福家育美が「特別扱い」を問い直す背景とパラバドミントン人生
2026年10月1日放送のNHK Eテレ「toi-toi」に出演する福家育美(ふけ・いくみ)さんは、パラバドミントンの元日本代表です。
幼いころから車いすで生活し、高校時代にはパラ陸上に挑戦。その後パラバドミントンへ転向し、日本選手権では女子シングルスと女子ダブルスの2冠を達成するなどトップ選手として活躍しました。現在は滋賀県守山市の「もーりー守山ふるさと大使」も務めています。
今回の「toi-toi」で向き合うのは、競技成績ではなく「車いすだから」という理由で受けてきた“特別扱い”です。助けられた経験がある一方、最初から「できない」と判断されることで経験する機会まで失ってしまうことへの違和感を起点に、合理的配慮との違いを考えていきます。
この記事でわかること
- 福家育美さんがパラバドミントン日本代表になるまで
- 日本選手権でシングルス・ダブルス2冠を達成した実績
- 高校時代のパラ陸上経験が競技につながった経緯
- 「特別扱い」と合理的配慮を問い直す背景
福家育美はパラバドミントン元日本代表

福家育美さんは、二分脊椎症のため幼いころから車いすで生活してきた元パラバドミントン日本代表です。
テレビ朝日が2018年に紹介した選手情報では、高校時代にパラ陸上へ取り組み、その経験が後にパラバドミントンの車いす操作にも生きたことが紹介されています。
競技では車いすを腕の力で素早く動かしながらシャトルを追います。世界選手権出場時には、福家さん自身がWH1クラスでは腹筋や背筋を十分に使えず、腕の力を使って車いすをコントロールすると説明していました。単にラケット技術だけでなく、ポジション取りや車いす操作そのものが重要になる競技です。
守山市は現在、福家さんを「パラバドミントン元日本代表」として、もーりー守山ふるさと大使に任命しています。
日本選手権でシングルス・ダブルス2冠を達成した実績
福家さんの競技人生を象徴する実績の一つが、第3回ダイハツ日本障がい者バドミントン選手権大会での2冠です。
女子シングルスWH1で優勝すると、小倉理恵選手と組んだ女子ダブルスWH1-2でも優勝。1大会で2つの金メダルを獲得しました。
シングルスでは、自分の力を出せたという手応えを残し、当時は東京パラリンピック出場と金メダルを目標に掲げていました。
翌大会では女子シングルスWH1で準優勝。さらにその後の日本選手権でも、当時急成長していた里見紗李奈選手らと同じ国内トップクラスで戦っています。
世界選手権にも日本代表として出場するなど、福家さんは長く車いすバドミントンの第一線に立ってきました。
高校時代のパラ陸上経験がバドミントンのチェアワークにつながった
福家さんの競技歴は、バドミントンから始まったわけではありません。
高校時代に取り組んだのがパラ陸上です。100mや800mなどの車いす陸上に挑戦し、長く競技を続けました。2012年には100mと800mで日本一になった経歴もあります。
その後、2014年からパラバドミントンへ本格的に転向しました。
陸上競技で培った車いす操作は、バドミントンでも大きな武器になりました。
バドミントンでは前後左右へ瞬時に移動し、シャトルを打った直後には次の位置へ戻らなければなりません。高校時代から積み重ねてきた車いす操作の経験が、この「チェアワーク」につながっています。テレビ朝日の選手紹介でも、この陸上経験とバドミントンとのつながりが紹介されています。
異なる競技への転向でしたが、それまで積み重ねてきた経験が途切れたわけではありませんでした。
「車いすだからできない、ではなく工夫する」が競技人生の原点
福家さんの人生を知るうえで印象的なのが、幼いころから母親に伝えられてきた考え方です。
テレビ朝日の紹介では、母親から「車いすだからできない」で終わらせず、どうすればできるか工夫するよう育てられたことが紹介されています。
これは競技だけに限った考えではありません。
福家さんは2026年9月、車いす利用者が重機操作を体験するプロジェクトへのメッセージでも、普段から「どうすれば車いすでもできるか」を考えて生活していると振り返っています。一方で、自身も重機については無意識に「できない」と決めつけていた時期があり、実際の体験をきっかけに資格取得へ挑戦した経験を明かしています。
つまり「工夫すれば何でもできる」という単純な話ではありません。
まず挑戦する機会があり、その人に合った方法を考えられる環境があって初めて、できるかどうかを本人が確かめられるということです。
この経験が、今回「toi-toi」で取り上げられるテーマにもつながってきます。
「車いすだから」という特別扱いで感じてきた経験機会への違和感
「toi-toi」で福家さんが問いかけるのは、“特別扱い”そのものをすべて否定することではありません。
車いすで生活する中では、特別な対応によって助けられる場面もあります。
一方で、「車いすだから危ない」「車いすだから難しい」と周囲が先回りして判断すると、本来なら方法を工夫して経験できたことまで、最初から選択肢から外される場合があります。
福家さん自身も、そうした特別扱いによって「経験する機会を失ってきたのではないか」という思いを抱えてきました。番組ではそこから、「嫌だった特別扱い」と「必要な合理的配慮」の違いを探っていきます。
競技人生を振り返ると、この問いが福家さんにとって突然生まれたものではないことが分かります。
パラ陸上からパラバドミントンへ進み、日本代表として世界の舞台に立ったことも、「車いすだから」という線引きだけでは語れない経験の積み重ねでした。
競技者としての経験から「特別扱い」と合理的配慮を問い直す
福家さんは現在、競技成績だけを伝える存在ではなく、自身の経験を社会へ伝える活動も続けています。
2025年には守山市で「パラスポーツと出会って見つけた、私らしく生きる道」をテーマに講演し、障害があることで経験した制限や挫折、パラスポーツとの出会い、人生の選択について語りました。
今回の「toi-toi」も、その延長線上にあります。
番組では福家さん一人の経験だけで結論を出すのではなく、車いすを使う子どもの保護者や、さまざまな客を接客してきた元ハイヤー運転手らとの対話を通じて考えていきます。
必要な助けを受けることと、「この人には無理だろう」と最初から経験する機会をなくすことは同じではありません。
パラ陸上からパラバドミントンへ進み、トップレベルで競技を続けてきた福家育美さんだからこそ、「特別扱い」という言葉の中にある複雑さを、自分自身の経験から問い直しています。
まとめ
福家育美さんは、高校時代のパラ陸上を経てパラバドミントンへ転向し、日本代表として国際大会に出場した元トップ選手です。
日本選手権では女子シングルスWH1と女子ダブルスWH1-2で2冠を達成。幼いころから身につけてきた「できないと決める前に、できる方法を考える」という姿勢は、陸上からバドミントンへの挑戦にもつながりました。
その一方で、周囲から「車いすだから」と特別扱いされ、経験する前から選択肢を狭められることへの違和感も抱えてきました。
「toi-toi」で向き合うのは、福家さんの競技人生の先にある問いです。必要な配慮とは何か、本人の可能性を狭める特別扱いとの境界はどこにあるのか。これまでの歩みを知ることで、今回のテーマがより具体的に見えてきます。
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