記事内には広告が含まれています。

久野公寛がタコつぼ職人になった理由|TACOOGAMAと田中窯業、自然に還る素焼きの技術【ウミコイで紹介】

職人・伝統技術

素焼きのタコつぼを復活させた職人・久野公寛

『ウミコイ―今 海に出来ること―(山口県周南市のウミコイ仲間は素焼きのタコつぼ職人)(2026年8月21日)』で取り上げられるのが、海に沈める素焼きのタコつぼです。その製造を受け継いできたのが、山口県防府市の久野公寛さん。もともと陶芸職人ではなかった久野さんが、なぜ廃業した工房を復活させたのか。TACOOGAMAと田中窯業の関係、末田の登り窯、素焼きが選ばれる理由までたどります。

この記事でわかること

  • 久野公寛さんがタコつぼ職人になったきっかけ
  • TACOOGAMAと田中窯業のつながり
  • 産卵用タコつぼに素焼きが使われる理由
  • 末田の登り窯と廃業した工房を復活させた経緯

久野公寛さんはなぜタコつぼ職人になったのか

久野公寛さんがタコつぼ職人になった出発点は、「家業だったから」でも「陶芸家を目指していたから」でもありません。

北九州市出身の久野さんは、福岡の大学を卒業後、山口市の結婚式場に就職しました。その後、ワーキングホリデーを利用して約1年間オーストラリアへ渡り、トラック運転手として働きながらチョークアートを学ぶという経歴を持っています。帰国後は再び結婚式場で働きました。

人生を変えたのが、防府市の町おこしに関わった際に紹介された末田の登り窯でした。

「登り窯でタコつぼ作りを体験してみないか」と誘われ、軽い気持ちで訪れた久野さんは、大きな登り窯を見て強くひかれます。

ところが、その窯を使っていた田中窯業は後継者不足ですでに廃業していました。

久野さんは、このまま誰も継がなければ、長く続いてきた登り窯とタコつぼ作りの技術まで失われてしまうと考えます。そして、引退していた2代目の田中孝志さんに自ら頼み込み、タコつぼ作りを教わることになりました。

技術を身につけるまでには約2年。

原料となる土を砕いて練るところから、タコつぼの成形まで何度も練習を続けました。その間は結婚式場や短期アルバイトで働き、生活費や材料費を確保しています。

つまり久野さんは「タコつぼを作りたかった」ことから始まったのではなく、消えようとしていた登り窯に出会い、この場所と技術を残したいと思ったことから職人になった人物です。

TACOOGAMAと田中窯業の関係

久野さんについて調べると、田中窯業、多幸窯、TACOOGAMAという複数の名前が出てくるため、少し分かりにくいところです。

もともと末田でタコつぼを製造してきた工房が田中窯業です。

田中窯業は低価格で扱いやすいプラスチック製タコつぼの普及や後継者不足などから2016年に廃業しました。その後、2代目から技術を学んだ久野さんが3代目を引き継ぎ、2018年に事業を再開しています。

復活後は「多幸窯」という名称でも活動してきました。「多幸窯」のSNSアカウントには「tacoogama」が使われ、田中窯業復興時のリブランディングでもこの名称が使用されています。

そして2026年には、久野さんは株式会社TACOOGAMAの久野公寛さんとして紹介されています。

流れを整理すると、

田中窯業
↓
2016年に廃業
↓
久野公寛さんが技術を継承
↓
2018年に田中窯業(多幸窯)を復活
↓
現在は株式会社TACOOGAMAとしても活動

というつながりです。

名前は変化していても、その中心にあるのは末田で受け継がれてきた陶器製タコつぼと登り窯の技術です。

久野さんが事業を再開してからは、年間平均約1万個のタコつぼを製造。山口県内だけでなく周南市や周防大島町、兵庫県明石市などにも納入してきました。

なぜプラスチックではなく素焼きなのか

タコつぼには、漁でタコを捕るためのものだけでなく、タコに産卵場所を提供するために海底へ沈めるものがあります。

この違いが「素焼き」を理解する重要なポイントです。

一般的なタコつぼ漁では、つぼをロープにつなぎ、タコが入った後に再び船へ引き上げます。プラスチック製は割れにくく、扱いやすいというメリットがあります。実際、プラスチック製タコつぼは陶器製に代わって広く普及しました。

一方、産卵用タコつぼはタコを捕獲することが目的ではありません。

海底にタコが身を隠し、卵を産める場所を増やすために設置します。

周南市では近年、タコの資源を守るため約3,500個の産卵用タコつぼを海底に沈めています。使用されているのは、数年かけて崩れていく素焼きのものです。

8月21日に取り上げられる取り組みでも、地形の変化によって減っているタコの産卵場所を補うため、1匹ずつが使える場所として素焼きタコつぼを設置することが紹介されています。

素焼きが再評価されている最大の理由は、海に残し続けることを前提とした用途との相性にあります。

便利で丈夫なプラスチックと、時間とともに崩れていく素焼き。

どちらが優れているという単純な話ではなく、「回収する漁具」と「産卵場所として残すもの」で必要な性質が違うわけです。

廃業した工房をなぜ復活させたのか

田中窯業が廃業した背景には、時代の変化がありました。

かつて陶器製タコつぼは各地で作られていましたが、安価で割れにくいプラスチック製が普及すると陶器製の需要が減少します。

さらに後継者不足も重なり、田中窯業は2016年に操業を終えました。

普通なら、ここで長年続いた工房の歴史は終わっていたはずでした。

それを変えたのが久野さんです。

久野さんが最初に心を奪われたのは、商品としてのタコつぼよりも登り窯そのものでした。

すでに廃業した工房へ通い、田中孝志さんから技術を習得。約2年間修業を続けた末、2018年にタコつぼの製造を再開しました。

ただ、復活させれば仕事になるという保証はありませんでした。

工房や機械を引き継げても、かつての取引先との関係は途切れています。漁師の人数も以前より減っていました。

そこで久野さんは、先代から教えてもらった以前の取引先や漁港へ1軒ずつ連絡します。

すると、再開を待っていた取引先が戻り、事業を続けられる道が開けました。現在では年間平均約1万個を販売する規模まで回復しています。

さらに、廃業当時とは状況も変わりました。

産卵用タコつぼは海へ投入した後に回収しないため、環境への配慮から素焼きが再び求められるようになったのです。かつてプラスチック製に押されて姿を消しかけた陶器製タコつぼが、環境問題を背景に新しい役割を持つようになった点は、この工房の大きな転機といえます。

末田の登り窯とはどんな窯なのか

久野さんの人生を変えた末田の登り窯は、単なる古い陶芸用の窯ではありません。

正式には「末田の窯業生産工房及び登窯」といい、2016年3月28日に防府市の有形民俗文化財に指定されています。

登り窯とは、傾斜した土地に複数の焼成室を階段状につないだ窯です。

末田の登り窯は耐火れんがで造られた4室の連房式登窯で、

  • 長さ約14.5m
  • 幅約7.5m
  • 高さ約2.2m
  • 1室あたり約20立方メートル

という大きさがあります。

現存する連房式登窯の中でも大型の部類に入ります。

さらに貴重なのは窯だけではありません。

敷地内には、土づくり、成形、乾燥、焼成、製品管理まで、タコつぼを作る一連の作業を行える設備が残されています。

末田地区には古くから焼き物産業があり、明治時代以降は「末田土管」の産地として知られました。この工房ももともとは土管製造の技術を受け継ぎ、1951年から本格的にタコつぼ製造へ転換しています。

つまり、久野さんが守ろうとしたのは1台の窯だけではありません。

末田という土地で続いてきた土づくり、成形、焼成まで含む焼き物文化そのものでした。

ただし文化財であることはメリットばかりではありません。

久野さんは、窯や古い機械が壊れたとしても、自分の判断だけで自由に改造・交換できない難しさについても語っています。登り窯を維持しながら現役の生産設備として使い続けること自体が、大きな仕事になっています。

タコつぼは本当に自然へ還るのか

ここは少し言葉を整理しておく必要があります。

久野さんが製造するタコつぼは、表面に釉薬をかけない素焼きの陶器です。

株式会社TACOOGAMAの久野さんを紹介した情報では、釉薬を使わないタコつぼは海中で時間が経つにつれて少しずつ削れ、最終的に土へ還っていくものとして説明されています。

周南市側も、産卵用として使用している素焼きタコつぼについて数年で土に戻ると紹介しています。

ただし、「自然へ還る」という表現を、生ごみのように微生物によって分解されて消える意味に受け取る必要はありません。

タコつぼは焼いた土からできています。

海底で時間がたつと劣化し、割れたり削れたりして細かな破片となり、自然由来の鉱物質として海底の砂や土へ混ざっていく、という意味で使われています。

この点がプラスチックとの大きな違いです。

産卵用タコつぼは、設置後に回収せず海底へ残す使い方があります。そのため、役割を終えた後も人工的なプラスチックごみとして長期間残り続けない素材が重要になります。

しかも、タコつぼ作りにはもう1つの「循環」が生まれています。

登り窯でタコつぼを焼いた後には大量の熱が残ります。久野さんは、この余熱を捨てるのではなくドライフラワー作りへ利用しています。

きっかけは、窯焚き後の熱い窯に入った際、汗をかいているのに服が非常に早く乾いたことでした。

さまざまなものを試した末、生花を入れたところ約20分で鮮やかな色を残したドライフラワーが完成。商品化へつながりました。現在は廃棄される予定だったロスフラワーも利用しています。

海ではタコの産卵場所となり、役目を終えれば少しずつ崩れていく。

陸ではタコつぼを焼いた後の余熱まで再利用する。

久野公寛さんの仕事は、昔ながらの陶器製タコつぼを残すだけではありません。古い技術を現在の環境問題と結び直したことで、1度は廃業した仕事に新しい価値を生み出したところに大きな特徴があります。

参考リンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました