参加者0人から問い合わせ182件へ 大川博さんのトルコ語楽旅行と串本での現在
2026年9月28日放送の日本テレビ『月曜から夜ふかし』で、和歌山県在住の大川博さんと「参加者がいないトルコツアー」が再び取り上げられました。
以前の放送では参加者が1人もいなかった旅行でしたが、その後は番組をきっかけに問い合わせが殺到。9月28日の放送では、問い合わせが182件に達したことが明らかになりました。
現在は「トルコ語楽旅行」として内容を充実させ、大型観光バスではなく列車や船、長距離バスなどを利用してトルコを巡る少人数の旅行として展開されています。大川さんは参加者と現地で合流し、通訳や同行サポートをしながら、ともに旅をします。公式サイトでも2026年秋の旅行日程が案内されています。
さらに大川さんは2024年夏、トルコと深い歴史的な縁を持つ和歌山県串本町へ移住しました。トルコ・中央アジアで17年間暮らした経験から現在の「トルコ語楽旅行」、そして串本での生活まで、大川さんの活動には一貫してトルコとのつながりがあります。
この記事でわかること
- 参加者0人だった旅行に問い合わせ182件が集まった経緯
- 「トルコ語楽旅行」で大川博さんが行う通訳・同行サポート
- トルコと中央アジアに17年間滞在した大川博さんの経歴
- 2024年夏に移住した串本町とトルコの深いつながり
大川博のトルコ旅行に問い合わせ182件
大川博さんが『月曜から夜ふかし』で最初に注目されたきっかけは、独自に行っているトルコ語検定でした。
その中で紹介されたのが、大川さんがトルコで行っていた旅行企画です。
食事は各自で自由に取り、旅行の途中から参加したり、都合に合わせて離れたりできる柔軟なスタイル。しかし最初の放送時点では、参加者はまだ1人もいませんでした。
ところが放送後に状況が一変します。
「旅行に参加したい」という問い合わせが増え、2026年9月28日の放送時点では182件に達していました。
誰も参加していなかった旅が、テレビ出演をきっかけに大きな反響を集めた形です。
現在、大川さんの公式サイトでは、この旅行を「トルコ語楽旅行」として案内しています。9月28日にテレビで紹介された旅行を、その後さらに充実させた企画であることも掲載されています。
トルコ語楽旅行は通訳や同行サポートを受けながら一緒に旅する
「トルコ語楽旅行」は、大川さんが観光地を案内して回る一般的なガイド付きツアーとは異なるスタイルです。
大川さんはトルコ現地で参加者と合流し、
- 必要な場面で通訳する
- 移動や旅の途中で参加者をサポートする
- 参加者とともに現地を旅する
という形で同行します。
つまり、大川さんがツアーガイドとして参加者を率いて観光地を案内するのではなく、トルコを一緒に旅しながら、言葉や現地での移動を支えるという形です。
公式サイトでは、大型観光バスではなく、
- 列車
- 船
- 長距離バス
- ドルムシュ
などの公共交通機関を使って旅をする少人数旅行と説明されています。
トルコ語を話せなくても参加でき、途中参加や途中離団も可能です。
決められた観光地だけを短時間で巡るパッケージツアーというより、現地の交通機関を使いながら移動そのものも楽しむ旅になっています。
番組でトルコの観光ガイド制度が話題になった理由
9月28日の放送では、トルコでの観光ガイドをめぐる制度についても話題になりました。
番組では、トルコでは観光ガイドという仕事に関する制度があり、大川さんが報酬を受けて現地の観光ガイドとして活動する形になれば問題になる可能性がある、という点が取り上げられています。
そこで重要になるのが、大川さんの「トルコ語楽旅行」での役割です。
大川さんが行うのは、現地の観光ガイドとして観光地を案内することではありません。
参加者とともに旅をしながら、必要なときに通訳をしたり、旅行中の参加者を支えたりする同行サポートです。
そのため「大川先生が案内してくれる観光ツアー」という捉え方ではなく、トルコに長く暮らした大川さんと一緒に現地を旅する旅行と考えると、その特徴が分かりやすくなります。
大川博はトルコと中央アジアに17年間滞在
大川博さんは1959年9月22日、大阪市生まれ。
大阪外国語大学やイスタンブル大学でトルコ語を学び、その後はトルコと中央アジア諸国に合計17年間滞在しました。
主な滞在歴は、
- 1982~1986年:イスタンブル
- 1986~1990年:アンカラ
- 1991~1992年:タシュケント
- 1992~1993年:ビシケク
- 1993~1997年:アルマトゥ
- 1997~1999年:ビシケク
- 1999~2000年:サマルカンド
です。
各地の大学でトルコ諸語を研究し、語学教育にも携わりました。カザフスタンのアルマトゥ国立大学大学院修士課程を修了しています。
帰国後は青年海外協力隊関係の語学講師、外務省研修所講師、名古屋外国語大学非常勤講師などを歴任。現在もトルコ語講座やオンライン講座、独自のトルコ語検定などを行っています。
「トルコ語楽旅行」も、こうした長年の経験の延長にある活動です。
2024年夏に和歌山県串本町へ移住
大川さんは2024年夏、和歌山県串本町へ移住しました。
2026年に刊行された著書のプロフィールにも、2024年にトルコと縁の深い串本町へ移住したことが記されています。
串本町を選んだ背景にあるのが、この土地とトルコの深い歴史です。
始まりは1890年9月16日。
オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が日本への親善使節としての任務を終え、帰国する途中、串本町大島の樫野崎沖で遭難しました。
乗組員656人のうち587人が亡くなる大惨事となりましたが、地元住民たちは生存者の救助や介抱に力を尽くしました。
串本町では、この出来事が日本とトルコの交流を語るうえで重要な歴史として受け継がれています。現在も樫野崎にはトルコ軍艦遭難慰霊碑があり、その近くにはエルトゥールル号の模型や遺品、写真などを展示するトルコ記念館があります。
エルトゥールル号から136年たった今も続く交流
エルトゥールル号遭難から136年となった2026年9月16日にも、串本町の樫野崎で追悼式典が行われました。
式典にはトルコ共和国関係者も参加し、犠牲となった人々への黙とうや献花が行われています。
串本町とトルコの交流は、遭難事故の記憶だけにとどまりません。
トルコのメルシン市とは姉妹都市交流に発展し、メルシン市内には串本の慰霊碑と同じ碑も建てられています。
長年トルコや中央アジアで暮らしてきた大川さんにとって、こうした歴史を持つ串本への移住は、これまで続けてきたトルコとの関わりにつながるものでした。
串本でトルコ人旅行者と交流する暮らし
串本には現在も、エルトゥールル号遭難の地や慰霊碑を訪れるトルコ人旅行者がやって来ます。
大川さんも町でトルコ人旅行者と出会うと声をかけ、トルコ記念館や慰霊碑を一緒に訪れることがあります。
ときには自宅に招き、お茶を飲みながら交流することもあります。
かつてトルコで暮らし、トルコ語を研究し、帰国後も長年トルコ語を教えてきた大川さんにとって、串本での生活もまたトルコとの関わりの続きです。
旅行企画だけを見るとユニークな「参加者0人のトルコ旅行」ですが、その背景には数十年にわたる大川さんとトルコとの付き合いがあります。
串本ではトルコ語講座も継続
現在、大川さんは串本町でトルコ語講座も開催しています。
2026年10月からの講座は、
- 会場:串本町「タイヨウのカフェ」
- 講師:大川博さん
- 初心者コース:『ニューエクスプレストルコ語』を使用
- 既習者コース:『ステップアップトルコ語』を使用
- 入会費:不要
- 年会費:不要
- 受講料:不要
となっています。
オンラインでは入門から上級までの講座も行っており、トルコ語を教える活動は現在も続いています。
2026年秋のトルコ語楽旅行
公式サイトでは、2026年秋の「トルコ語楽旅行」として第3回から第6回までの日程が案内されています。
- 第3回:10月5日~10月18日
- 第4回:10月19日~10月25日
- 第5回:10月26日~11月1日
- 第6回:11月2日~11月11日
旅行では公共交通機関を利用しながらトルコ各地を巡ります。
さらに「健康伝統食とスローシティの旅」「トルコからイランへ向かう旅」「シルクロード9カ国陸路の旅」などの旅行プランも掲載されています。
大川博の著書
大川さんはトルコ語や中央アジアの言語に関する書籍も手がけています。
主な著書・関連書籍には、
- 『ニューエクスプレスプラス トルコ語』
- 『ステップアップ トルコ語』
- 『NHKテレビ アジア語楽紀行 旅するトルコ語』
- 『らくらく旅のトルコ語』
- 『日本語・ウズベク語学習小辞典』
- 『カザフ語・日本語会話集』
などがあります。
2026年には『ニューエクスプレスプラス トルコ語[音声DL版]』も刊行されました。著者紹介には、串本町への移住や現在のトルコ語講座・検定の活動も掲載されています。
実用情報
「トルコ語楽旅行」や大川さんの活動については、「トルコ語ひろば」で最新情報を確認できます。
- 名称:トルコ語楽旅行
- 形式:現地で合流して一緒に旅する少人数旅行
- 主な移動手段:列車、船、長距離バス、ドルムシュなど
- 途中参加・途中離団:可能
- トルコ語:話せなくても参加可能
- 大川さんの役割:通訳・同行サポート
- 2026年秋:10月5日~11月11日に複数の日程を設定
日程や内容は変更される場合があるため、参加を検討する場合は公式サイトで最新情報を確認してください。
まとめ
大川博さんのトルコ旅行は、『月曜から夜ふかし』で最初に取り上げられた時点では参加者0人でした。
しかし2026年9月28日の放送では、旅行に関する問い合わせが182件に達したことが明らかになりました。
現在の「トルコ語楽旅行」は、大川さんが現地で参加者と合流し、通訳や同行サポートをしながら、ともにトルコ各地を旅するスタイルです。
その土台にあるのは、トルコ・中央アジアで過ごした17年間と、その後も続けてきたトルコ語教育です。
そして2024年夏には、1890年のエルトゥールル号遭難をきっかけにトルコとの深い交流を築いてきた和歌山県串本町へ移住しました。
「参加者0人」から一転して182件の問い合わせを集めたトルコ語楽旅行。その背景をたどると、大川さんが長い年月をかけて築いてきたトルコとのつながりが見えてきます。
参考リンク
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コメント
記事を書いていただき、ありがとうございます。大川博本人です。
大変丁寧にご紹介いただき、うれしく拝見しました。
事実関係について、2点だけ修正をお願いできれば幸いです。
①「大川さんは、トルコ現地で参加者と合流し、自らガイドや通訳を務める旅行を企画しています。」
私はツアーガイドを務めるのではなく、通訳や同行サポートを行っていますので、
「大川さんは、トルコ現地で参加者と合流し、自ら通訳や参加者のサポートを行う旅行を企画しています。」
としていただければと思います。
②「そして自ら現地を案内するツアー。」
についても、同じ理由から、
「そして参加者とともに現地を旅する『トルコ語楽旅行』。」
などの表現に変更していただければ幸いです。
「トルコ語楽旅行」では私自身がツアーガイドをするものではないため、この2点をご修正いただけますと大変ありがたく存じます。
また、もし記事に追記いただけるようでしたら、現在私が暮らしている串本町とトルコとの関係についても、少しご紹介いただければうれしく思います。
串本は、日本で最もトルコとゆかりの深い町です。1890年、オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が大島沖で遭難したことをきっかけに、串本とトルコとの交流が始まりました。
交通の便から「陸の孤島」ともいわれる和歌山県串本町ですが、トルコの人々にとっては特別な意味を持つ場所です。遠くトルコから、エルトゥールル号遭難の地や慰霊碑を訪れる方が後を絶ちません。
私自身も、串本がトルコと深いゆかりを持つ町であることに魅力を感じ、2024年夏に串本町へ移住しました。
町でトルコ人旅行者を見かけると声をかけ、トルコ記念館やエルトゥールル号遭難者の慰霊碑をご案内したり、ときには自宅に招いてお茶を飲みながら交流したりしています。
私にとって串本で暮らすことも、長年続けてきたトルコとの関わりの延長線上にあります。
このたびは私の活動を詳しく取り上げていただき、本当にありがとうございました。
大川博様
このたびはご本人様より丁寧なコメントをいただき、誠にありがとうございます。
また、「トルコ語楽旅行」での大川様のお立場について、詳しくご説明いただきありがとうございます。
「ガイドや通訳を務める」という表現につきましては、大川様がツアーガイドを務めるのではなく、通訳や参加者のサポートを行いながら、ともに現地を旅されているという内容に修正させていただきます。
また、串本町とトルコとの深い関係や、2024年夏に串本町へ移住された経緯、現在の交流についても貴重なお話をお寄せいただき、ありがとうございます。
本日放送の「月曜から夜ふかし」について、放送後に詳しい内容を確認したうえで、今回ご指摘いただいた箇所の修正とあわせて、記事内容を更新させていただきます。
このたびは記事をご覧いただいただけでなく、貴重な情報までお寄せいただき、本当にありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
このたびは、私のコメントを丁寧にお読みいただき、また早速記事を修正・加筆してくださり、本当にありがとうございました。
改めて記事を拝見しましたが、「トルコ語楽旅行」における私の立場について、ツアーガイドではなく、通訳や参加者のサポートをしながら一緒に旅をするという趣旨を正確に反映していただき、安心いたしました。
また、串本町とトルコとの深い関係や、私が串本に移住した経緯、現在の活動についても丁寧に取り上げていただき、大変うれしく思っています。
放送後の内容まで踏まえて記事を更新していただき、私自身、とても納得のいく記事になっていると感じています。
こちらからのお願いに、迅速かつ誠実に対応してくださったことに心より感謝いたします。
本当にありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします