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中島盛夫・田中みずき|日本に2人の銭湯絵師が富士山を描く技【YOUは何しに日本へ?&ニッポン行きたい人応援団!合体SP】

職人・伝統技術

日本にわずか2人と紹介される銭湯絵師が守る富士山のペンキ絵

2026年9月21日放送の「YOUは何しに日本へ?&ニッポン行きたい人応援団!合体SP」では、銭湯を愛するアメリカ人が日本の風呂文化を巡り、番組が「日本にわずか2人しかいない」と紹介する銭湯絵師の職人技にも触れます。

巨大な浴室の壁へ富士山を描く「銭湯ペンキ絵」。現在、その代表的な担い手として活動しているのが、1964年から60年以上にわたり描き続ける中島盛夫さんと、その中島さんに弟子入りして2013年に独立した田中みずきさんです。

この記事でわかること

  • 日本に2人と紹介される銭湯絵師の名前
  • 中島盛夫さんが60年以上続けてきた職人技
  • 田中みずきさんが銭湯絵師になったきっかけ
  • 巨大な富士山をわずか1日で完成させる描き方

日本に2人と紹介される銭湯絵師は中島盛夫さんと田中みずきさん

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銭湯の大浴場に入り、湯船の向こうに大きな富士山が見える。そんな昔ながらの銭湯風景を、ペンキと刷毛で作り続けてきたのが銭湯絵師です。

中島盛夫さんの公式プロフィールでは、自身を「日本に2名しかいない銭湯絵師の1名」と紹介しています。

もう1人として近年、中島さんとともにプロの銭湯ペンキ絵を担っているのが田中みずきさんです。田中さんは中島さんの弟子として技術を学び、現在も全国の銭湯や浴場などで制作を続けています。

銭湯背景画を描く活動者の人数については、対象とする職人や時期によって資料上の数え方に違いがあります。今回の記事では、番組が掲げる「日本にわずか2人」という切り口に沿って、中島盛夫さんと田中みずきさんの銭湯ペンキ絵に注目します。

中島盛夫さんは1964年から銭湯絵を描き続ける職人

中島盛夫さんは1945年、福島県相馬郡飯舘村生まれ。

1964年に上京した後、背景画師の丸山喜久男さんに師事し、銭湯の壁へ巨大な風景を描く仕事に入りました。

当時は現在より銭湯の数が圧倒的に多く、営業に間に合わせるため、短時間で大きな壁を仕上げる技術が不可欠でした。

中島さんが銭湯絵の世界に残した大きな功績の1つが、広い空などをローラーで塗る方法です。

それまで刷毛で塗ることが中心だった広い部分にローラーを使うことで、制作時間を大幅に短縮。現在の銭湯ペンキ絵でも使われる方法へとつながりました。

中島さんは富士山を中心に数多くの背景画を制作し、銭湯だけでなく、

  • ホテル
  • 飲食店
  • 商業施設
  • イベント会場
  • 個人宅
  • 海外施設

などにも活動を広げています。

2016年には卓越した技能を持つ職人として「現代の名工」に選ばれています。

田中みずきさんは大学で出会った銭湯絵から職人の道へ

田中みずきさんは1983年大阪生まれ、東京育ち。

中島さんとは世代が大きく異なります。

田中さんが銭湯ペンキ絵と深く関わるようになったきっかけは、職人の家に生まれたからではありません。明治学院大学で美術史を学んでいた大学時代でした。

卒業論文のテーマを探す中で銭湯のペンキ絵に出会い、その独特な表現に強く惹かれます。

そして2004年、中島盛夫さんに弟子入り。

いきなり巨大な富士山を任されたわけではなく、師匠の仕事を間近で見ながら技術を身につけていきました。

約9年間に及ぶ見習い期間を経て、2013年に独立しています。

現在は昔ながらの銭湯だけにとどまらず、宿泊施設、店舗、介護施設、個人宅などでもペンキ絵を制作。2026年にも東京都内の銭湯で公開制作を行うなど、現役で活動を続けています。

田中みずきさんへの依頼は8〜9割が富士山

銭湯ペンキ絵には海、湖、島、山、地域の名所などさまざまな風景を描くことができます。

それでも、やはり圧倒的に人気なのが富士山です。

2026年5月にテレビ東京「東京交差点 ONE MOMENT」で紹介された田中さんは、依頼される絵の8〜9割が富士山だとしています。

青い空、雪をかぶった富士山、水辺や松。

この組み合わせを見るだけで「昔ながらの銭湯」を感じる人も多く、日本の入浴文化と富士山は長い年月をかけて結び付いてきました。

一方で田中さんは、富士山だけに固定するのではなく、土地に関係する風景やモチーフを取り込んだ作品も制作しています。

伝統的な構図を残しながら、その場所でしか見られない風景へ変えていくところも現在の銭湯ペンキ絵の魅力です。

巨大な壁画をわずか1日で描き上げる

銭湯絵師の仕事で驚かされるのが、その制作スピードです。

一般的な絵画なら、大きくなるほど制作期間も長くなりそうですが、銭湯ではそうはいきません。

浴場を何日も閉めれば営業に影響が出るため、基本的には銭湯の定休日など限られた時間で完成させる必要があります。

作業ではまず足場を組み、巨大な壁を前に富士山の位置や輪郭を決めます。

そこから、

  • 富士山の輪郭を描く
  • ローラーで空などの広い面を塗る
  • 富士山へ色を入れる
  • 刷毛や筆で山肌や雲を描く
  • 水面や木々など細部を加える
  • 離れた場所から全体のバランスを確認する

という工程を一気に進めます。

ペンキは乾いていくため、油絵のように何日も考えながら修正する仕事ではありません。

広大な壁を見ながら構図を決め、色を作り、手を止めずに描いていく。番組で「驚異の技」と紹介される理由は、完成した富士山だけでなく、この圧倒的なスピードにもあります。

師匠・中島盛夫さんと弟子・田中みずきさんでは絵も違う

田中さんは中島さんから技術を受け継ぎましたが、完成する作品が同じになるわけではありません。

中島さんは長年の経験をもとに、現場を見ながら大胆に構図を組み立てる熟練のスタイル。

富士山を何度も実際に見て、その姿を頭の中へ蓄積してきました。

一方、田中さんは銭湯店主から希望を聞き、土地や施設に関係するモチーフも取り入れながら構成を考えます。

吉祥文様などを作品へ組み込むこともあり、昔ながらの銭湯絵を土台にしながら新しい表現も加えています。

同じ富士山でも、師匠と弟子では山の形、色、周囲の景色、細部の描き方が異なります。

そこまで意識して銭湯の壁を見ると、単なる「富士山の絵」ではなく、1枚ずつ違う職人作品であることが分かります。

銭湯の富士山は1912年から続く文化

銭湯の浴室に富士山を描く文化は100年以上の歴史があります。

最初の富士山のペンキ絵とされるのは、1912年に東京・神田猿楽町の「キカイ湯」に描かれた作品です。

手掛けたのは川越広四郎さん。

そこから富士山などの大きな風景画が東京周辺の銭湯へ広がっていきました。

つまり中島さんや田中さんが現在描いている富士山は、単なる装飾ではありません。

100年以上続いてきた銭湯文化そのものを、現在の浴室へ描き直す仕事でもあります。

しかもペンキ絵は永久に残るものではありません。浴室は湿気が多く、時間がたてば塗装も傷むため、古い絵の上から新しい作品へ描き替えられていきます。

1枚の富士山が消え、また新しい富士山が生まれる。

その繰り返しによって銭湯の景色は受け継がれてきました。

中島盛夫さんと田中みずきさんのプロフィール

中島盛夫さん

  • 生年:1945年
  • 出身:福島県相馬郡飯舘村
  • 銭湯絵の世界へ入った年:1964年
  • 師匠:丸山喜久男さん
  • 特徴:ローラーを使った背景制作を考案
  • 2016年:「現代の名工」
  • 銭湯以外にも国内外で壁画を制作

田中みずきさん

  • 生年:1983年
  • 出生地:大阪府
  • 育ち:東京都
  • 出身大学:明治学院大学
  • 専攻:美術史
  • 2004年:中島盛夫さんに弟子入り
  • 2013年:独立
  • 現在:全国の銭湯、浴場、店舗、宿泊施設などでペンキ絵を制作

2人は約40歳の年齢差がある師弟です。

中島さんが長年磨いてきた仕事を田中さんが受け継ぎながら、自分なりの表現へ発展させていることも、現在の銭湯ペンキ絵を見るうえで重要なポイントです。

まとめ

2026年9月21日の「YOUは何しに日本へ?&ニッポン行きたい人応援団!合体SP」では、「日本にわずか2人しかいない」という銭湯絵師が巨大な富士山を描く技が取り上げられます。

銭湯ペンキ絵を代表する職人が、中島盛夫さんと田中みずきさんです。

中島さんは1964年から60年以上にわたってこの仕事を続け、ローラーを使った制作方法なども生み出してきました。そして田中さんは大学時代に銭湯絵と出会い、中島さんのもとで約9年間修業した後、2013年に独立しています。

巨大な富士山を限られた時間の中で一気に描き上げる技術。その背景には、1912年から100年以上続く日本の銭湯文化があります。

参考リンク

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