
島を離れたことで、小呂島には当たり前に存在していた美しい海や新鮮な魚、人同士の濃いつながりが、外から見れば大きな魅力であることにも気付いていきました。
歌手として活動していた時期にも、取材やライブなどを通して出身地の小呂島について話す機会があり、「島に住んでいなくても島のためにできることがある」という考えにつながったとされています。
プロの歌手になる夢を終えた後、島田さんは小呂島へ戻りました。
そこで待っていたのが、父とともに海へ出る漁師の仕事です。
単に「歌手を諦めて家業を継いだ」というだけではなく、島の外で身につけた発信力を漁師という仕事へ組み合わせたところが、島田さんの歩みの大きな特徴です。
水深約15mまで潜る素潜り漁にも取り組む
小呂島は玄界灘に囲まれた漁業の島です。
島田さんは船で行う漁だけでなく、素潜りで魚を突く漁にも取り組んできました。
水深約15mまで潜り、銛を使って魚を狙う姿も紹介されています。
玄界灘にはブリやヒラメだけでなく、タイ、クエ、アンコウなど多くの魚が回遊します。対馬海流が流れ込むことで栄養が豊富で、魚が育つ好漁場になっています。
素潜り漁は、大きな網で一度に魚を獲る漁とはまったく違います。
自分自身が海へ入り、魚を見つけ、狙った魚を1匹ずつ獲る世界です。
若い頃に歌で大舞台を目指した島田さんが、現在は玄界灘の海中へ潜って魚と向き合っている。その振れ幅の大きさも、島田乾生さんを知るうえで興味深いところです。
仲間が島を離れたことが島おこしへ動く転機になった
島田さんが漁以外の活動へ本格的に動き始めた背景には、人口減少があります。
小呂島では漁業が主要産業である一方、仕事の選択肢が限られています。
島田さんが島おこしを始める大きなきっかけとなったのは、同世代の漁師仲間5~6人が数年の間に島を離れたことでした。
本人だけでなく、家族が一緒に転出すれば島の人口は一気に減ります。
島に残る若者が減れば、漁業の担い手だけでなく、学校、地域行事、生活そのものにも影響します。
そこで島田さんは漁師の仕事を続けながら、「小呂島を知ってもらう仕事」にも力を入れるようになりました。
島外のイベントへの出店、特産品の販売、SNSなどでの情報発信、子どもたちを巻き込んだ企画など活動は幅広く、「漁師+島の広報マン」という役割を担っています。
「漁師カード」を子どもたちと作った理由
島田さんの島おこしで面白い取り組みの1つが漁師カードです。
小呂島の小学生たちが島の漁師を訪ね、趣味や好きな食べ物などをインタビュー。自分たちで写真も撮影して、漁師1人ひとりを紹介するカードを作りました。
完成したカードは島外でのイベントなどでも活用されました。
一見すると観光PR用の商品に見えますが、狙いはそれだけではありません。
小さな島で生活する子どもたち自身が、大人へ取材し、自分の故郷について外の人へ説明する経験になります。
「島に若者を残す」だけではなく、一度島を離れても故郷への愛着を持ち続けてもらう。
自分自身が島の外へ出た島田さんだからこそ、島外へ出ること自体を否定せず、その経験を将来の小呂島につなげようとしているところが印象的です。
「小呂島漁師のしまごはん」で天然ブリを商品に変えた

(出典:小呂島お取り寄せグルメ通販「こねくり」)
島田さんが関わってきた代表的な特産品が、「小呂島漁師のしまごはん」です。
小呂島で獲れた天然ブリを焼いてほぐし、瓶詰めにしたご飯のお供です。
島で昔から食べられてきた漁師料理「こねくり」がヒントになっています。
こねくりは、新鮮な魚をしょうゆなどの調味料で味付けして食べる料理。「しまごはん」は、その島の味を家庭でも楽しめる商品へ変えました。
島田さんは福岡市漁協小呂島支所加工部で、商品のPRや加工現場の改善などにも携わってきました。
商品を作る意味は、魚を売ることだけではありません。
魚に付加価値を付けることで漁業収入を補い、加工という新しい仕事を島につくることにもつながっています。
特に小呂島では、漁業以外の仕事が少ないことが人口減少の一因でした。
加工品が売れれば、島で暮らし続けるための新しい仕事も生まれる。島田さんたちの商品開発には、そんな狙いもあります。
小呂島の魚を使った「四角いシーフードピザ」も誕生

(出典:ピッツァ アル ターイオ公式通販)
さらにユニークなのが、おろのしまシーフードピザです。
島田さんがタッグを組んだのは、ローマ式の四角いピザを手がけるピザ職人・嶋岡圭吾さん。
小呂島で水揚げされたイサキとヤリイカを使った2種類のピザを約2年かけて開発しました。
イサキは鮮度を保つため高性能の凍結技術を利用。ピザ生地は水分量93%という高加水生地を18時間熟成させています。
2023年度の「ふくおか6次化商品セレクション」では福岡県議会議長賞も受賞しました。
漁師が魚を市場へ出荷して終わるのではなく、
漁師 → 加工 → 商品開発 → 販売 → 島のPR
までつなげているのがポイントです。
「島の魚がおいしい」と言うだけより、ピザという身近な料理にすることで、小呂島を知らない人にも興味を持ってもらいやすくなります。
歌手時代に培った「人へ伝える」という経験が、まったく違う形で生きているようにも見えます。
人手不足を背景に始まった底定置網漁にも挑戦
小呂島の漁業そのものも変化しています。
長く中心だったのはまき網漁でしたが、高齢化や漁師不足が進む中、新しい漁法として底定置網漁が導入されました。
底定置網漁は海中に網を設置し、入ってきた魚を引き上げる方法です。
まき網漁ほど多くの人手を必要とせず、荒れた海にも比較的対応しやすいという利点があります。
網にはブリ、イサキ、石鯛などさまざまな魚が入ります。
獲った後は鮮度を保つために処理し、島外の販売店へ届ける取り組みも進められてきました。
島田さんの世代に求められているのは、昔からの漁をそのまま守ることだけではありません。
人数が減っても続けられる方法へ変えながら、漁業そのものを次の世代へ残す仕事でもあります。
歌手の夢が漁師と島の広報マンという現在につながった
島田乾生さんの経歴で最も目を引くのは、やはり「EXILEのオーディション最終10人」という過去でしょう。
ただ、現在までたどると、それ以上に興味深いのは夢を変えた後の生き方です。
19歳で全国規模のオーディションへ挑戦し、今市隆二さんや登坂広臣さんらと同じ最終審査まで進んだ。
その後、小呂島へ戻って父と漁をし、今度は島の魚や文化を全国へ伝える側になりました。
天然ブリの加工品、シーフードピザ、漁師カード、イベント、SNS、そして新しい漁法。
活動は一見ばらばらに見えますが、中心にあるのはすべて**「小呂島を次の世代へ残すこと」**です。
歌手になるという夢そのものは別の道へ変わりました。
けれど、多くの人の前で自分を表現しようとした経験は、人口約160人の島を外へ伝える力として生き続けています。
島田乾生さんは、「元オーディションファイナリスト」という意外な経歴だけでなく、漁師という家業を現代の形へ変えながら故郷を守ろうとしている人物として、これからも気になる存在です。


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