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伊藤正吉は18歳でバレーから鮭漁師へ、第二十一北洋丸で記録的不漁に挑む|情熱大陸

人物

伊藤正吉が知床の鮭漁を守るために始めた新しい挑戦

2026年10月4日放送の「情熱大陸」に登場するのは、北海道・知床斜里町で「第二十一北洋丸」を率いる鮭漁師・伊藤正吉さんです。

伊藤さんは1971年生まれの55歳。18歳で漁師の世界へ入り、30年以上にわたってオホーツク海と向き合ってきました。

しかし現在、秋鮭は約50年ぶりという記録的な不漁に直面しています。

そこで伊藤さんは鮭を獲るだけではなく、昆布養殖、ブランド魚の商品化、加工・直販、SNSでの情報発信、海岸清掃や藻場造成まで活動を拡大。「漁業を続ける」という一つの目的のため、漁師の仕事そのものを変え始めています。

この記事でわかること

  • 伊藤正吉さんが18歳で漁師になった経緯
  • 第二十一北洋丸と12人の漁師たちの仕事
  • 記録的不漁を受けて始めた昆布養殖や海洋保全
  • 知床桜鱗など北洋丸の商品と購入方法

伊藤正吉は第二十一北洋丸を率いる知床の鮭漁師

公式動画:第二十一北洋丸「最盛期の秋鮭漁に密着した2日間」

伊藤正吉さんは、北海道斜里町の有限会社北洋共同漁業部で取締役を務め、「第二十一北洋丸」を率いる鮭漁師です。

1971年に北海道釧路市で生まれ、5歳のときに斜里町へ移りました。

現在の第二十一北洋丸は2020年6月4日に進水した18トンの漁船で、船長、船頭、機関士、潜水士、クレーン操縦士、漁師など、それぞれ役割を持つ乗組員が働いています。

鮭の定置網漁は、単に船から網を引き上げれば終わる仕事ではありません。

海中の網を管理する人、大型漁具を動かす人、船を安全に操る人などが連携しなければ成立しない仕事で、伊藤さんが率いる第二十一北洋丸では12人のチームが鮭漁を支えています。

バレーで全国大会へ進み、教員を目指していた

伊藤さんの人生は、最初から漁師を目指して始まったわけではありません。

中学生のころはバレーボールに熱中し、斜里の代表として全国大会へ出場。その実力が評価され、札幌の東海大学第四高校、現在の東海大学付属札幌高校へ推薦で進学しました。

当時描いていた将来は「大学へ進み、教員になってバレーボールを教える」というものです。

現在の鮭漁師という姿からは大きく離れた進路でした。

転機となったのは高校卒業を控えたころです。

大学進学を希望していたものの、学費をどうするかという問題がありました。そのとき父から漁師の仕事を勧められ、伊藤さんは18歳で海へ出る道を選びます。

ホタテ漁や刺網漁を経験した後、母方の家族が営んでいたサケ定置網漁の会社へ入りました。

北洋丸の公式プロフィールでは、伊藤さんの入社は1999年。現在は会社の方向性を担う立場となっています。

約50年ぶりの秋鮭不漁が漁師の仕事を変えた

伊藤さんたちが現在直面している最大の問題が、秋鮭の減少です。

2025年の日本の秋鮭は約50年ぶりとなる記録的な不漁となり、2026年はさらに厳しい来遊予想が示されています。

海水温の上昇に伴う環境変化などが指摘されていますが、原因がすべて解明されているわけではありません。

長年「鮭日本一の町」として知られてきた斜里町の漁師にとって、これはそのまま仕事と地域の将来に関わる問題です。

だからこそ伊藤さんは、鮭が戻ってくるのを待つだけではなく、新しい取り組みを始めています。

その一つが昆布の養殖です。

さらに、稚魚の育成や放流、藻場をつくるブルーカーボンの取り組み、海岸清掃など、魚を獲る以前の「海を守る仕事」にも力を入れています。

北洋丸が掲げている考え方は「海と共に、地域と共に、未来へ繋ぐ」。

漁獲量だけを見るのではなく、次の世代が漁業を続けられる環境そのものを残そうとしている点が、現在の伊藤さんの活動を象徴しています。

「獲るだけ」で終わらず加工と販売まで手掛ける

第二十一北洋丸の特徴は、漁師が魚を水揚げして市場へ渡すだけではないことです。

2022年には自社工場を設立し、水揚げした魚の加工・製造・販売まで行う体制を整えました。

魚を獲った漁師自身が鮮度を管理し、船上で活締めや神経締めなどを行い、その後の加工までつなげています。

現在の商品には、

  • 来運サーモン
  • サイコロサーモン
  • いくらの醤油漬け
  • 炙りしめ鯖
  • 骨抜き秋鮭
  • 知床桜鱗
  • 鮭めふん
  • カマ・ハラス

などがあります。

オンラインショップに加えて、道の駅しゃり、道の駅パパスランドさっつるには冷凍自動販売機も設置されています。

漁師が消費者へ直接魚を届ける仕組みまで自らつくっているのです。

知床桜鱗は6つの条件を満たした天然サクラマス

伊藤さんたちの挑戦を象徴する商品が「知床桜鱗(しれとこおうりん)」です。

春のオホーツク海で獲れる天然サクラマスをブランド化したもので、単に斜里町で獲れれば名乗れるわけではありません。

北洋丸では6つの基準を設けています。

  • 斜里町で漁獲された天然サクラマス
  • 船上で活締めを行う
  • 温度管理を徹底する
  • 胃洗浄を行う
  • 傷のない魚体を選別する
  • 脂肪率8%以上、魚体2kg以上

これらすべてを満たしたものだけが「知床桜鱗」として出荷されます。

北洋丸がブランド魚を始めた背景には、地元の漁師だけが知っていたサクラマスのおいしさを、より多くの人へ届けたいという考えがありました。

「たくさん獲る」だけではなく、「魚の価値を高めて届ける」という方向へ進んでいることが分かります。

SNS9万人超、漁師自身が海の現場を発信

もう一つ特徴的なのが、SNSでの積極的な情報発信です。

第二十一北洋丸はYouTube、TikTok、Instagramなどを運営し、鮭漁や船上作業、加工、イベントなどを発信しています。

「情熱大陸」のプロフィールではSNSフォロワーは9万人を超えると紹介されています。

漁業は一般の生活者から現場が見えにくい仕事です。

そこで実際の漁を映像で見せることで、魚がどのように獲られ、どのような人たちが働き、どんな問題が海で起きているのかを伝えています。

北洋丸ではSNSだけでなく、2023年から斜里町で「知床桜鱗祭り」を開催。札幌では「鮭漁師祭り」も行うなど、漁師と消費者が直接つながる場をつくっています。

伊藤正吉が目指すのは「鮭漁を続けること」

伊藤さんが取り組んでいることを並べると、一見すると別々の事業に見えます。

鮭漁、昆布養殖、加工品、ブランド魚、イベント、SNS、海岸清掃、藻場造成。

しかし中心にある目的は共通しています。

漁業を次の時代まで続けることです。

鮭が減ったから別の魚へ移るというだけではなく、海の環境を守り、魚の価値を高め、消費者へ直接伝え、新しい収入源もつくる。

18歳で父に勧められて入った漁師の世界で30年以上を過ごした伊藤さんは、いま「鮭を獲る人」から「知床の漁業そのものを未来へ残す人」へ仕事の範囲を広げています。

記録的不漁の年に第二十一北洋丸がどのような秋を迎えるのか。

2026年10月4日の「情熱大陸」は、1人の漁師の人生だけでなく、日本の鮭漁が直面している変化も映し出す回となります。

第二十一北洋丸の商品はオンラインでも購入できる

有限会社北洋共同漁業部の商品は、公式オンラインショップ「北洋丸のとれたて市場」で販売されています。

季節によって扱う魚が変わり、ライブ配信中に当日水揚げされた魚が販売されることもあります。

会社情報は次の通りです。

  • 会社名:有限会社 北洋共同漁業部
  • 取締役:伊藤正吉
  • 所在地:北海道斜里郡斜里町前浜町4-22
  • 創業:1949年
  • 主な事業:サケ・マス定置漁業、加工・販売など
  • 船:第二十一北洋丸
  • 公式通販:北洋丸のとれたて市場

オンライン販売のほか、斜里町のふるさと納税返礼品にも北洋丸の商品があります。

まとめ

伊藤正吉さんは1971年に釧路市で生まれ、5歳から斜里町で育った鮭漁師です。

中学生時代にはバレーボールで全国大会へ進み、教員を目指していましたが、大学進学を考えていた18歳のとき、父から漁師になることを勧められ海の世界へ入りました。

現在は有限会社北洋共同漁業部の取締役として第二十一北洋丸を率い、鮭漁だけでなく昆布養殖、加工販売、ブランド魚、イベント、SNS、海洋環境保全まで活動を広げています。

約50年ぶりの記録的不漁という大きな変化の中でも、目指しているのは漁業をやめることではなく、続けるための方法を増やすこと。

18歳で選んだ漁師という仕事を次の世代へどうつなぐのか。その挑戦こそ、現在の伊藤正吉さんを知るうえで最も大きなポイントです。

参考リンク

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