はらだまさこさんが「母の味」を未来へ残すまで
福岡で喫茶店を開き、食べることと料理することを大切にしてきたはらだまさこさん。『24時間テレビ49(芳根京子が取材 もしもキッチンに立てたなら 難病ALSの母が子どもに残したい命のレシピ)(2026年8月30日)』では、ALSとともに暮らしながら、子どもたちへ自分の味を残そうとする姿が描かれます。料理との出会いから喫茶店、診断後に始めたレシピ作り、出版した本までをたどります。
この記事でわかること
- はらだまさこさんが現在取り組んでいること
- 福岡の喫茶店「Sounds Food Sounds Good」を始めた背景
- ALSと診断されてからレシピを書き始めた経緯
- 『もしもキッチンに立てたなら』に収められた料理と家族への思い
はらだまさこさんは「母の味」をレシピに残す料理家

(出典:徳間書店「もしもキッチンに立てたなら」発売記念イベント)
はらだまさこさんは1981年、愛知県豊橋市生まれ。福岡でオーガニック喫茶店「Sounds Food Sounds Good」を開き、自ら料理を作ってきた料理家・喫茶店オーナーです。
2021年に長女を出産した後、足に違和感を覚え、2023年にALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されました。その後、以前のように自由に料理をすることが難しくなる中で始めたのが、子どもたちに自分の味と記憶を残すためのレシピ作りでした。
2026年には、そのレシピと自身の歩みをまとめた『難病ALSのママが綴るいのちのレシピ もしもキッチンに立てたなら』を出版しています。
料理を仕事にしてきた人が病気によってキッチンから離れ、それでも「料理を残す」という別の方法を見つけたことが、はらださんの現在につながっています。
料理の原点は豊橋の食卓と世界を巡った経験
はらださんが育った愛知県豊橋市は、喫茶店文化が根付いた地域です。
子どものころから親戚や友人が集まるにぎやかな食卓に親しみ、中学生になるとお菓子作りに夢中になり、高校時代には地元の喫茶店でアルバイトを経験しました。
その後、夫の賢介さんと結婚。長男の誕生後には、幼い子どもを連れて日本と海外を行き来する暮らしも経験します。
旅先で出会った料理や食文化は、後に自分の店を持ったときのメニューへとつながっていきました。タイで出会った料理から生まれたグリーンカレーなど、単にレシピを覚えるのではなく、土地で食べた経験そのものを料理へ持ち帰っているのが特徴です。
料理は、はらださんにとって「食事を作る作業」というだけではありませんでした。
家族との記憶、旅先で出会った人や味、自分が育った土地で親しんだ料理。それらを自分なりの一皿にすることが、仕事にも生活にもつながっていきます。
福岡で開いた「Sounds Food Sounds Good」と鉄板ナポリタン

2018年、はらださん夫妻は福岡に「Sounds Food Sounds Good(サウンズ フード サウンズ グッド)」をオープンしました。
食材や調理方法にこだわりながら、自分たちがおいしいと思える料理を提供する小さな喫茶店です。
代表的なメニューの1つが鉄板ナポリタン。
はらださんの出身地・愛知で親しまれてきた鉄板スパゲティをベースにしながら、ベーコンや手作りのトマトソース、チーズなどを組み合わせた一皿です。
パスタをゆでた後に寝かせてもっちりした食感にし、半熟の卵と合わせるなど、昔ながらの喫茶店料理をそのまま再現するのではなく、自分の味へ作り替えています。
鉄板ナポリタン以外にも、旅先で出会った料理や家庭で作ってきた料理があります。
だからこそ後にレシピを書き残すことは、単なる料理手順の記録ではなく、はらださん自身が生きてきた時間を残すことにもなりました。
2023年のALS診断が生活と料理を大きく変えた
大きな転機となったのが2023年のALS診断です。
長女を出産した2021年ごろから足に違和感があり、その後ALSと診断されました。
ALSは、筋肉そのものではなく、筋肉を動かすための指令を伝える運動ニューロンが主に障害される病気です。手足やのど、舌、呼吸に必要な筋肉などに力が入りにくくなっていきます。国の指定難病にもなっています。
料理人にとって、手や足を自由に使えなくなることの影響は小さくありません。
食材を切る、鍋を持つ、火の前に立つ、盛り付ける。これまで自然にできていた1つ1つの作業が難しくなっていきます。
はらださんにとって特につらかったのは、料理という仕事だけでなく、母親として子どもにごはんを作る日常まで変わっていったことでした。
それでも料理そのものとのつながりを手放したわけではありません。
そこで生まれたのが、「自分が作れなくなっても、味を残すことはできる」という発想でした。
不自由になった手で子どもたちのためのレシピを書き始めた
はらださんが残そうとしたのは、有名店の料理だけではありません。
子どもたちがこれまで家で食べてきた料理や、いつか作ってあげたい料理、自分が旅先で出会って好きになった味まで含まれています。
身体を自由に動かすことが難しくなっていく中でも、レシピを書きためていきました。出版社の著者紹介にも、「子どもたちに自分の味と記憶を残したい」と、不自由な手でレシピを書き始めたことが記されています。
ここで大切なのは「レシピ」という形です。
料理そのものは食べればなくなります。しかし、材料や作り方、その料理にまつわる記憶を書き残せば、子どもたちが大人になった後にも再び作ることができます。
母親本人がその場に立てなくても、子どもがレシピを見ながら作れば、同じ食卓へつながっていく。
タイトルの「もしもキッチンに立てたなら」には、もう一度料理をしたいという思いだけでなく、自分の代わりに未来の誰かがキッチンへ立つことまで含まれているように読めます。
『もしもキッチンに立てたなら』には17品のレシピを収録

その思いが1冊になったのが、『難病ALSのママが綴るいのちのレシピ もしもキッチンに立てたなら』です。
2026年3月21日に徳間書店から発売されました。
- 著者:はらだまさこ
- 発売日:2026年3月21日
- 価格:1,870円(税込)
- ページ数:176ページ
- 収録レシピ:17品
- ISBN:9784198661731
レシピだけを並べた一般的な料理本ではなく、ALSと診断された日のこと、料理との出会い、喫茶店を始めるまで、家族との暮らし、キッチンへの思いなどを綴ったエッセイ&レシピ集になっています。
収録されている料理には、
鉄板ナポリタン
青唐辛子のグリーンカレー
子どもたちに作りたいお弁当
家庭で食べてきた自然派の料理
などがあります。
つまり、プロの料理人として見せるための料理だけではありません。
家族にとって「あの味」と思い出せる料理が中心です。
料理本でありながら、はらださんの人生を料理からたどる本にもなっています。
発売直後に重版されテレビをきっかけに大きく読まれた
『もしもキッチンに立てたなら』は、発売直後から大きな反響がありました。
発売後には重版され3刷となり、2026年3月23〜24日にはAmazon売れ筋ランキング総合1位を記録しています。
注目したいのは、テレビで人物を知った人が、その後に本まで手に取っていることです。
「ALSと生きる母親」という人物紹介だけでなく、
なぜ料理がこれほど大切なのか。
どんな料理を子どもへ残したかったのか。
病気になる前はどんな生活をしていたのか。
喫茶店ではどんな料理を作っていたのか。
こうした部分をさらに知りたい人にとって、本そのものが答えになっています。
2026年3月29日には福岡の六本松 蔦屋書店で発売記念イベントも行われ、書籍作りを支えた人たちとともに、1冊ができるまでの物語が語られました。
長男タカラくんが受け継ぐ「母の味」
今回の企画で重要な存在となるのが、長男のタカラくんです。
13歳になったタカラくんが、芳根京子さんと一緒に母の味を再現する料理へ挑戦します。
これは単に「子どもが料理を作る」という企画ではありません。
はらださんが書き残してきたレシピが、実際に次の世代へ渡っていく場面でもあります。
料理は、作った本人と同じ手つきでなくても受け継ぐことができます。
材料や分量だけではなく、「どんな味にしたかったのか」「誰に食べさせたかったのか」という記憶まで分かっていれば、その料理は家族の中で残り続けます。
はらださんがレシピを書き始めた理由と、息子がその料理へ挑戦することが、ここで1本につながります。
現在は料理を「作る」だけでなく「伝える」活動へ
はらださんは、料理を自分の手で作ることだけを料理との関わり方にはしていません。
2025年7月からは生活誌のウェブサイトで連載を始め、2026年には本を出版。料理や家族との記憶を、文章やレシピとして伝える活動へと広がっています。
喫茶店で料理を提供していた時代には、目の前のお客さんへ料理を届けていました。
本になれば、その味は福岡から遠く離れた家庭にも届きます。
そして子どもたちがいつか同じ料理を作れば、さらに先の時間にも残っていきます。
「おいしい=幸せ」というはらださんが大切にしてきた考えは、料理を作れるかどうかだけで終わるものではありません。
店で作ってきた料理、家族の食卓、17品のレシピ、子どもたちが覚えている味。
そのすべてが、はらだまさこさんが残そうとしている「母の味」につながっています。


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