会社員・森本勝巳さんが立体地図から未知の山城を次々発見
2026年9月29日放送のNHK総合『クローズアップ現代』では、専門家ではない市民が公開データを活用し、これまで知られていなかった遺跡を発見する「シチズンサイエンス」の広がりが取り上げられます。
その象徴的な存在が、会社員として働きながら山城を巡り、岐阜県で44か所もの新たな城跡を発見してきた森本勝巳さんです。
森本さんは「岐阜県お城巡り」の代表として活動し、岐阜県内の城を758か所巡った実績を持ちます。新城発見は個人の趣味だけで終わらず、恵那市教育委員会の正式な城館跡調査にもつながっています。
この記事でわかること
- 森本勝巳さんが発見した山城44か所と活動実績
- 会社員を続けながら「岐阜県お城巡り」を続ける現在
- 立体地図を使って未知の山城を見つける仕組み
- 名倉城や恵那市の新発見城館跡など具体的な成果
森本勝巳さんは岐阜県で44か所の新城を発見
森本勝巳さんは、歴史学や考古学を本職とする研究者ではありません。愛知県の建設会社で働きながら、休日を使って山城を巡ってきた会社員です。山城巡りを始めたのは約15年前で、子どもが成長して休日の時間に余裕ができたことがきっかけでした。
現在は「岐阜県お城巡り」の代表を務め、本人プロフィールでは岐阜県内の城758か所を巡ったとしています。
その内訳は、飛騨127、中濃・郡上133、岐阜100、東濃118、西濃160に、呼称地・参考地・類似遺構120を加えたものです。
さらに森本さんは、これまで資料に記録されていなかった場所を現地踏査し、岐阜県で44か所、愛知県でも11か所の新城を発見した実績を掲げています。
単に数多く城を訪問しただけではありません。
既存の城郭資料を確認し、立体地図から不自然な地形を探し、実際に山へ入り、曲輪・堀切・土塁・虎口などの遺構を確認する。その積み重ねが、新たな城跡の発見につながっています。
本業を続けながら「岐阜県お城巡り」で活動
森本さんの活動で特徴的なのは、専門研究者として調査だけを行っているのではなく、会社員として仕事を続けながら活動していることです。
現在は「岐阜県お城巡り」の代表に加え、飛騨市山城ガイドの公式認定員として、古川城や小島城のガイドにも携わっています。
森本さんの活動範囲は、岐阜県だけにとどまりません。
2026年6月には愛知県豊田市で、既存の報告書に記載されていなかった**広畑城(仮称)**を発見。現地では曲輪、土塁、堀切、虎口などを確認しています。
広畑城は尾根の先端に位置し、山麓には足助方面へ通じる街道があります。周囲の既存城郭との位置関係も含めて調査が続けられています。
山城巡りという趣味から始まった活動が、未知の遺構を探し、自治体へ情報を届ける段階にまで発展したわけです。
立体地図から未知の山城を探し出す方法
森本さんの新城発見を大きく変えたのが、インターネット上で閲覧できる立体地図です。
山城は、一般的な地図だけを見ても見つけにくい遺跡です。
天守や石垣が残っているとは限らず、山中にあるのは、
- 平らに削られた「曲輪」
- 尾根を切断する「堀切」
- 山の斜面に掘られた「竪堀」
- 土を盛り上げた「土塁」
- 城への出入口となる「虎口」
といった地形そのものだからです。
数百年が経過すると木々に覆われ、地上から眺めただけでは自然の山との区別が難しくなります。
そこで役立つのが、航空レーザー測量などの標高データをもとに地表の凹凸を強調して表示する立体地図です。
恵那市教育委員会の報告書では、岐阜県が公開した「岐阜県CS立体図2019」と、それを閲覧できる「ひなたGIS」の利用が、新しい城館跡を探す手段として取り上げられています。
森本さんは、こうした地図上で城跡特有の地形を探し、その場所へ実際に足を運びます。
つまり、
立体地図で候補地を探す → 現地へ入る → 城郭遺構を確認する → 自治体などへ情報提供する
という流れです。
パソコンの地図だけで「城を発見した」と決めるわけではありません。
最終的には山へ入り、人工的に削られた地形なのか、堀切や土塁が存在するのかを確かめる現地調査が重要になります。
恵那市では森本勝巳さんの発見が正式な調査へ発展
森本さんの活動が行政の調査へつながった代表例が岐阜県恵那市です。
恵那市では2004年度以降、市教育委員会が新規発見の城跡を把握していない時期が続いていました。
状況を変えたのが立体地図でした。
城郭研究者の髙田徹さんが立体地図を利用した城館調査の可能性を示し、森本さんも同じ方法を使って岐阜県内を精力的に踏査。恵那市教育委員会へ新規城跡6か所の情報を提供しました。
その後、恵那市は実際に現地調査を実施しています。
森本さんが報告した城のうち、調査対象となったものには、
- 飯高城跡
- 田沢城跡
- 奈免入城跡
- 上矢作大平城跡
- 裏山城跡
などがあります。
一方で、小沢山城(仮称)は教育委員会の事前踏査で城跡ではないと判断され、調査対象から外されました。
この点も非常に重要です。
市民による発見報告が、そのまま無条件で「新しい城」に認定されるのではありません。
候補地を見つける人がいて、専門家や教育委員会が現地を調査し、城郭としての遺構や立地を検討する。その過程を経て地域の歴史資料へ組み込まれていきます。
田沢城跡では土塁・堀切・竪堀・土橋を確認
森本さんの発見成果を具体的に見ると、立体地図がなぜ山城探しに有効なのかが分かります。
岐阜県恵那市山岡町の田沢城跡は、森本さんが報告した新発見城館跡の1つです。
恵那市教育委員会による2022年1月の調査では、
- 郭
- 土塁
- 堀切
- 竪堀
- 土橋
といった遺構が確認されました。
主郭は標高611m付近にあり、その東側には土塁または櫓台状の遺構が存在します。
さらに複数の堀切が配置され、城内を尾根道が通過していることから、この道を監視したり、必要に応じて封鎖したりする役割を持った城だった可能性も検討されています。
現在では木々に覆われた静かな山でも、立体地図で見ると、削られた尾根や溝のような地形が浮かび上がります。
その違和感を読み取れるだけの経験が、森本さんの大量の登城経験と結びついているのです。
名倉城は県境で発見した新たな山城
森本さんは岐阜県内だけでなく、県境周辺でも未知の城を発見しています。
その1つが、静岡県浜松市佐久間町と愛知県東栄町の境付近で発見した**名倉城(仮称)**です。
2025年に行われた「ふじのくに山城セミナー」では、静岡古城研究会が名倉城について取り上げています。
森本さんの発見後、研究会のメンバーらも現地を踏査。縄張図を作成し、城の立地や構造、築城した勢力について検討が行われました。
つまり、新しい山城を見つける活動は「地図で面白い形を見つけた」で終わりません。
発見者から研究者へ情報が渡り、現地調査が行われ、縄張図が作られ、周辺の歴史や交通路と照らし合わせながら、その城が何のために造られたのかを考えていくことになります。
44城発見の背景には758城を歩いた経験がある
立体地図が公開されれば、誰でも同じように新しい山城を見つけられるようにも感じます。
しかし、地図そのものが自動的に城を教えてくれるわけではありません。
尾根の形を見て、
「ここが人工的に切られている」
「この平坦地は曲輪ではないか」
「この溝は堀切かもしれない」
と気づくには、実際の山城を数多く見てきた経験が必要です。
森本さんが岐阜県内の城758か所を巡ったという実績は、新城発見と切り離せません。
既知の城を徹底的に歩き、曲輪、土塁、堀切、竪堀などの特徴を目で覚えてきたからこそ、立体地図上のわずかな違和感を拾えるのでしょう。
最新技術だけではなく、長年積み上げてきた現地経験が組み合わさっているところが、森本さんの活動の大きな特徴です。
オープンデータで一般の人も歴史的発見に参加できる時代へ
森本さんの活動は、単なる「山城好きのすごい人」という話だけではありません。
大きな変化は、これまで行政や研究機関などが主に利用していた地形データを、一般の人も自宅から閲覧できるようになったことです。
恵那市も、立体地図を利用した新しい城館跡の発見が相次いだことを受け、市内の中近世城館跡を改めて調査しています。市公式サイトでは、近年の立体地図活用によって新たな城館跡の発見や既知の城館跡の見直しが進んでいると説明しています。
従来なら専門家が現地を歩かなければ候補すら見つからなかった場所を、まず市民がデータから探す。
そして本当に遺跡なのかを専門家や自治体が検証する。
森本さんの44か所という発見数は、オープンデータと市民の経験が組み合わされることで、地域史そのものが更新される可能性があることを示す事例になっています。
まとめ
森本勝巳さんは、会社員として働きながら「岐阜県お城巡り」の代表として活動し、岐阜県内の城758か所を巡ってきた山城愛好家です。
そして立体地図と長年の現地経験を組み合わせ、岐阜県だけで44か所の新たな城を発見。恵那市では森本さんからの情報提供をきっかけに教育委員会による正式な調査が行われ、飯高城跡や田沢城跡などが調査報告書へ掲載されました。
名倉城など県境を越えた発見も続いており、個人の山城巡りから始まった活動は、自治体や研究者を巻き込む城郭調査へと広がっています。
『クローズアップ現代』で注目したいのは「44か所」という数字だけではなく、公開された立体地図と、山を歩き続けてきた1人の会社員の経験が結びつき、未知の歴史を掘り起こしていることです。
参考リンク
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