数原滋彦さんが変えた三菱鉛筆の経営と「書くこと」の新しい価値
2026年10月22日放送のテレビ東京系『カンブリア宮殿』では、三菱鉛筆の6代目社長・数原滋彦(すはら・しげひこ)さんが登場します。
「uni」「ジェットストリーム」「ポスカ」など、誰もが一度は手にしたことのある筆記具を生み出してきた三菱鉛筆。デジタル化で手書きの機会が減る中、同社は5期連続の増収を達成し、2025年の売上高は898億円に達しました。
その経営を担う数原さんは、慶應義塾大学を卒業して野村総合研究所に勤務した後、2005年に三菱鉛筆へ入社。2020年、41歳で社長に就任しました。
数原さんが進めたのは、技術力を磨くだけでなく、筆記具のデザインや使う人の体験まで含めて価値を高める改革です。その象徴が、水性ボールペン「uniball ZENTO(ユニボール ゼント)」でした。
この記事でわかること
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数原滋彦さんの年齢・学歴・野村総合研究所から社長就任までの経歴
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父から受け継いだ経営への考え方と、41歳で始めた組織改革
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三菱鉛筆が5期連続増収、売上898億円を達成した背景
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「uniball ZENTO」の特徴・価格と、海外市場を重視する商品戦略
数原滋彦さんの経歴|野村総合研究所から三菱鉛筆の6代目社長へ
テレビ東京BIZ公式YouTube|カンブリア宮殿「デジタル時代に絶好調 創業140年 老舗の挑戦」予告動画
公式動画:テレビ東京BIZ『カンブリア宮殿』
数原滋彦さんは1979年生まれ、東京都出身。2026年10月時点で47歳です。
慶應義塾高等学校から慶應義塾大学経済学部に進み、2001年に野村総合研究所へ入社しました。
その後、2005年に三菱鉛筆へ転職しています。
三菱鉛筆へ入社してからは、事業や経営に関わる経験を積み、2013年に取締役経営企画担当に就任。2017年に常務取締役、2018年には取締役副社長となりました。
そして2020年、父の数原英一郎さんから経営を引き継ぎ、6代目社長に就任しています。
数原滋彦さんの主な経歴
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1979年:東京都生まれ
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出身高校:慶應義塾高等学校
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出身大学:慶應義塾大学経済学部
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2001年:株式会社野村総合研究所に入社
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2005年:三菱鉛筆株式会社に入社
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2013年:取締役経営企画担当
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2017年:常務取締役
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2018年:取締役副社長
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2020年:代表取締役社長に就任
三菱鉛筆は1887年に眞崎仁六が創業した会社です。数原家では、数原さんの曽祖父、祖父、父、そして本人と4代にわたって社長を務めています。
ただし、数原さんは入社当初から社長就任が決まっていたわけではありません。
外部企業で働いた経験を持ち、経営企画や役員として会社の運営に携わった後に、140年近い歴史を持つ企業のトップに立ちました。
2020年に41歳で社長就任|5期連続増収と売上898億円
数原さんが社長になった2020年は、新型コロナウイルスの感染拡大が始まった年でした。
世界的に経済活動が混乱し、学校やオフィスでの働き方にも大きな変化が生じました。筆記具メーカーにとって、従来の販売環境を当然のものと考えられない時期だったといえます。
それでも三菱鉛筆は、2025年まで5期連続で増収を達成しました。
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社長就任:2020年
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就任時の年齢:41歳
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2025年の売上高:約898億円
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業績:5期連続増収
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主な製品:uni、ジェットストリーム、ポスカ、クルトガ、uniball ZENTO
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経営の重点:ブランド価値向上、商品開発、海外事業、組織改革
従来の三菱鉛筆は、研究開発力を生かして高品質な筆記具を生み出すことに強みがありました。
しかし、数原さんは技術の優秀さだけではなく、その商品を使うことでどのような体験が得られるのかを重視するようになります。
書き味のよさに加え、持ったときの心地よさ、デザイン、書く時間そのものの楽しさを伝える。
こうした価値の打ち出し方が、三菱鉛筆の新しい商品開発につながっています。
父・数原英一郎さんから受け継いだ「会社は数原家のものではない」という考え
数原さんは幼い頃、父に連れられて三菱鉛筆の群馬工場や本社を訪れることがありました。
会社は身近な存在でしたが、父から伝えられた考え方は、家業を当然のように継ぐというものではありませんでした。
数原さんは月刊誌『致知』のインタビューで、父から「会社は数原家のものじゃないよ」と諭された記憶を語っています。
三菱鉛筆は上場企業です。創業家や経営者の家族だけのものではなく、株主をはじめ、多くの人々との関係の中で事業が成り立っています。
この考え方は、数原さんが経営者になってからも重要な意味を持ちました。
父の英一郎さんは33年間にわたり社長を務め、会社のさまざまな事業に精通していました。
一方、数原さんは40代前半でトップに立っています。長年の経験を持つ先代と同じ方法で経営するのではなく、自分とは異なる経験を持つ社員たちの力を生かす必要がありました。
その結果、社長個人がすべてを把握して判断する会社ではなく、組織全体が自ら考え、動ける会社を目指すことになります。
三菱鉛筆の原点|1887年の創業と祖父が生み出した高級鉛筆「uni」
数原さんの改革を理解するには、三菱鉛筆が長年培ってきたものづくりの歴史も欠かせません。
同社の始まりは1887年。眞崎仁六が東京・内藤町で設立した眞崎鉛筆製造所です。
国産鉛筆の品質向上に取り組み、やがて逓信省の局用鉛筆として3種類の製品が採用されました。
これを記念し、家紋の「三鱗」をもとにしたマークが考案されます。現在まで受け継がれている三菱鉛筆の商標につながる出来事でした。
その歴史で大きな転機となったのが、1958年に発売された高級鉛筆「uni(ユニ)」です。
開発を主導したのは、数原滋彦さんの祖父にあたる数原洋二さんでした。
当時、洋二さんは欧米を視察し、日本の鉛筆が十分に高く評価されていないことを知ります。
そこで、日本の技術力を結集して世界に通用する高品質な鉛筆を開発しようと取り組みました。
こうして誕生した「uni」は、三菱鉛筆の代表的なブランドとなります。
現在の数原滋彦さんが進める改革も、祖父の時代から続く技術へのこだわりを否定するものではありません。
優れた技術を、消費者にとって魅力のある商品として届ける。その方法を現代に合わせて変えようとしているのです。
技術重視からブランド重視へ|数原滋彦さんが進めた組織改革
数原さんが掲げる三菱鉛筆のビジョンは、**「世界一の表現革新カンパニー」**です。
これは、鉛筆やボールペンなどの筆記具を作るだけでなく、人が自分の考えや感情、個性を表現することを支える会社を目指す考え方です。
現在はスマートフォンやパソコンで文字を入力する機会が増え、日常生活で手書きをする場面は以前より少なくなっています。
しかし、数原さんは、だからこそ手で書く行為の価値を高める必要があると考えています。
手書きの機会が減ることを、そのまま筆記具の価値がなくなることとは捉えていません。
例えば、誰かへ手紙を書く時間や、自分の考えをノートに整理する時間には、デジタル入力とは異なる体験があります。
そうした体験を支える商品を作ることで、筆記具の新しい需要を生み出そうとしているのです。
また、数原さんは組織運営についても、特定の人物の能力に依存しすぎない仕組みづくりを重視しています。
2025年のインタビューでは、グループ全体で約3,000人の社員がいることを踏まえ、社員の力を引き出す組織を作りたいと語っています。
経営トップがすべてを決めるのではなく、各部門が判断し、連携していく。そうした仕組みづくりが、会社を次の世代へ引き継ぐうえでも重要になります。
uniball ZENTOの開発秘話|書き心地だけでなく「書く時間」を商品に
数原さんが目指す商品づくりを象徴するのが、2025年2月3日に日本で展開を開始した水性ボールペン「uniball ZENTO(ユニボール ゼント)」です。
この商品は、日本よりも先に北米市場で発売されました。
特徴は、力を入れずにすいすいと書き進められる、なめらかな筆記感です。
三菱鉛筆の研究開発部門が積み重ねてきたインク技術をもとに、書くときの心地よさを追求しています。
しかし、従来の商品との大きな違いは、インクの性能だけに注目していない点です。
「uniball ZENTO」は、忙しい日常の中でペンを持ち、自分と向き合う時間を楽しむという体験を重視しています。
商品開発では、ブランディング会社のdof(ドフ)も参加しました。
三菱鉛筆の技術をどのような言葉やデザインで伝えればよいのか、商品コンセプトからブランド名まで検討しています。
「ZENTO」という名前は、日本の「禅」から着想を得たものです。
機能を増やして複雑にするのではなく、必要な要素を磨き、書く時間の心地よさを追求する。そんな考え方がブランドづくりに反映されています。
uniball ZENTOの種類と価格|275円から3,300円まで
「uniball ZENTO」は、使う人の好みや用途に合わせて複数のモデルが販売されています。
基本のインク技術を共通にしながら、ペン軸の素材やデザイン、重量感、キャップの構造などで違いを設けています。
発売時の主なモデルと参考価格
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ベーシックモデル:275円(税込)
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スタンダードモデル:275円(税込)
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フローモデル:1,100円(税込)
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シグニチャーモデル:3,300円(税込)
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替芯:132円(税込)
発売当初の主要なボール径は0.38mmと0.5mmです。2025年12月には0.7mmのモデルも追加されました。
ベーシックモデルは、日常的に使いやすいシンプルなデザインが特徴です。黒・赤・青のインク色が用意されています。
スタンダードモデルは、握りやすさを意識したロングラバーグリップと、落ち着いた軸色が特徴です。
フローモデルは、アルミ製のグリップを備え、素材の質感や適度な重量感を楽しめます。
シグニチャーモデルは、マグネット式キャップを採用した上位モデルです。ペンを取り出して書き始める動作まで含め、特別な筆記体験を目指しています。
いずれも単なる価格差ではなく、使う人の好みに合わせて異なる魅力を持たせた商品展開です。
文房具店などで購入できるほか、取扱店のオンラインショップでも販売されています。価格や在庫、カラー展開は販売店によって異なります。
ジェットストリーム・ポスカ・LAMYを生かした海外戦略
数原さんの経営でもう1つ重要なのが、海外事業の拡大です。
三菱鉛筆は、日本国内で親しまれるメーカーであると同時に、世界各国へ筆記具を販売する企業でもあります。
主力となるのは「uniball」「JETSTREAM(ジェットストリーム)」「POSCA(ポスカ)」などのブランドです。
特にポスカは、紙だけでなく多様な素材への描画に使われ、文字を書く道具にとどまらない表現用品として展開されています。
2024年には、ドイツの筆記具ブランド「LAMY(ラミー)」を傘下に迎えました。
LAMYは、デザイン性の高い万年筆やボールペンで知られるブランドです。
さらに2025年には、LAMYの代表的なシリーズ「safari(サファリ)」にジェットストリームのインクを搭載した商品も展開しています。
日本で磨いてきた書き味の技術と、ドイツの筆記具ブランドのデザインを組み合わせた取り組みです。
数原さんは、2025年のインタビューで売上高の約6割を海外が占めていると説明しています。
国内人口の減少やデジタル化による変化に対応するためにも、世界各地で愛されるブランドを育てることが欠かせません。
「uniball ZENTO」を北米から展開したことも、最初から海外市場を重要視する商品戦略の表れです。
創業140年へ|数原滋彦さんが目指す次世代の三菱鉛筆
三菱鉛筆は、鉛筆の製造から始まり、長い歴史の中でシャープペンシル、ボールペン、サインペンなど幅広い商品を生み出してきました。
その過程では、新しい素材やインク、機構の開発を重ねています。
数原さんが担っているのは、こうした技術の蓄積を未来の事業につなげる役割です。
古くから続く商品を守るだけでなく、新しい生活様式に合わせて商品やブランドを育てていく必要があります。
例えば、1958年に登場した「uni」や1966年発売の「Hi-uni」は、今も鉛筆の代表的なブランドです。2026年には、両商品のパッケージデザインも刷新されています。
長年愛されてきた商品の価値を大切にしながら、次の世代にも手に取ってもらうための変化を続けています。
数原さんは、自分がいなくても成長を続けられる会社を作ることが重要だと考えています。
140年近い歴史を持つ企業の経営を、特定の一人に頼るのではなく、社員全体の力で進める仕組みへと変えていく。
父から伝えられた「会社は数原家のものではない」という考え方が、現在の経営にもつながっています。
まとめ
数原滋彦さんは、1979年生まれの三菱鉛筆6代目社長です。
野村総合研究所での勤務を経て2005年に三菱鉛筆へ入社し、2020年に41歳で社長となりました。
コロナ禍での社長就任から、三菱鉛筆は5期連続増収を達成。2025年の売上高は898億円に達しています。
その改革の中心にあるのは、研究開発力を大切にしながら、ブランドやデザイン、使う人の体験まで含めて商品価値を高める考え方です。
「uniball ZENTO」の開発や海外市場への展開は、その方針を具体的に示しています。
三菱鉛筆の長い歴史を引き継ぎながら、手で書くことの価値を新しく伝える。数原さんが進めるのは、伝統的な文房具メーカーを次の時代へつなぐ改革です。
参考リンク
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