俳優、花の世界、革職人へ――河野弘樹さんが広島の山奥で見つけた現在
2026年9月20日放送の『ポツンと一軒家』では、広島県の山あいにある築150年の古民家へ、妻と子どもとともに移り住んだ37歳の革職人・河野弘樹(こうの・ひろき)さんが紹介されました。
河野さんの歩みはかなり異色です。10代で俳優としてドラマに出演し、その後はフラワーデザイナーとして東京で活動。しかし花の仕事を続けられなくなる大きな転機を経験し、現在は広島県神石高原町でレザーブランド「Tears of Clown」を手掛ける革職人として暮らしています。
この記事でわかること
- 河野弘樹さんが出演していたドラマ
- フラワーデザイナーから革職人へ転身した理由
- レザーブランド「Tears of Clown」の始まり
- 神石高原町への移住と築150年の古民家で始めた現在の暮らし
河野弘樹さんは「Tears of Clown」を手掛ける神石高原町の革職人
河野弘樹さんは1988年生まれ。広島県神石高原町でオリジナル革製品を制作する革職人です。
現在手掛けているレザーブランドが「Tears of Clown」。本人の公式Xでは、オーダーメイドの革製品を中心に、プロの花職人向けのレザーアイテムなどを制作・販売していることが紹介されています。
神石高原町が公開している事業者名簿にも、「Tears of clown」の代表者として河野弘樹さんの名前が掲載されています。趣味から革細工を始めたという段階ではなく、神石高原町を拠点として活動する事業者です。
番組では、神石高原ティアガルテン内にある工房で作業する姿も登場しました。
制作しているのは、
- 財布
- ブックカバー
- マスク
- シザーケース
- オーダーメイドの革製品
など。
特に河野さんの現在につながる重要なアイテムが、花を扱うプロのためのシザーケースでした。
10代で俳優になり『ママ!アイラブユー』に出演
革職人になる以前、河野さんは芸能界で活動していました。
広島県出身で、高校を中退した後に単身上京。10代から俳優として活動しています。ABCテレビも今回の放送に合わせ、河野さんが高校中退後に上京して俳優となった経歴を紹介しています。
出演作として確認できるのが、CBCテレビの昼ドラ『ママ!アイラブユー』です。
2005年に放送された浅香唯さん主演のホームコメディで、CBCテレビの公式動画ページでも出演者として、
- 浅香唯
- 田中哲司
- モト冬樹
- 片桐はいり
- 岩松了
- 河野弘樹
さんらの名前が掲載されています。
現在の革職人の姿だけを見ると意外ですが、河野さんにとって「ものを表現する」という仕事は、10代から続いてきたことになります。
神石高原町の移住者紹介では、河野さんの母親が劇団新感線の立ち上げメンバーだったことも紹介されています。芸能に触れる環境の中で育ち、自らも俳優の道へ進みました。
俳優からフラワーデザイナーへ転身
俳優の次に河野さんが進んだのが、花の世界でした。
20代になるとフラワーデザイナーとして活動。神石高原町の紹介によれば、ラスベガスのフラワーショーへの参加経験があり、海外のアーティストが来日した際にはアシスタントも務めています。
さらに東京では、一流ホテルに店舗を構えるフラワーショップなどで経験を積み、外部講師を任されるまでになりました。
俳優とはまったく違う世界に見えますが、自分の感覚を形にするという意味では共通しています。
花を扱う仕事でも実力を伸ばし、ようやく結果につながり始めた頃、河野さんに大きな転機が訪れました。
花のアナフィラキシーショックで仕事を断念
河野さんがフラワーデザイナーを辞めた理由は、仕事への挫折ではありませんでした。
花によるアレルギーで、アナフィラキシーショックを起こしたためです。
神石高原町の移住者紹介では、菊によるアナフィラキシーショックを発症し、フラワーデザイナーを続けられなくなった経緯が明かされています。
俳優から花の世界へ移り、その仕事でも経験を積んできた河野さんにとって、自分の意思とは関係なく仕事を手放さなければならない出来事でした。
ところが、この経験が現在の革職人につながります。
シザーケースの依頼から革職人が始まった
革の仕事を始めるきっかけを作ったのも、河野さんがそれまで関わってきた花の世界でした。
友人のフラワーデザイナーから、
「フラワーデザイナー用のシザーケースがないので作ってほしい」
という依頼を受けます。
そのシザーケース制作をきっかけに、ナイフケースや財布なども手掛けるようになり、革製品の仕事が広がっていきました。河野さんは独学で革加工の技術を身につけ、現在の仕事へつなげています。
ここが河野さんの経歴で特に興味深いところです。
花の仕事は続けられなくなりましたが、その世界で築いた経験や人とのつながりが完全に途切れたわけではありません。
むしろ「花職人が本当に必要としている道具を入れる革製品」という、元フラワーデザイナーだからこそ理解できるものづくりへ変わっていきました。
現在の「Tears of Clown」でも、プロの花職人向けレザーアイテムはブランドを象徴する仕事のひとつになっています。
2019年に神石高原町へ移住した
もうひとつの大きな転機が、広島県神石高原町との出会いです。
河野さんが神石高原町へ移住したのは2019年。きっかけを作ったのは、高校時代の同級生でした。神石高原町に暮らしていた友人から声をかけられ、この地域を訪れています。
標高約500メートルの山間部に広がる自然と、そこで暮らす人たちとの関係に触れたことが、その後の人生を大きく変えました。
東京で俳優やフラワーデザイナーとして活動していた生活から一転し、山の中の暮らしへ。
移住後には地域の仕事を手伝ったり、農業に挑戦したり、狩猟にも関わったりしながら地域へ溶け込んでいきました。
革職人という仕事も、この土地とのつながりを深めています。神石高原産のジビエ革を使用した革製品も制作されており、「Tears of Clown」は都市部から持ち込んだ仕事ではなく、神石高原での暮らしとも結びついたブランドになっています。
妻と子どもと築150年の古民家へ再び移住
『ポツンと一軒家』が河野さんを訪ねた時点では、さらに新しい生活が始まったばかりでした。
河野さんは妻と子どもの3人家族。番組に登場した山奥の家には、撮影のおよそ1か月前に移ったばかりでした。
家は築約150年の古民家です。
かつて家の前には田んぼがあり、屋根裏ではこんにゃくを干したり、養蚕をしたりしていたという、地域の歴史そのものを残す家でした。
河野さんは既存の家具を生かしながら、防虫対策を兼ねて天井へ壁紙を張り、台所には自らフローリングを施工。古い家を壊して新しくするのではなく、残されてきたものを使いながら家族の暮らしに合わせています。
家主にとっても、長く空いていた家を河野さん一家が使い続けることには大きな意味があります。
地域では人口減少が続いていましたが、新しい家族が移ってきたことで、古民家だけでなく集落そのものにも新しい暮らしが加わりました。
革職人だけではない地域の一員としての暮らし
河野さんの現在を理解するうえで重要なのは、仕事場と自宅だけではありません。
番組では地域の美化活動にも参加し、作業後には地域の人たちが河野さんの家に集まってバーベキューを楽しむ様子が紹介されました。
近くには住民が作った野外ライブ場があり、年に数回ライブも開催。河野さん自身も地域の人から音楽を教わっています。
俳優、フラワーデザイナー、革職人。
職業だけを追えば何度も方向を変えているように見えますが、その時々で得た人とのつながりや表現する技術が、現在の神石高原町での生活に重なっています。
仕事を失う原因となった花の世界も、シザーケースという形で革職人への入り口になりました。
そして高校時代の友人との縁が、東京中心だった暮らしを広島県の山あいへと導きました。
Tears of Clownの革製品と連絡先
河野弘樹さんの革ブランドはTears of Clownです。
主な活動内容は、
- オーダーメイド革製品の制作
- 花職人向けレザーアイテム
- シザーケース
- 財布やブックカバーなどの革小物
- 神石高原産ジビエ革を使用した製品
などです。
本人の公式Xプロフィールから、ブランドの公式Instagramと公式サイトへアクセスできます。
大量生産品ではなく、河野さん自身が手掛けるオーダーメイドを中心としたレザーブランドという点が特徴です。
まとめ
『ポツンと一軒家』に登場した37歳の革職人は、河野弘樹さんです。
10代で俳優として活動し、CBCテレビの『ママ!アイラブユー』などに出演。その後はフラワーデザイナーへ転身し、国内外の花の現場で経験を積みました。
しかし花によるアナフィラキシーショックをきっかけに仕事を断念。友人から頼まれたシザーケース制作が、新しい革職人としての道につながります。
2019年には神石高原町へ移住し、現在はレザーブランド「Tears of Clown」を展開。2026年には妻と子どもとともに築150年の古民家へ移り、地域の人たちと関わりながら新たな暮らしを始めました。
俳優、花、革、そして山の暮らし。一見すると別々に見える経験が、人との縁を通してすべて現在につながっているところが、河野弘樹さんの人生の大きな特徴です。
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