折井宏司が「折井ブルー」で高岡銅器の家業を変えた道のり
東京で会社員として働いていた折井宏司さんは、26歳で富山県高岡市へ戻り、衰退する伝統産業の中で家業の着色所を継ぎました。そこから生まれたのが、鮮やかな青をはじめとする独自の金属発色です。『日本のチカラ(どっこい生きてる高岡銅器の異端児)(2026年8月29日)』をきっかけに、帰郷の理由から折井ブルーの技術、会社再建、自社商品、購入方法、高岡で体験できる着色まで詳しく見ていきます。
この記事でわかること
- 折井宏司さんが東京から家業へ戻った転機
- 折井ブルーと高岡銅器の着色技術の特徴
- 下請け工場から自社ブランドへ変わった経緯
- Oriiの商品・価格・購入方法・着色体験
廃業寸前だった家業へ戻った人生の転機
(出典:モメンタムファクトリー・Orii「Oriiの伝統技術について」)
折井宏司さんは26歳だった1996年、東京のIT関連会社を辞め、富山県高岡市の家業「折井着色所」へ入りました。
もともと折井さんは高岡で生まれ育ち、祖父と父が営む着色所を身近に見ていました。子どもの頃には自分が3代目になる意識もあったものの、大学卒業後は東京へ出てIT関連会社に就職します。
当時のコンピューター業界は成長しており、仕事にも手応えがありました。家業とはまったく違う世界で会社員生活を楽しむうち、高岡へ帰る気持ちは薄れていきます。
転機になったのは東京にいた叔父から、3代目である自分が継がなければ折井着色所の技術が途絶えてしまうと指摘されたことでした。折井さんは約1年悩んだ末に帰郷を決めています。
ところが、家業に戻れば安泰という状況ではありませんでした。
高岡銅器はバブル崩壊後に需要が落ち込み、折井さんが入社して約2年後には、会社の売り上げが最盛期から約45%減少したとされています。受注された品物を着色する従来型の下請け仕事だけでは、将来を描きにくくなっていたのです。
東京で成長産業を経験していた人が、仕事の減る伝統産業へ戻ったというだけでも大きな方向転換です。
しかし、本当に重要なのはここからでした。
折井さんは「伝統をそのまま残す」のではなく、受け継いだ技術を使って新しい仕事そのものを作る方向へ動き始めます。
高岡銅器の伝統技術から生まれた折井ブルー
(出典:モメンタムファクトリー・Orii「Oriiの伝統技術について」)
折井ブルーの大きな特徴は、青い塗料を金属の表面に塗っているわけではないことです。
高岡銅器の「着色」は、銅や真鍮が腐食・酸化する性質を利用して色を引き出す技術です。薬品や炎、温度などを職人が調整しながら、金属そのものの表情を変化させていきます。
Oriiでは、煮色や糠焼きなどの技法が使われています。
たとえば糠焼きでは、金属の表面に糠を付けてバーナーで焼きます。焼けた跡が模様となり、さらに磨きや薬品による工程を加えることで独特の発色へ仕上げます。
そして折井さんが大きく広げたのが、薄い銅板や真鍮板への着色でした。
もともと高岡の伝統着色は、仏像や花器など立体的な鋳造品を仕上げる技術です。
折井さんは高岡市デザイン・工芸センターの人材養成スクールへ3年間通い、鋳物や加工を学び直しました。その過程で伝統技法を応用し、従来は難しかった薄い圧延板への発色技術を開発します。
板に色を付けられるようになった意味はかなり大きなものでした。
銅像や仏具だけではなく、
時計、コースター、トレイ、照明、壁材、家具、看板、表札などへ、高岡の着色技術を持ち込めるようになったからです。
「銅器を作る会社」から「金属の色をデザインする会社」へ広がる土台になった技術ともいえます。
下請け中心から自社ブランドへ変えた経営改革
折井さんが家業へ入った頃、折井着色所は注文された銅器を仕上げる受注型の仕事が中心でした。
高岡銅器は鋳造、研磨、彫金、着色などを専門職人が担当する分業制で発展してきました。その仕組みには高度な専門技術を育てられる強みがある一方、最終消費者へ直接商品を売る機会は多くありません。
需要そのものが縮小すれば、下請けで待っているだけでは仕事も減ります。
そこで折井さんは、自分たちで商品を企画し、自分たちで販売する方向へ踏み出しました。
2000年頃から着色した銅板を使った時計やコースター、花器などを開発しましたが、最初から成功したわけではありません。
独自の販売網がなく、作った商品が思うように売れない時期も続きました。さらに、昔から働いてきた職人から新しい事業への理解を得られず、会社を去った社員もいました。
それでも方向を変えませんでした。
2008年にはモメンタムファクトリー・Oriiを立ち上げ、加工だけを請け負う会社から、自ら商品を生み出す会社への転換を本格化します。
大きな流れが生まれたのは2010年頃です。
東京の展示会へ出品した製品が小売店やデザイン関係者の目に留まり、新しい取引につながっていきました。工場にも、それまで接点の少なかった建築家やデザイナーが訪れるようになります。
伝統を守るために昔と同じものを作り続けたのではなく、伝統技術が必要とされる新しい場所を作ったことが、再生の大きなポイントです。
モメンタムファクトリー・Oriiの商品とものづくり
現在のOriiを見て驚くのは、商品ジャンルの広さです。
大きく分けると、暮らしの道具となるCRAFT、建築に使うPANEL、看板や表札などのSIGNがあります。
身近なものでは、
コースター、トレイ、タンブラー、ぐい呑み、花器、時計、バングル、ピアス、名刺入れなどがあります。
一方で、建築分野では着色した銅板や真鍮板が壁面装飾として使われ、美術館、レストラン、ビルのエントランス、ホテルの暖炉などにも用途が広がっています。
ここでも折井さんが開発した「薄い金属板への着色」が効いています。
鋳造された置物だけを対象にしていたら、壁や家具へ自由に取り付ける建材にはなりにくかったはずです。
薄い板に着色できることで、伝統工芸の技法そのものが建築用マテリアルへ変わりました。
さらにOriiの製品は、工業製品のように全てが完全に同じ模様になるものではありません。
職人が金属の状態を見ながら1枚ずつ発色させるため、色の濃淡や模様にそれぞれ表情が生まれます。ピカピカの新品を均一に作る発想とは違い、金属が持つ質感や経年変化まで楽しむものづくりです。
折井ブルーの商品価格とオンライン購入方法
折井ブルーを見て「実際に買えるのか」が気になる人には、Oriiの公式オンラインショップがあります。
2026年8月に掲載されている代表的な商品には、次のようなものがあります。
comame L:4,400円
小さな金属製インテリアとして取り入れやすい商品です。
saēn(咲艶):6,600円
bangle wide:11,000円
smooth tray:5,500円
tumbler:12,100円
on the wall mini:14,300円
2way pen(Orii×DOT DESIGN):25,300円
いずれも税込価格です。商品は花器、照明、時計、テーブルウェア、アクセサリー、アート、建材・表札などのカテゴリーから選べます。
自宅へ小さく取り入れたいなら、数千円台の小物やトレイから選べるのが魅力です。
逆に、建築や店舗づくりに取り入れたい人向けには受注生産品もあり、ORII MARBLEは79,200円~85,800円、サインプレートは24,200円~などの商品があります。
オンライン購入では、本州・四国・九州への送料は800円、北海道・沖縄は1,500円です。商品価格8,800円以上の場合は送料が無料になります。数量や色によって納期が変わる商品もあるため、贈り物など使用日が決まっている場合は余裕を持って選ぶと安心です。
工芸品というと高価な一点物を想像しやすいですが、日常で使える小物から建築材料まで価格帯が分かれているのはOriiの面白いところです。
高岡で楽しめるショールームと着色体験
(出典:モメンタムファクトリー・Orii「工場見学・着色体験」)
折井ブルーは商品を見るだけでなく、高岡で実際に着色を体験できます。
場所は富山県高岡市長江530にある本社工場です。
体験メニューは、
銅板コースター
料金:3,000円
所要時間:約45分
銅板トレイ
料金:4,000円
所要時間:約60分
となっています。
工程は、銅板を磨き、糠を載せてバーナーで焼き、洗浄して再び磨き、薬品によって発色させ、最後にコーティングする流れです。
完成したコースターやトレイはその場で持ち帰れます。
火や薬品を扱うため、汚れてもよい動きやすい服装が推奨されています。小さな子どもも参加できますが、保護者の同席が必要です。体験受け入れは基本的に毎週土曜日で、それ以外の日程は問い合わせとなっています。
商品を見たい人には、本社工場横のOriiショールームがあります。
(出典:モメンタムファクトリー・Orii「Oriiショールーム」)
ショールームでは定番商品だけでなく、新商品、他産地とのコラボレーション商品なども扱っています。建築材や表札、アートパネルについて相談することもできます。
営業時間は10時~17時で、日曜・祝日、お盆、年末年始などは休みです。
高岡市内には山町ヴァレー内のOrii gallery 八ノ蔵もあります。土蔵造りの建物の内部に青く発色した銅板が使われており、商品だけでなく「金属の色を空間へ使うとどう見えるのか」を体感できる場所です。
東京では新橋のギャラリーショップKANAGU内に東京ショールームがあるため、高岡まで行けない人にも実物を見る選択肢があります。
伝統産業の枠を越えて広がる現在の仕事
折井宏司さんの歩みをたどると、単に「珍しい青色を作った職人」というだけではないことが分かります。
祖父が1950年に始めた折井着色所は、仏像や銅像、美術工芸品などを仕上げる町工場でした。
3代目はその技術を捨てたのではありません。
400年以上続く高岡の着色技術を、現代の暮らしや建築で使える形へ変えたのです。
2009年には折井さん自身が伝統工芸士に認定されています。
一方で活動は昔ながらの工芸品だけに収まらず、インテリア、建材、店舗サイン、アクセサリー、他ブランドとの共同開発などへ広がりました。国内だけでなく海外の展示会にも出展してきました。
2026年にもOriiは新商品の展開やイベントを続け、4月には「GENIAC-PRIZE 地域賞」の受賞を発表しています。
家業へ戻った1990年代には、仕事そのものが減り続けていました。
そこで「昔から続くから守る」のではなく、「この技術なら別のものも作れる」と考えたことが大きな分岐点になりました。
折井ブルーの美しさももちろん印象に残りますが、その背景にあるのは、廃業の危機にあった下請け工場が、自ら商品・市場・ブランドを作る会社へ変わった物語です。
東京のIT企業を離れて高岡へ戻った26歳の決断が、結果として祖父の代から受け継いだ技術を、時計やアクセサリーからホテルや店舗の空間まで届ける新しい仕事につながりました。
折井ブルーを商品で手に取るのも、高岡で自分だけの色を作ってみるのも、その変化を実感できる方法の1つです。


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