津久司が再び暖簾を出すまでの2年4か月
2024年の能登半島地震で休業を余儀なくされた、石川県能登町・宇出津の寿司店津久司(つくし)。『24時間テレビ49(ヒューマングルメンタリー オモウマい店「能登のずっと明るい寿司親子 2026年夏」編)(2026年8月30日)』では、店主の坂津世史さんと息子の葵くんを震災後から約2年半追った日々が描かれます。再開までの道のり、能登を離れなかった理由、現在の営業や訪問前に知っておきたいことまでまとめます。
この記事でわかること
- 津久司が2026年4月25日に再開するまでの経緯
- 坂津世史さんと葵くんが「ずっと明るい寿司親子」と呼ばれる理由
- 震災後に全国を回った出張寿司と店を宇出津で再建した理由
- 現在の営業時間・順番待ち・場所など訪問時のポイント
津久司は2026年4月25日に2年4か月ぶりの営業再開
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(出典:TVer「能登のずっと明るい寿司親子」)
津久司は2026年4月25日、能登半島地震による休業を経て2年4か月ぶりに営業を再開しました。
場所は震災前と同じ石川県鳳珠郡能登町宇出津新97-1。店を別の地域へ移すのではなく、坂津世史さんが寿司を握ってきた宇出津で再スタートしています。
再オープン当日は午前3時30分から仕込みを開始。店の前には開店を待つ人が集まり、震災から845日となる11時30分に暖簾を掲げました。
その前には、4月13日から約1週間、これまで支えてくれた地元の人たちを招き、寿司や料理を無料で振る舞う期間も設けています。単に営業を再開するのではなく、まず地元への感謝を料理で返すところから店を動かし始めたのが印象的です。
再開時の目標について、坂さんが掲げたのは特別な成功ではなく、地震前の状態に戻すことでした。
2年以上閉まっていた店に再びお客さんが入り、カウンター越しに寿司を渡せる。この何気ない光景そのものが、津久司にとって大きな節目になっています。
坂津世史さんと葵くんは2022年から追われてきた「寿司親子」

(出典:Locipo「石川県能登町『津久司』ずっと明るい寿司親子に密着」)
店主は坂津世史(さか・つよし)さん。
最初の取材は2022年5月。当時45歳だった坂さんと、小学1年生だった葵くんの父子2人の暮らしが紹介されました。葵くんは父を「トット」と呼び、店のカウンターでも家でも父子の軽快なやり取りが続きます。
津久司が知られるようになった理由は安い寿司だけではありません。
坂さんが料理を作り、それを葵くんがおいしそうに食べる。ふざけ合ったかと思えば、仕事になると坂さんは魚に向き合う。そんな父子の日常そのものが店の魅力になっています。
葵くんは成長するにつれ、電話番や洗い物、魚やカニの仕込みなども手伝うようになりました。
さらに将来についても、父のような寿司職人になりたいと話しています。
坂さんにとって店を復活させる原動力の1つが、この葵くんの存在でした。
震災で店と自宅が被害を受けても宇出津での再開を選んだ
2024年1月1日の能登半島地震で、親子の生活は大きく変わりました。
津久司周辺では道路が破損し、漏水も発生。店を営業できなくなり、自宅も生活できないほどの被害を受けました。
復旧が進まない中でも、坂さんは「あの場所でもう一回やりたい」と宇出津での再開を目指します。
その後、実家を解体し、親子2人で再スタートする決断もしました。2026年1月1日には、地震発生時刻に津久司の前で2人そろって黙とうを捧げています。
再開までには店の設備そのものを戻す必要がありました。
2026年2月には水道工事、3月にはガス器具や湯沸かし器を交換。照明、コンセント、エアコンなどの電気工事も進められ、ようやく厨房で再び料理ができる環境が整っていきます。
店を開けるというのは、暖簾を戻すだけではありません。
水が出る。火が使える。魚を仕込める。お客さんを座らせられる。
震災前には当たり前だった1つ1つを積み直して、2026年4月25日の再開へたどり着きました。
店を開けられない間は「出張寿司」で能登の魚を全国へ届けた

津久司が休業している間、坂さんは寿司職人としての仕事を止めたわけではありません。
始めたのが出張寿司です。
週末になると車で各地へ向かい、能登の魚を持ち込んで寿司を握りました。
当時の出張寿司では約15種類の寿司を用意。能登へ戻ると次の出張に向けて再び魚を仕込みます。市場に集まる魚が少ない時期には、必要な魚を集めるだけで約1週間かかることもありました。
それでも続けた理由の1つが、能登の魚を知ってもらうことも復興につながるという考えでした。
店は閉まっていても、寿司を握れば能登と全国をつなぐことができる。
熊本県天草市や長野県佐久市など各地へ足を運び、店が再開するまで寿司職人としてできることを続けました。
2024年9月には能登半島豪雨にも見舞われます。
地震から立ち上がろうとする途中で再び大きな災害が起き、坂さん自身も何をすればいいのか葛藤しました。それでも魚を仕込み、出張寿司を続けています。
津久司の再開までの物語が長く追われてきたのは、この「休業→復旧」だけではなく、店を開けられない期間にも寿司を握り続けた時間があったからです。
能登の地魚を安く味わえるのが津久司の特徴

(出典:Locipo「津久司 新鮮地魚の握り12貫ランチ」)
津久司は宇出津港の近くにある寿司・魚料理店です。
特徴は、能登で水揚げされる魚を使った寿司を手頃な価格で提供していること。
震災前には、能登の地魚12貫にミニミニ漬け丼などが付く「大盛寿司ランチ」を1,000円で提供していました。
2026年の再オープンに向けたプレ営業では、寿司10貫+珠洲産のりを使った汁物の「寿司ランチ」1,200円が用意されています。
宇出津のしょうゆを使った漬けダレに、タイ、ブリ、サーモンなど複数の魚を漬けた「ミニミニ漬け丼」も作られました。
能登町は定置網漁が盛んで、季節によってブリ、アジ、カワハギ、ノドグロ、アンコウなど多様な魚が水揚げされます。
津久司では、魚をすぐ握るだけでなく、魚によって下処理を変えたり数日寝かせたりしながら旨みを引き出す技術も生かされています。
安さだけを見れば「激安寿司店」ですが、津久司の本当の強みは、能登の魚を状態に合わせて食べさせる寿司職人の仕事にあります。
「能登のずっと明るい寿司親子」が放送文化基金賞を受賞
津久司の物語は、テレビ番組としても評価されています。
震災後の親子を追った「ヒューマングルメンタリー オモウマい店 能登のずっと明るい寿司親子 2024-2025」は、第51回放送文化基金賞のエンターテインメント部門奨励賞を受賞しました。
評価されたのは、単に「被災した店が頑張っている」という内容ではありません。
ニュース映像だけでは見えにくい、
店が開かない日常。
親子で食事をする時間。
父の料理を食べる息子。
復旧を待ちながら魚を仕込む仕事。
震災から1年の日に2人で黙とうする姿。
そうした日常を継続的に記録した点が特徴です。
葵くんが坂さんの握った塩むすびを食べながら語ったのが、自分の日常は父の料理を食べることという思いでした。
店が休業しても、父が作り、息子が食べる日常は続いていた。
その日常が、店の再開へ向かう2人を支えてきました。
2026年夏は再開後の「普通の日常」が描かれる
2026年4月25日に津久司が戻ったことで、物語は「再開できるか」から「再開した後、親子がどう暮らしているのか」へ移りました。
8月30日の企画では、震災以降の親子を約2年半にわたって記録した中から、葵くんの運動会や父の日などが取り上げられます。
運動会では、寿司職人である坂さんが息子のために本気のお弁当を作る様子も登場。
さらに父の日には、葵くんから坂さんへプレゼントが贈られます。
震災直後の映像とは違い、一見するとごく普通の親子の日常です。
しかし津久司にとっては、その「普通」が2年以上かけて取り戻してきたものでもあります。
店を開ける。
料理を作る。
息子が食べる。
学校行事へ行く。
お客さんを迎える。
復興を大きな建物や数字だけで見るのではなく、1組の親子の日常が戻っていく過程から見られるのが、この企画の大きな特徴です。
津久司の営業時間と順番待ちで知っておきたいこと
津久司へ実際に行くなら、再開後の営業方法にも注意しておきたいところです。
津久司
住所:石川県鳳珠郡能登町宇出津新97-1
ランチ:11:30〜14:00
定休日:日曜日・月曜日
電話:080-2402-3533
場所:宇出津港近く
再開後の公式Instagramでは、11時30分開店で、朝8時から順番待ちの記名を受け付ける案内が出ています。テレビで取り上げられた直後は来店が集中しやすいため、遠方から向かう場合は特に重要です。
一般的なレストランのように「予約して時間になったら入店」という前提ではなく、ランチは記名による順番待ちを想定しておいた方が動きやすいでしょう。
出張握りについては専用電話として同じ番号が案内されています。
営業日や記名方法は変わる場合があるため、訪問する日は津久司公式Instagramの営業案内を確認してから向かうのがおすすめです。
宇出津まで足を運ぶ意味は、テレビに出た店を見ることだけではありません。
坂さんが離れずに再開を目指した場所で、再び寿司を握っている。そのカウンターで能登の魚を食べること自体が、震災後の津久司の現在を知ることにつながります。


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