平野佳寿が21年間の現役生活に幕、最後まで「守護神」として投げ切った
2026年10月5日放送の関西テレビ「藤原丈一郎の月刊!オリックスLOVER」では、今季限りで現役を引退するオリックス・バファローズの平野佳寿投手を大特集します。
平野投手は2006年のプロ入りから21年間、先発、中継ぎ、抑えを経験し、日本とメジャーリーグで通算258セーブ、205ホールドを記録。2026年9月25日の引退試合では9回のマウンドに上がり、最後の打者を代名詞のフォークで空振り三振に仕留めました。
この記事でわかること
- 平野佳寿投手が2026年に現役引退を決めた現在
- 日米通算258セーブ・205ホールドという記録
- 先発投手から球界屈指のリリーバーへ変わった転機
- メジャー挑戦とオリックス復帰後の3連覇までの歩み
平野佳寿は2026年限りで引退、9月25日が最後の登板
平野佳寿投手は1984年3月8日生まれ、京都府出身。2026年8月9日、オリックス・バファローズが今季限りでの現役引退を正式に発表しました。
9月25日には京セラドーム大阪で引退記者会見と引退試合が行われました。
最後に任されたのは、長年投げ続けてきた9回のマウンドです。
対戦したのはソフトバンクの中村晃選手。直球で追い込み、最後は平野投手を象徴するフォークで空振り三振を奪いました。
引退会見では21年間の現役生活について「やり切った」という趣旨を語り、試合後には長く関わってきた仲間やファンに見送られています。
10月5日の「月刊!オリックスLOVER」では、この最後の登板とセレモニー、さらに藤原丈一郎さんによる平野投手への直撃インタビューが放送されます。
日米通算258セーブ、205ホールドを積み上げた
平野投手の21年間を象徴する数字が、日米通算258セーブです。
内訳は、
- NPB:250セーブ
- MLB:8セーブ
- 日米通算:258セーブ
- 日米通算:205ホールド
- NPB通算登板:703試合
- MLB通算登板:150試合
となっています。
2023年には日米通算200セーブと200ホールドを両方達成。
オリックス球団の引退特設サイトでは、この「200セーブ&200ホールド」を日米通算で達成した史上初の投手として紹介されています。
さらに同年10月には日米通算250セーブへ到達し、名球会入り。
オリックスの選手として初めて、250セーブを基準とする名球会入りを果たしました。
プロ入り当初は「抑え投手」ではなく先発だった
現在の平野投手といえば、9回を任される守護神のイメージが強くあります。
しかし、プロ入り時からリリーフ専門だったわけではありません。
京都府立鳥羽高校、京都産業大学を経て、2005年のドラフト希望枠でオリックスへ入団。
2006年のルーキーイヤーは主に先発として投げました。
名球会入りを果たした際、平野投手自身も、プロ入り時は先発だったため「抑えとして250セーブへ到達するとは想像していなかった」と振り返っています。
平野投手のキャリアを大きく変えたのが、2010年のリリーフ転向でした。
先発として結果を残せない時期を経験する中、当時の岡田彰布監督のもとで救援へ配置転換。
ここから、平野投手の長いリリーバー人生が始まります。
2010年のリリーフ転向が最大の転機
中継ぎへ転向した平野投手は、その能力を一気に開花させます。
2011年には最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。
その後はセットアッパーだけではなく抑えも担うようになり、2014年には最多セーブ投手に輝きました。
平野投手の特徴は、単純な球速だけに頼らない投球です。
大きく落ちるフォークを最大の武器とし、直球との組み合わせによって打者から空振りを奪うスタイルを長く続けました。
20代から40代まで同じリリーフという厳しい役割を続けられたことも、大きな実績です。
救援投手は登板のタイミングを自分で選べません。
勝っている試合の終盤になれば連日のように肩を作り、失敗すれば勝敗へ直接影響します。
その役割を日本とアメリカの両方で長期間続けてきました。
34歳でメジャーリーグへ、150試合に登板
2017年シーズン終了後、平野投手は海外FA権を行使。
2018年、34歳でアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍しました。
メジャー1年目から75試合に登板。
2018年、2019年をダイヤモンドバックスで過ごし、2020年はシアトル・マリナーズでプレーしました。
MLBでの通算成績は、
150試合、9勝9敗、8セーブ、防御率3.69。
先発登板は一度もなく、すべて救援での登板です。
30代半ばから世界最高峰のリーグへ挑戦し、3シーズンで150試合に登板したことも平野投手のキャリアを特徴づけています。
特にダイヤモンドバックス1年目の75試合登板は、メジャーでもリリーフとして高い登板頻度を任されていたことを示しています。
2021年にオリックスへ復帰、チームは3連覇と日本一へ
3年間のメジャー挑戦を終えた平野投手は、2021年にオリックスへ復帰しました。
復帰1年目から29セーブ。
オリックスは2021年にパ・リーグ優勝を果たし、翌2022年にはリーグ連覇と日本一を達成します。
2023年には3年連続リーグ優勝。
平野投手はその期間も抑えとして勝利を締めくくる役割を担いました。
オリックスが長い低迷期からリーグを代表するチームへ変化した時期と、平野投手がメジャーから戻った時期は重なっています。
入団当初のオリックスだけでなく、優勝争いを続けるようになったオリックスでも投げたことになります。
2023年に球団初の名球会入り
2023年10月2日、平野投手は日本ハム戦で日米通算250セーブを達成しました。
佐々木主浩さん、岩瀬仁紀さん、高津臣吾さんに続く史上4人目の記録でした。
達成時の年齢は39歳6か月。
そしてオリックス球団所属選手として初めて名球会入りを果たしました。
さらに2025年4月3日には、NPBだけでも通算250セーブへ到達しています。
2026年10月2日時点のNPB歴代セーブ記録では、平野投手は250セーブで歴代5位タイ。
NPB通算登板数も703試合に達しています。
2026年は選手兼任投手コーチとして最後のシーズン
現役最後となった2026年、平野投手は「選手兼任投手コーチ」という立場になりました。
自分自身がマウンドへ立つだけではなく、長年の経験を若い投手へ伝える役割も担うシーズンでした。
3月29日にはNPB通算1000奪三振を達成。
その後、8月に今季限りでの現役引退を発表しました。
21年間の中では、先発として結果を求められた時期、中継ぎとして毎日のように登板した時期、守護神として試合を締めた時期、メジャーへ挑戦した時期、そして指導者を兼任した最後の年があります。
単に「250セーブを挙げた抑え投手」だけでは説明できないキャリアです。
最後のフォークまで変わらなかった平野佳寿の投球
引退試合で最後に投げた球がフォークだったことは、平野投手の21年間を象徴しています。
平野投手は長年、フォークを勝負球として使ってきました。
投手として年齢を重ねれば、球速や体力は変化します。
それでも打者との駆け引きや制球、フォークの使い方を磨きながら、40代まで一軍のマウンドに立ち続けました。
2026年の最後の対戦でも、直球で追い込み、最後にフォークを選択。
空振り三振という形で現役最後の打者を抑えています。
「月刊!オリックスLOVER」で最後の勇姿をドキュメンタリー化
10月5日の「藤原丈一郎の月刊!オリックスLOVER」は、通常回とは少し異なる「MJP特別編」となります。
番組の中心は「レジェンドの引退 平野佳寿の勇姿」。
藤原丈一郎さんがオリックスファンになった頃からマウンドに立ち続けていた平野投手の足跡を、ドキュメンタリー形式で振り返ります。
さらに平野投手への直撃インタビューも放送。
同じく2026年限りで現役を引退する山田修義投手、西野真弘選手の引退セレモニーとインタビューも紹介されます。
「選手の成績を振り返る」というだけではなく、長年応援してきたファンの視点から最後のシーズンを見る回になります。
まとめ
平野佳寿投手は、2006年から2026年まで21年間プロ野球選手としてプレーした右腕です。
プロ入り当初は先発投手でしたが、2010年のリリーフ転向をきっかけに才能を開花。最優秀中継ぎ、最多セーブのタイトルを獲得し、34歳からはメジャーリーグにも挑戦しました。
MLBでは150試合に登板し、日本へ戻った2021年からはオリックスのリーグ3連覇、日本一にも貢献。
最終的な記録は日米通算258セーブ、205ホールドとなりました。
そして2026年9月25日。
21年間の最後の打者に対して投げた勝負球も、長年の武器だったフォークでした。
10月5日の「藤原丈一郎の月刊!オリックスLOVER」では、藤原丈一郎さんが長年応援してきた「絶対的守護神」の最後の勇姿と、その足跡が改めて描かれます。
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