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藤原綾が42歳で鹿児島・霧島へ移住した理由|平屋と仕事・近所付き合い

人物

藤原綾のシングル移住は「老後の孤立」への不安から始まった

2026年9月10日放送の『見取り図の間取り図ミステリー』では、東京から鹿児島へ単身移住し、広い一戸建てで仕事と田舎暮らしを両立する女性が取り上げられます。番組公式では女性の実名までは示されていませんが、「東京から鹿児島へ1人で移住」「フリーランスの仕事を継続」「平屋暮らし」といった条件は、霧島市へ移住した編集者・ライターの藤原綾さんの歩みとよく重なります。藤原さんが42歳で住み慣れた東京を離れた背景には、単なる田舎暮らしへの憧れではなく、家族との別れや将来の孤立を考えた大きな人生の転機がありました。

この記事でわかること

  • 藤原綾さんが42歳で東京から霧島市へ移った理由
  • 購入した平屋と鹿児島での一人暮らし
  • 移住後も続ける編集者・ライターとしての仕事
  • 母との死別や離婚、地域の人々とのつながりが現在へどうつながったか

42歳で東京から鹿児島へ移った人生の転機

藤原綾さんは1978年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、大手生命保険会社に勤務し、その後、宝島社へ転職しました。ファッション誌の編集を経験したのち、2007年に独立。編集者・ライターとして、ファッションや美容だけでなく、ライフスタイル、アウトドア、文芸、ノンフィクションなど幅広い分野の仕事に携わってきました。

長く東京で仕事を続けてきた藤原さんが、40代になって突然すべてを捨てたわけではありません。

移住を考える大きなきっかけになったのは、父親の突然の死でした。藤原さんは高校生のころに母親を亡くし、その後に離婚も経験しています。父を見送ったことで、自分自身が年齢を重ねた先の暮らしを現実的に考えるようになりました。

東京のマンションでは友人に恵まれ、仕事も続いていました。それでも地域との関係は薄く、自分が高齢になったときに周囲とのつながりを持たないまま生活することへの不安が残りました。

藤原さんが考えたのは、「今、孤独だから地方へ行く」ということではありません。

30年先の自分を想像し、これからも同じ場所、同じ暮らし方でいいのかを見直したのです。本人は移住について、都会で将来孤立することへの不安から離れるための選択だったと振り返っています。

そして2021年、40年以上暮らした東京を離れ、鹿児島県霧島市で新しい生活を始めました。

霧島市で選んだ一人暮らしの平屋

移住先として藤原さんが選んだのは、鹿児島県霧島市です。

霧島に決めた理由の1つには、祖母との縁がありました。そして藤原さんが好きだった温泉を日常的に楽しめることも、大きな決め手になっています。

霧島市で見つけたのは、築20年以上の平屋でした。

自宅には車庫兼倉庫と畑があり、周囲にも畑が広がります。市街地までは車で約20分という環境で、都会のマンション暮らしとは生活そのものが大きく変わりました。

購入した家は、そのまま住み始めたわけではありません。

1人暮らしに合わせ、内部の壁を取り払って広い空間へ改装しました。MBC南日本放送の取材では、家の購入費と改装費を合わせても、東京に所有していたマンションの半額以下だったと紹介されています。

移住というと、山や海の景色に惹かれて勢いで決断するイメージもありますが、藤原さんの場合はかなり現実的です。

仕事を続けられるか、生活費はどうなるか、災害への備えはどうするか、家をどう維持するか。こうした問題も一つずつ考えたうえで、東京から約1000km離れた鹿児島へ生活の拠点を移しています。著書の目次にも「仕事、生活費、災害対策」「東京と鹿児島の持ち家、二重ローン」といった項目が並び、移住の現実的な部分まで記録されています。

編集者・ライターとして仕事を続ける現在

藤原さんは、鹿児島へ移住して仕事そのものを辞めたわけではありません。

現在につながる本業は、フリーランスの編集者・ライターです。

東京でなければ成立しないと思われやすい仕事ですが、オンラインでできる打ち合わせや執筆は霧島で進め、取材や撮影など対面でなければ難しい仕事を東京へ行ったときにまとめて行うスタイルへ切り替えました。移住後のインタビューでは、1か月のうち約1週間を東京で過ごす生活を紹介しています。

その背景には、コロナ禍を経てリモートワークが一般化したこともありました。

藤原さん自身、取材や打ち合わせをオンラインで行える環境が整っていなければ、地方移住の決断は難しかったと語っています。

つまり「東京の仕事を捨てて田舎へ行った」のではなく、東京で築いてきたキャリアを持ったまま、生活する場所を鹿児島へ変えたのが藤原さんの移住です。

さらに霧島での活動も広がりました。

公開プロフィールでは編集・執筆に加え、「FMきりしま」のパーソナリティや第一工科大学の非常勤講師としても活動。2025年11月には、霧島へ移住して丸4年が経ったことを本人が記し、地域の子どもたちが文化芸術に触れる活動にもメッセージを寄せています。

東京の仕事を地方から続けるだけではなく、暮らしている地域にも少しずつ仕事や活動の軸ができてきたことが分かります。

母との死別と離婚を経て考え始めた将来の暮らし

藤原さんの移住を理解するうえで、家族についての経験は切り離せません。

高校生のころに母を亡くし、その後に結婚と離婚を経験。そして父親も突然亡くなりました。

父の死をきっかけに藤原さんの頭に浮かんだのが、将来、自分が自宅で亡くなったときに「誰が気づいてくれるのだろう」という問題でした。

これは単純に「1人でいるのが寂しい」という話ではありません。

当時も東京には友人がいて、仕事もありました。それでもマンションでは隣人についてほとんど知らず、災害や病気、高齢化を考えたとき、助け合える地域とのつながりがないことに不安を感じていました。

そのため移住先を選ぶとき、藤原さんが求めたのは誰とも会わない静かな田舎暮らしではありませんでした。

むしろ、昔ながらの地域共同体が残り、人と人が自然につながる場所です。

仕事の便利さや都会での刺激よりも、食べること、眠ること、人と話すこと、近所で助け合うことなど、日常生活そのものを大切にできる環境へ価値観が変わっていきました。

知人のいない地域で築いた近所とのつながり

霧島へ移ったからといって、最初から地域の一員だったわけではありません。

単身で知らない土地へ入っていく以上、自分から関係を作る必要がありました。

藤原さんは移住を考える人へのアドバイスとして、不動産会社から周辺住民や自治会の情報を教えてもらったこと、そして移住後は「怪しい人ではない」と地域に知ってもらう努力が必要だと話しています。

その積み重ねから、霧島では東京時代になかった人間関係が生まれました。

MBC南日本放送の取材では、近所に住む西喜代子さんとの交流が紹介されています。西さんが煮しめやおこわを持って藤原さん宅を訪れ、一緒に食事をするほどの関係になりました。藤原さんにとって西さんは母親のような存在になり、西さんも藤原さんを娘のように感じていると語っています。

温泉も、地域とつながる場所になりました。

日常的に同じ温泉へ通うことで顔見知りができ、世間話を交わし、野菜や手作りの料理をもらうこともあるといいます。

さらに地区の農産物直売所でレジを担当したり、小学校で地域の魅力について話したりと、藤原さん自身も「住ませてもらう人」から地域の一員へ少しずつ変化していきました。

藤原さんが求めていた「孤立しない場所」は、家を買っただけで手に入ったものではありません。

近所へ挨拶し、人と話し、地域の活動へ加わることで、自分から作ってきたものだったことが分かります。

『42歳からのシングル移住』に残した移住のリアル

藤原さんの体験は、2023年2月3日に集英社から刊行された『女フリーランス・バツイチ・子なし 42歳からのシングル移住』にまとめられています。

256ページ、定価1,650円(税込)のノンフィクションです。

この本の面白さは、移住後の素敵な暮らしだけを紹介していないところです。

家探しから引っ越し、リフォーム、仕事、生活費、車の免許、東京との往復、二重ローン、畑仕事、ご近所付き合い、そして地方へ移ったあとにも残る孤独まで扱っています。

「都会を離れれば幸せになれる」という単純な話ではありません。

フリーランスとして収入を得続ける不安もあり、東京との往復には交通費がかかります。車が必要な土地では運転も覚えなければならず、地域との距離が近いからこその付き合いもあります。

その一方で、藤原さんは移住後、空気や水、食べ物、温泉、近所との交流など、東京では意識しなかったものに豊かさを感じるようになりました。

2025年には霧島への移住から丸4年を迎えています。

42歳のときに始めた「人生後半の暮らしを作り直す」という挑戦は、一度の引っ越しで完成したのではなく、仕事を続け、地域との関係を深めながら今も続いています。

実用情報

書籍名:『女フリーランス・バツイチ・子なし 42歳からのシングル移住』
著者:藤原綾
出版社:集英社
発売日:2023年2月3日
価格:1,650円(税込)
ページ数:256ページ
ISBN:978-4-08-788087-8

移住先:鹿児島県霧島市
仕事:編集者・ライター
そのほかの活動:FMきりしまパーソナリティ、第一工科大学非常勤講師としての活動実績あり

霧島市では移住・定住情報や空き家バンクを市公式サイトで公開しています。藤原さん自身の移住体験を紹介するページも設けられています。

まとめ

藤原綾さんが42歳で東京から鹿児島県霧島市へ移った背景には、父親の突然の死をきっかけに、自分の人生後半を真剣に考え始めたことがありました。

高校生で母を亡くし、離婚も経験。東京では編集者・ライターとして仕事を続けながらも、年齢を重ねた先に地域から孤立することへの不安を感じるようになります。

そこで選んだのが、温泉と自然があり、昔ながらの人とのつながりが残る霧島でした。

築20年以上の平屋を購入してリフォームし、東京中心だった編集・ライターの仕事はリモートを組み合わせて継続。近所の人との食事、温泉での会話、農産物直売所や地域での活動を通して、東京では持てなかったコミュニティも築いてきました。

『42歳からのシングル移住』に記されているのは、「憧れの田舎暮らし」だけではありません。お金、仕事、家、孤独、人間関係まで含めて、自分がこれからどこでどう暮らしたいのかを考え直した記録です。

東京で積み上げた仕事を手放さず、暮らす場所だけを大きく変える。藤原さんの霧島移住は、仕事か生活かの二者択一ではなく、自分に合った人生後半の形を作り直した選択だったのです。

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