「安打製造機」張本勲さんが背負ってきた知られざる苦難
2026年9月13日放送の『Mr.サンデー』では、「喝!」で知られた張本勲さんの“安打製造機の反骨人生”が特集されます。
日本プロ野球史上最多の通算3085安打。華々しい数字の一方で、張本さんは幼少期の右手の大やけど、広島での被爆、姉の死、貧しい少年時代など、野球選手になる以前からいくつもの苦難を経験していました。
それらを長く表に出すことなく、実力でプロ野球界の頂点まで上り詰めた人生をたどります。
この記事でわかること
- 張本勲さんが残した通算3085安打という記録
- 4歳のころに負った右手の大やけど
- 5歳で経験した広島への原爆投下と姉の死
- 数々の逆境を抱えながら「安打製造機」と呼ばれるまでの歩み
張本勲さんは2026年9月9日に86歳で死去
日本プロ野球名球会は、張本勲さんが2026年9月9日午後、86歳で亡くなったことを発表しました。
張本さんは1959年に東映フライヤーズへ入団。新人王を獲得すると、その後は日本を代表する打者として長く活躍しました。
現役23年間の主な記録は、
- 通算2752試合
- 通算3085安打
- 通算504本塁打
- 通算1676打点
- 通算打率.319
- 首位打者7回
- MVP1回
- ベストナイン16回
という圧倒的なものです。
とりわけ3085安打は2026年9月現在もNPB歴代1位。2位の野村克也さん2901安打、3位の王貞治さん2786安打を上回っています。
1980年5月28日にはロッテ時代に、日本プロ野球史上初となる通算3000安打を本塁打で達成しました。
4歳で右手に大やけど 野球選手には大きなハンディだった
張本さんの野球人生を語るうえで欠かせないのが、幼少期に負った右手の大けがです。
京都市が公開している過去の人権情報誌では、張本さんは4歳のときに右手へ大やけどを負ったと紹介されています。
野球殿堂博物館も、幼年期の大火傷によって右手に不自由が残りながら、それを乗り越えてプロ野球界を代表する左打者になったと記録しています。
プロ野球選手にとって、手の自由が利かないことは大きなハンディです。
それでも張本さんは、その事実を前面に出して同情を求めるのではなく、結果によって自らの価値を証明していきました。
日本記者クラブの会見リポートでは、こうした右手の後遺症について、現役当時はほとんど語らなかったことも紹介されています。
後に「安打製造機」と呼ばれた打者の出発点には、人には見えにくいハンディとの闘いがありました。
5歳で広島の原爆を経験 姉を亡くした
右手の大けがから間もない1945年8月6日、張本さんはさらに大きな出来事に直面します。
当時5歳。広島市で原爆に遭いました。
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の被爆体験記には、張本さんについて、
- 被爆時年齢:5歳
- 被爆地:広島
- 被爆場所:広島市段原新町
- 直接被爆
と記録されています。
張本さん自身だけでなく、家族も原爆によって大きな被害を受けました。
特に大きかったのが、姉を亡くしたことです。
日本記者クラブの記録でも、張本さんが広島で原爆に遭い、姉を亡くした経験が紹介されています。
戦後80年となった2025年にも張本さんは原爆の記憶を語り、戦争を繰り返してはならないという思いを改めて伝えていました。
野球界では豪快な発言で知られた張本さんですが、その背景には幼いころに経験した戦争の記憶がありました。
差別や貧困も現役時代にはほとんど語らなかった
張本さんが背負っていたのは、右手のけがや被爆だけではありません。
日本記者クラブは張本さんの少年期について、在日韓国人としての差別、貧困、原爆被爆、姉の死、右手の大けがといった複数の困難があったとしています。
それでも現役時代には、そうした事情をほとんど語らなかったと記録されています。
兄がタクシー運転手として働きながら学費を支えてくれたことや、プロ入り時の契約金の一部で広島に家を購入し、母へ贈ったことも日本記者クラブの会見で明かされています。
後年になって張本さんは、家族や被爆について少しずつ語るようになりました。
新日本出版社から2010年に出版された著書『張本 勲 もう一つの人生 被爆者として、人として』でも、右手のハンディ、被爆体験、家族との関係などが本人の言葉でつづられています。
「安打製造機」の3085安打は現在も破られていない
張本さんの最大の代名詞が「安打製造機」です。
東映、日拓、日本ハム、巨人、ロッテでプレーし、23年間で積み重ねた安打は3085本。
2026年9月11日時点でもNPB歴代最多です。
さらに、
- 504本塁打
- 319盗塁
- 1676打点
- 1523得点
- 通算打率.319
を記録しています。
単にヒットを積み重ねただけではありません。
長打力を持ちながら走ることもでき、長期間にわたって高い打撃成績を維持した選手でした。
1990年には、その功績が評価され野球殿堂入りしています。
引退後は「喝!」で球界のご意見番に
現役引退後の張本さんを広く知られる存在にしたのが、テレビでの野球評論でした。
特に『サンデーモーニング』のスポーツコーナー「週刊御意見番」では、長年にわたり「喝!」と「あっぱれ!」でスポーツ界を論評。
歯に衣着せぬ発言は、ときには賛否を巻き起こしました。
2023年刊行の著書『これだけは言っておきたい 最後の喝!』では、現役23年、御意見番23年を振り返りながら、野球への考えを語っています。
厳しい言葉が注目される一方、その人生をさかのぼっていくと、幼いころから逆境の連続でした。
だからこそ『Mr.サンデー』が予告する「反骨人生」という言葉は、張本さんの野球人生だけでなく、生涯そのものを表しているといえそうです。
まとめ
張本勲さんは、日本プロ野球史に残る通算3085安打を記録した「安打製造機」です。
しかし、その大記録の背景には、
- 4歳で負った右手の大やけど
- 5歳で経験した広島への原爆投下
- 原爆による姉の死
- 貧しい少年時代
- 差別を受けた経験
など、いくつもの苦難がありました。
それらを現役時代にはほとんど語らず、野球の結果で自らを証明していった張本さん。
2026年9月9日に86歳で亡くなりましたが、3085安打という日本記録と、その裏側にあった人生は、これからも日本プロ野球史に残り続けます。
『Mr.サンデー』では、私たちが知る「喝!」の張本勲さんとはまた違った、“安打製造機”の反骨の歩みが描かれます。
参考リンク
おすすめ関連商品
- 張本 勲 もう一つの人生 被爆者として、人として
- これだけは言っておきたい 最後の喝!


コメント