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谷口浩美、現在は講演・マラソン指導へ 「こけちゃいました」を人生訓に変えた34年【鶴瓶孝太郎〜スターの今を大調査〜】

人物

世界陸上金メダリスト谷口浩美は現在「走ること」と「立ち上がること」を伝える側へ

2026年10月9日放送のテレビ朝日系「鶴瓶孝太郎〜スターの今を大調査〜」には、元マラソン日本代表の谷口浩美さんが登場します。

1991年の東京世界陸上で男子マラソン金メダルを獲得し、翌1992年のバルセロナ五輪ではレース中に転倒。それでも追い上げて8位入賞し、ゴール後の「こけちゃいました」という言葉でも広く知られる存在になりました。

現役引退後は実業団や大学で指導者を歴任し、現在は全国のマラソン大会でゲストランナーを務めたり、ランニング指導や講演を行ったりしています。

2026年にもランニングクリニック、マラソン大会、講演会への出演が続いており、66歳となった今も「走ること」を通じて人と関わり続けています。

この記事でわかること

  • 谷口浩美さんが2026年現在行っている活動
  • 「こけちゃいました」が生まれたバルセロナ五輪の出来事
  • 1991年世界陸上金メダルから指導者へ進んだ道
  • 転倒経験が「転んでも踏まれても立ち上がれ!」という講演につながった背景

谷口浩美は現在、講演・ゲストランナー・ランニング指導で活動

出典:日本陸上競技連盟「谷口浩美」バーチャルミュージアム

谷口浩美さんは競技生活を終えた後も、マラソンの世界から離れていません。

現在は全国各地の大会でゲストランナーを務めるほか、市民ランナーへのランニング指導、スポーツや人生をテーマにした講演活動を行っています。日本陸上競技連盟も、現在の活動として講演やマラソン大会へのゲスト参加を紹介しています。

2026年1月には東京でランニングクリニックに参加し、けがをしにくい走り方やストレッチを指導しました。

6月には新潟県の「第50回記念 関川マラソン」へゲストランナーとして参加。さらに11月7日には故郷・宮崎県日南市で開かれる「第66回宮崎県精神保健福祉大会」で、「転んでも踏まれても立ち上がれ!」をテーマに特別講演を行う予定です。

世界のトップ選手として記録を競っていた時代から、走る楽しさや困難から立ち上がる大切さを伝える側へ。

これが2026年現在の谷口さんの大きな仕事になっています。

1991年東京世界陸上で日本人初の男子マラソン金メダル

谷口さんの競技人生で最大の実績となったのが、1991年に東京で行われた第3回世界陸上競技選手権です。

男子マラソンは高温多湿の厳しい条件となり、60人の出場者のうち24人が途中棄権する過酷なレースになりました。

谷口さんは先頭集団でレースを進め、残り約3kmからスパート。2時間14分57秒で優勝し、日本人として初めて世界陸上の金メダルを獲得しました。

日本陸上競技連盟の記録でも、1991年東京大会の男子マラソン優勝者として谷口さんの名前が残されています。

翌年には、世界王者としてバルセロナ五輪へ向かうことになります。

バルセロナ五輪で転倒、それでも8位まで追い上げた

1992年バルセロナ五輪男子マラソンで、谷口さんは優勝候補の一人でした。

しかし20kmを過ぎた給水地点で、後ろから来た選手にシューズのかかとを踏まれて転倒。脱げた靴を履き直して走り始めた時には、先頭争いから大きく遅れていました。

それでもレースを諦めませんでした。

後半に順位を上げ、最終的には8位入賞。日本オリンピック委員会の公式記録にも、男子マラソン8位として谷口さんの名前が残っています。

そしてゴール後、状況を説明するために口にしたのが、

「こけちゃいました」

という言葉でした。

谷口さん本人は後年、これを格好いい名言として言ったのではなく、世界陸上王者だった自分がなぜ8位だったのかを説明する意味だったと振り返っています。

「こけちゃいました」が34年後の講演テーマにつながった

バルセロナ五輪から34年。

現在の谷口さんを象徴する言葉は、「こけちゃいました」からさらに先へ進んでいます。

講演で掲げている代表的なテーマが、

「転んでも踏まれても立ち上がれ!」

です。

2026年11月に宮崎県で予定されている講演でも、この言葉が演題になっています。

転倒し、優勝争いから脱落しても走ることをやめず、8位まで戻ったバルセロナ五輪。

その経験が、現在は失敗や困難に直面した人へ「もう一度立ち上がること」を伝える材料になっています。

現役時代の失敗を封印するのではなく、自分自身の経験として語り続けているところが谷口さんらしいセカンドキャリアです。

実はバルセロナ五輪直前には疲労骨折も経験

バルセロナ五輪には、転倒とは別の苦難もありました。

谷口さんは後年、大会前に疲労骨折していたことを明かしています。

五輪の約2か月前に病院へ入院し、約1か月を治療に充てました。退院してから大会まで約1か月で仕上げ、スタートラインに立っています。

つまり谷口さんは、万全の状態で五輪へ入り、偶然の転倒だけで敗れたわけではありません。

故障から復帰し、世界王者としての重圧を抱えながら五輪へ出場。そのレース中にさらに転倒し、それでも最後まで走りました。

現在の講演テーマである「立ち上がれ」という言葉には、単なるキャッチフレーズ以上に、自身の競技人生そのものが重なっています。

1997年の現役引退後は選手を育てる指導者へ

谷口さんは1996年アトランタ五輪にも出場し、日本選手団の主将を務めました。

1997年の東京国際マラソンを最後に現役を引退。その後は自分が走る側から、選手を育てる側へ進みます。

指導者としては、

  • 旭化成陸上競技部コーチ・ヘッドコーチ
  • 沖電気女子陸上競技部監督
  • 東京電力長距離・駅伝チーム監督
  • 東京農業大学陸上競技部長距離助監督

などを歴任しました。

長年トップレベルで戦った経験を、自分だけのものにせず後進へ伝える仕事へ移っていったことになります。

宮崎では市民ランナーにもフルマラソンを指導

谷口さんはエリート選手だけを教えてきたわけではありません。

故郷の宮崎では、宮崎大学の特別教授として市民向け公開講座「フルマラソンを走ろう♪」を担当してきました。

講座では20代から70代までの参加者を対象に、座学と実技を組み合わせながらフルマラソン完走をサポート。健康管理や走り方なども伝えています。

世界選手権で勝つためのトレーニングではなく、「初めてフルマラソンを完走したい」という市民にも自分の経験を届ける。

世界王者から指導者、そして一般ランナーと一緒に走る存在へと役割が変化してきました。

故郷・宮崎で伝え続ける「自分の進む道は自分で決める」

谷口さんは宮崎県日南市の出身です。

2021年には母校の南郷中学校で、「転んでも立ち上がれ ~自分の進む道は自分で決める~」をテーマに中学生へ講演しました。

そして2026年11月の宮崎県精神保健福祉大会も、会場は日南市南郷町です。

世界を舞台に走った選手が、競技生活を終えた後は故郷へ戻り、自分の経験を次の世代や地域の人へ伝えている。

66歳になった現在も、谷口さんの活動の中心には「走る」「転ぶ」「立ち上がる」という自身の人生そのものがあります。

まとめ

「鶴瓶孝太郎〜スターの今を大調査〜」に登場する谷口浩美さんは、2026年現在、全国のマラソン大会でのゲストランナー、ランニング指導、講演活動を中心に活躍しています。

1991年東京世界陸上では男子マラソンで金メダルを獲得。

翌1992年のバルセロナ五輪では給水地点で転倒しながら8位まで追い上げ、ゴール後の「こけちゃいました」という言葉が広く知られるようになりました。

現役引退後は実業団や大学で選手を指導し、その後は市民ランナーや子どもたちにも経験を伝えるようになりました。

そして今、34年前の転倒経験は「転んでも踏まれても立ち上がれ!」という講演へとつながっています。

世界王者だったことだけではなく、転んだ後にもう一度走り出した経験まで人に伝える。

それが谷口浩美さんの現在の仕事になっています。

参考リンク

日本陸上競技連盟「谷口浩美」バーチャルミュージアム

JOC「バルセロナ1992大会 入賞者一覧」

宮崎県「第66回宮崎県精神保健福祉大会」

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