河島ティヤナさんの1万円の善意は、その後ジャマイカとの特別な縁につながった
2026年9月8日放送の日本テレビ系『ザ!世界仰天ニュース』では、「絶体絶命の世界的有名人を救った日本人女性」の物語が紹介されます。番組公式では女性の実名を出していませんが、「初めての日本」「人生最大のピンチ」「偶然出会った日本人女性の善意」という予告内容と一致するのが、東京2020オリンピックでジャマイカの陸上選手ハンスル・パーチメントを助けた河島ティヤナさんです。
当時25歳だった河島さんが渡したのは、タクシー代としての1万円。その助けでパーチメントは110mハードル準決勝に間に合い、翌日の決勝で金メダルを獲得しました。
しかも物語はそこで終わっていません。約4年後の2025年、河島さんは家族とともにジャマイカへ正式に招待され、パーチメント本人とも再会しています。さらに東京五輪とは別に、フラメンコの世界でも本格的に活動してきました。
この記事でわかること
- 河島ティヤナさんがパーチメントを助けた1万円の出来事
- 東京五輪で担当していた仕事と、助ける決断をした経緯
- 約4年越しに実現したジャマイカ訪問とパーチメントとの再会
- 中村学園時代の経歴、日本とセルビアのルーツ、フラメンコでの活動
1万円の善意が東京五輪の金メダルにつながった1日

出典:河島ティヤナさん、パリ五輪モデルに ジャマイカ選手助け金メダル獲得手助け – サンスポ
すべてが始まったのは、2021年8月4日です。
ジャマイカ代表のハンスル・パーチメントは、東京五輪男子110mハードルの準決勝に出場するため選手村から競技会場へ向かっていました。
ところが、乗るバスを間違えてしまいます。
陸上競技が行われる国立競技場へ向かうはずが、別の競技会場へ到着。パーチメント自身も後に、音楽を聴きながら乗車したため途中まで間違いに気づかなかったと説明しています。
通常通り選手村まで戻って正しいバスに乗り直していたら、準決勝に間に合わない可能性がありました。
そこで助けを求めた相手が河島ティヤナさんです。
河島さんは専用タクシーを手配するだけでなく、自分の財布から1万円を渡しました。
大会のルールに従うだけなら、そこまで行動する必要はありません。それでも河島さんは、人生をかけて五輪に来た選手を「間に合わなかった」で終わらせたくないと考えました。
本人は後の取材で、知らない土地で試合を前に迷ってしまうことはあり得ること、そして「助けたい気持ち一心だった」という趣旨を語っています。
結果としてパーチメントは準決勝に間に合いました。
8月4日の準決勝では13秒23を記録して2着で決勝へ進出。そして翌8月5日の決勝では13秒04をマークし、優勝候補だったアメリカのグラント・ホロウェイを破って金メダルを獲得しました。
河島さんが金メダルを「獲らせた」という単純な話ではありません。
ただ、あの日あの場所で河島さんが動かなければ、パーチメントは準決勝のスタートラインに立てなかった可能性があります。
わずか1万円の善意が、五輪史に残る金メダルへつながる大きな分岐点になったのです。
25歳の大会スタッフだった当時の仕事と選手を助けた経緯
河島さんは当時、いわゆる一般の五輪ボランティアではなく、近畿日本ツーリストのスタッフとして輸送関連業務に携わっていました。
KNT-CTホールディングスの公式発表によると、正確には派遣会社からのスタッフとして、当時の株式会社近畿日本ツーリスト首都圏の業務に従事していました。
競技会場のバス乗降場で、選手をはじめとする大会関係者を案内・誘導するのが仕事です。
つまり、パーチメントが迷い込んだ場所に河島さんがいたこと自体は偶然ですが、交通や選手誘導に関わる仕事をしていたため、状況を理解して次の行動に移れたわけです。
パーチメントから事情を聞いた河島さんは現場責任者へ相談し、専用タクシーを手配しました。
問題はタクシー代でした。
そこで自分のお金から1万円を渡します。
大切なのは、相手が有名な陸上選手だから助けたわけではないことです。
『ザ!世界仰天ニュース』の予告にも「彼が有名人だとは知らぬまま」とあります。河島さんにとって目の前にいたのは、時間がなく困っている1人の選手でした。
この「相手の正体を知らずに助けた」というところが、後の展開をさらに印象的にしています。
2021年にはKNT-CTホールディングスからも、その機転と行動に対して改めて感謝が伝えられました。
ハンスル・パーチメントが公開した恩返し動画と世界的反響
物語が世界中に知られるきっかけになったのは、今度はパーチメントの行動でした。
金メダルを獲得した後、自分を助けてくれた女性を探しに行ったのです。
再び河島さんのいた場所を訪れ、借りたお金を返却。さらにジャマイカ代表チームのウェアをプレゼントし、金メダルも見せました。
その様子をパーチメント自身がSNSで公開しました。
河島さんにしてみれば、慌てている選手を助けただけです。
ところが、その選手が翌日にはオリンピックチャンピオンになり、金メダルを持って戻ってきたのですから、映画のような展開です。
動画は海外でも広く取り上げられ、河島さんの存在が一気に知られるようになりました。
2025年にジャマイカ政府機関Jamaica Information Serviceが改めてこの出来事を紹介した際にも、パーチメントが五輪後に約3分間の動画で河島さんへ感謝を伝えたことが記されています。
河島さん自身も2021年の「毎日スポーツ人賞」で特別賞を受賞しました。
当時は周囲から称賛されても、「自分のほうこそ感謝したい」という姿勢を見せています。
人を助けた側と助けられた側の双方が感謝を返し続けたことが、このエピソードが何年たっても語られる理由なのかもしれません。
約4年越しで実現したジャマイカ招待とパーチメントとの再会
実は、東京五輪直後からジャマイカ側は河島さんを国へ招待する計画を進めていました。
ジャマイカ観光相エドモンド・バートレットは2021年8月、河島さんに対してジャマイカ旅行を贈ることを正式に表明しています。
しかし、新型コロナウイルスの影響などで渡航は延期されました。
そして約4年を経た2025年2月、ようやくジャマイカ訪問が実現します。
ジャマイカ政府のJamaica Information Serviceによると、河島さんは2月17日に家族とともに現地入りし、政府関係者や観光関係者から歓迎を受けました。
しかも単なる観光旅行ではありません。
ジャマイカ観光省によると、河島さんは母のYukiさん、弟のAndrijaさんとともに滞在し、キングストンのボブ・マーリー博物館でパーチメントと再会しました。
東京で偶然出会った2人が、約4年後にパーチメントの母国で再会したことになります。
旅ではダンズ・リバー・フォールズなどジャマイカを代表する場所も訪れました。ジャマイカ側は河島さんと家族を約1週間もてなし、国として感謝を表しています。
2021年の「タクシー代1万円」だけを知っている人にとって、この2025年の展開はかなり新鮮です。
一度きりのニュースではなく、4年後まで続く交流になっていたのです。
中村学園卒業生として知られる経歴と日本・セルビアのルーツ
河島ティヤナさんは福岡の中村学園女子高等学校を卒業しています。
学校法人中村学園の公式情報では、日本とセルビアにルーツを持つ卒業生として紹介されています。
さらに、中村学園大学短期大学部の卒業生でもあります。
2022年には中村学園大学・中村学園大学短期大学部の創立記念式典に登壇し、新入生約1300人を前に東京五輪での体験や当時の気持ちを語りました。
テレビで河島さんを初めて知ると、「五輪スタッフだった女性」という印象が強くなりますが、経歴を追っていくと、それだけの人物ではありません。
福岡で学び、国際的なルーツを持ち、東京五輪では輸送関連の仕事に携わり、その後はフラメンコでも本格的な舞台へ進んでいます。
偶然の1日だけではなく、その前後の人生を調べるほど人物像が見えてくるタイプです。
五輪とは別に続けてきたフラメンコへの挑戦
河島さんを調べるうえで、もう1つ外せないのがフラメンコです。
東京五輪のニュースだけを見ると意外に感じますが、河島さんはフラメンコを本格的に続けてきました。
2023年には公益財団法人スペイン舞踊振興MARUWA財団が主催する第12回CAFフラメンコ・コンクールに出場。
一次予選、二次予選を突破し、本選8人の1人に選ばれています。
本選では「アレグリアス」を披露しました。
CAFフラメンコ・コンクールはフラメンコ舞踊家が技術と表現力を競う場なので、「昔フラメンコを習っていた」というレベルではなく、本格的に取り組んできたことが分かります。
さらに2024年には、フラメンコ専門誌『FARRUCA』で「次世代マルティスタ」「注目の若きアルティスタ」の1人として河島さんが紹介されています。
そこでは、これまで挑戦してこなかった新しいことに取り組みたいという思いも語っていました。
東京五輪で世界的に知られた後も、その知名度だけに頼るのではなく、自分自身の表現活動を続けていたことが分かります。
一度の善意から大きく変わった人生と現在までの活動
河島さんの2021年以降を時系列で見ると、この出来事が「一瞬のバズ」で終わっていないことがよく分かります。
2021年8月、パーチメントを助けた出来事が世界に拡散。
同年12月には「毎日スポーツ人賞」の特別賞を受賞し、KNT-CTホールディングスからも改めて感謝を受けました。
2022年には母校の中村学園で学生たちに自身の経験を伝えています。
2023年にはCAFフラメンコ・コンクール本選へ進出。
2024年にはフラメンコ界の若手注目アーティストとして紹介されました。
そして2025年2月、約4年待ったジャマイカ訪問が実現。パーチメントとの再会も果たしました。
そして2026年9月には、『ザ!世界仰天ニュース』が改めてこの物語を取り上げます。
河島さん自身がオリンピック選手だったわけではありません。
それでも、「困っている人を目の前にしたときにどう行動したか」というたった1つの選択が、オリンピック金メダリスト、日本とジャマイカの交流、そして自身の人生まで大きくつないでいきました。
そこが、このエピソードのいちばん印象的なところです。
河島ティヤナさんを調べるときに知っておきたい名前の表記
河島さんは資料によって名前の表記が少し違います。
日本では主に、
- 河島ティヤナ
- ストイコビッチ河島ティヤナ
と表記されています。
一方、ジャマイカ政府の2025年の公式資料では、
Teiyana Kawashima Stojkovic
と表記されています。2021年の資料には「Tijana」表記もあります。
そのため、現在の活動やジャマイカでの記事を探す場合は、日本語名だけでなく「Teiyana Kawashima Stojkovic」でも検索すると情報を見つけやすくなります。
また、東京五輪当時は「ボランティア女性」と紹介される記事も多くありますが、KNT-CTホールディングスの公式発表では、派遣スタッフとして近畿日本ツーリストの輸送関連業務に従事していたことが確認できます。
まとめ
河島ティヤナさんは、東京2020オリンピックでハンスル・パーチメントが準決勝会場へ向かうバスを間違えた際、タクシーを手配し、自分のお金から1万円を渡した大会スタッフです。
パーチメントは準決勝に間に合い、翌日の決勝で男子110mハードルの金メダルを獲得しました。
金メダル獲得後には河島さんを探し出し、お金を返してジャマイカ代表のウェアをプレゼント。その動画が世界へ広がりました。
さらに、この物語には続きがあります。
ジャマイカ政府からの招待はコロナ禍などで延期されたものの、2025年2月に約4年越しで実現。河島さんは母や弟とジャマイカを訪れ、ボブ・マーリー博物館でパーチメントとの再会を果たしました。
一方、河島さん自身は東京五輪の話題だけでなく、2023年にはCAFフラメンコ・コンクールの本選に進出するなど、フラメンコの世界でも挑戦を続けてきました。
2026年9月8日の『ザ!世界仰天ニュース』をきっかけに初めて知った人にとっては、「1万円を渡した女性」から「その後4年間続いた物語」まで知ると、印象がかなり変わる人物です。
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