『プラチナファミリー』新潟200万坪の豪農・保阪家を継ぐ12代目当主
2026年9月15日放送のテレビ朝日『プラチナファミリー 3時間SP』では、新潟にある「200万坪大豪邸」でお宝鑑定が行われます。番組表では邸宅名や当主名が伏せられていますが、「新潟」「200万坪」「豪邸」「多数のお宝」という特徴から、上越市戸野目の保阪邸とみられ、現在これを守っている12代目当主が保阪洋子さんです。番組では「番組史上最高額」の超貴重品が登場すると予告されています。
ここで最初に押さえておきたいのは、約200万坪という数字は現在の保阪邸の敷地面積ではないということ。昭和19年の調査で保阪家が所有していた総耕地面積を現在の坪数に換算した数字です。現在は戦後の農地解放を経て、残された邸宅や庭、蔵、歴史資料を保阪洋子さんらが守り続けています。
この記事でわかること
- 保阪洋子さんと12代続く保阪家の関係
- 保阪家がかつて約200万坪を所有した大地主だった歴史
- 農地解放後も残された保阪邸・庭園・古美術・古文書
- 保阪邸の一般公開と見学方法
保阪洋子が継ぐ12代続く豪農・保阪家

保阪洋子さんは、新潟県上越市戸野目に残る保阪家の12代目当主です。
保阪邸公式サイトには、現在も保阪さん自身がこの家に暮らしながら、家屋や庭園を管理していることが記されています。また、保阪邸保存会も保阪洋子さんを中心として活動しており、建物を残すだけでなく、上越の暮らしや文化を伝える取り組みを続けています。
保阪家の歴史は400年以上前までさかのぼります。
上越市によると、慶長年間の「太閤検地」の検地帳にも保阪家の名があり、祖先は永禄期から天正期ごろには現在の上越市周辺に暮らしていたとみられています。
初代・徳右衛門が戸野目へ移った後、土地を増やしながら県内屈指の大地主へ成長しました。
保阪洋子さんは、単に「昔のお金持ちの家」に暮らしているわけではありません。
農地解放によって大地主としての経済基盤を失ったあとも残された建築、庭園、古文書、美術品を次の世代へ渡す役割を引き継いでいるのです。
保阪家がかつて約200万坪を所有した歴史
『プラチナファミリー』で最も目を引く数字が「200万坪」です。
保阪邸公式によると、昭和19年に新潟県農政課が行った調査では、保阪家の総耕地面積は現在の単位に換算して約200万坪に及んだとされています。上越市の資料にも土地保有高644町歩という記録が残ります。
上越市公文書センターの「保阪家文書目録解題」では、昭和19年時点の総耕地面積を627.5町歩と記録しており、頸城郡内でも抜群の規模だったとしています。有価証券の運用なども行う大資産家でした。
しかし、保阪家の歴史で興味深いのは財産の大きさだけではありません。
1847年の大地震や水害、凶作などで地域が苦しんだ際には、高田藩へ多額の資金を提供し、住民へ米や金銭を支給しました。こうした救済は約30回に及んだ記録が残っています。
8代当主・保阪貞吉も地域との深いつながりを残した人物です。
現在の高田城址公園を代表する蓮は、貞吉が困窮した旧高田藩士の生活を支えるため、外堀で蓮を栽培・販売したことが始まりとされています。現在の当主・洋子さんから見ると貞吉は曽祖父にあたります。
戦後の農地解放で大きく変わった保阪家
巨大地主だった保阪家にとって、大きな転機となったのが戦後です。
保阪家に残る文書には、1946年に成立した自作農創設特別措置法による政府の農地買収や、同年の財産税による財産処分についての資料が含まれています。
保阪邸公式サイトでも、戦後の農地解放によって農地や資産のほとんどを失ったと説明されています。
それでも母屋、蔵、庭、池などは残りました。現在その一部が保阪家の歴史を伝える場所になっています。
つまり「200万坪の大豪邸」という番組の表現から、現在も200万坪を所有する資産家一家を想像すると少し違います。
むしろ現在の保阪家を知るうえで重要なのは、巨大地主だった時代から農地解放という大転換を経て、残された歴史文化を12代目が守っていることです。
ここに保阪洋子さんの記事としての大きな物語があります。
現在も残る保阪邸と庭園
現在の保阪邸には、異なる時代につくられた建物が残されています。
保阪家住宅主屋は1949年築。離れは1909年築で1949年に増築されています。さらに、道具蔵は1826年に建てられたもので、1909年に現在地へ移築されました。園芸用の温室も昭和中期の建築です。
これら主屋・離れ・道具蔵・温室の4棟は、2024年3月6日に国の登録有形文化財となりました。
特に離れは、庭を眺めるための座敷や深い軒下を持つ建物。道具蔵は土蔵2棟を一体化した大規模なもので、保阪家がかつて持っていた暮らしや財産の規模を現在に伝えています。
庭園も保阪邸の大きな見どころです。
建物だけを保存するのではなく、庭や池まで含めた屋敷全体を維持している点が、この旧家の特徴となっています。
12代目当主が続ける邸宅保存
保阪邸は現在も個人所有であり、保阪洋子さんが生活する住居でもあります。
そのため、一般の博物館のように毎日開館しているわけではありません。
保阪さんは公式サイトのあいさつで、残った母屋や蔵、庭、池などを春と秋に公開し、近隣だけでなく遠方から訪れる見学者を迎えていることを紹介しています。
2026年5月にも、上越市内の歴史的旧家を巡る「上越名家一斉公開」で保阪邸が公開されました。
このときは保阪邸を含む4邸が公開され、各邸には初めてフォトスポットも設けられました。保阪邸が過去の遺産として閉じた場所ではなく、現在も人に見てもらいながら次代へつないでいることが分かります。
保阪洋子さんの役割は「12代目」という肩書だけではありません。
長い歴史を持つ個人住宅を維持し、必要な修繕を行い、人に公開し、そこに残された資料の価値を伝えていく。その積み重ね自体が現在の保阪家の仕事になっています。
保阪家に伝わる古美術と歴史資料
9月15日の『プラチナファミリー』では、保阪家とみられる「200万坪大豪邸」で数々のお宝が鑑定され、番組史上最高額の超貴重品が登場すると予告されています。
保阪家に多くの品が残る背景には、長年にわたる収集があります。
特に9代当主・保阪潤治は美術品や資料を収集した人物として知られ、書画や骨董品だけでなく、学者や文化人、文化機関との交流を示す書状も残されています。
さらに上越市公文書センターには、保阪家文書4526点が記録されています。
内容は地主経営、小作関係、高田藩との金銭関係、土地、金融、家計、農地解放など多岐にわたり、単なる一族の記録を超えて、上越地域の近世・近代史を読み解く資料になっています。
保阪邸公式では、道具蔵に骨董品や古文書、伊万里などが収蔵されていることも紹介されています。
番組で高額鑑定品だけを見ると「豪農のお宝」という印象が強くなりますが、その裏側には何代にもわたって物と記録を残してきた歴史があります。
保阪邸の一般公開と見学情報
保阪邸は、新潟県上越市戸野目488にあります。
上越観光Naviでは、えちごトキめき鉄道・高田駅から徒歩約30分、車なら北陸自動車道・上越ICから約5分と案内されています。
通常は非公開で、一般公開時または事前に申し込んだ団体見学の場合のみ見学可能です。一般公開は例年5月と11月に行われています。
2026年春には5月9日・10日に上越名家の一斉公開が行われ、保阪邸も公開されました。
上越観光Naviの通常案内では維持管理協力金800円、高校生以下無料となっています。一方、一斉公開イベントでは年によって料金が異なる例もあるため、実際に訪れる際はその年の開催案内を確認するのが確実です。
まとめ
『プラチナファミリー』に登場する「新潟200万坪大豪邸」は、上越市に残る保阪邸とみられ、その歴史を現在へつないでいるのが12代目当主・保阪洋子さんです。
保阪家は昭和19年の調査で総耕地面積が現在換算約200万坪に及んだ県内屈指の大地主でした。しかし、戦後の農地解放によって農地や資産の大部分を失います。
それでも邸宅、庭、蔵、美術品、膨大な古文書は残りました。
現在は保阪洋子さんを中心にそれらを管理し、一般公開を通じて次の世代へ伝えています。
番組で登場する高額なお宝だけではなく、200万坪の大地主から歴史的邸宅を守る12代目へ――保阪家がたどった大きな変化にも注目したいところです。
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