小さな指が奏でる奇跡の旋律 アペール症の12歳ピアニストが届ける“生きる力”
指が動かないのにピアノを弾く――そんな奇跡のような話を信じられますか?今回紹介するのは、福岡市で暮らす12歳の少女・村山陽香(むらやま はるか)さん。彼女は、生まれつきの難病「アペール症候群」とともに生きながら、自分の指でしか奏でられない音を響かせ続けています。どんなに制約があっても、音楽をあきらめなかった彼女。その努力、家族の支え、そして音への深い愛情には、多くの人が心を動かされました。この記事では、NNNドキュメント’25「小さな指、奏でる思い アペール症のピアニスト」で描かれた、彼女の12年間の軌跡をじっくりと辿っていきます。
指がくっついて生まれた少女 “アペール症候群”との出会い
村山陽香さんが誕生したとき、その手のひらはまるで薔薇のつぼみのように、指と指がくっついていました。原因は、骨や関節の形成に影響を与える遺伝子の突然変異によって起こる「アペール症候群」。日本では15万人に1人の割合でしか見られない先天性の難病です。出生後すぐに、頭蓋骨の成長を助けるための大手術を受け、その後も指を1本ずつ分ける手術を重ねてきました。これまでに経験した手術は7回。幼い体で何度も痛みに耐えながら、それでも笑顔を失わなかったといいます。
医師からは「ピアノのような細かい動作は難しい」と言われていました。しかし、音楽好きの母・尚子さんの存在が転機をもたらします。家で流れるピアノ曲に自然と体を揺らし、4歳になると「自分で弾いてみたい」と言い出した陽香さん。母は迷わず、福岡市の音楽教室「Music Life」に彼女を通わせました。そこから、奇跡の音楽人生が静かに始まったのです。
指が動かないなら“動く部分で”弾く 工夫で生まれた独自の奏法
ピアノを始めた当初、鍵盤を押すことすら大変でした。関節が曲がらないため、指の角度や手の動かし方を変えるだけでも時間がかかります。それでも、陽香さんは工夫を重ねました。片手で届かない部分は、両手を交差させながら弾く。和音を押さえられないときは、ペダルやリズムでカバーする。誰も教えてくれなかった奏法を、独学で体に覚え込ませていったのです。
この努力が実を結び、8歳のころにはすでに大人顔負けの表現力を身につけていました。彼女が奏でる音は、決して力強いだけではなく、どこか優しく包み込むような響きを持っています。共演した藤松バイオリニストは「音に色がある。彼女のピアノは聴く人の心を温める」と語りました。その音色には、“できない”を“できる”に変えてきた時間の重みが感じられます。
成長とともに訪れた新たな壁 “歩くこと”さえも困難に
2025年春。小学校を卒業し、福岡市立長丘中学校への進学を目前に控えていた陽香さんに、新たな試練が訪れます。アペール症候群の影響で、今度は膝関節が変形し、長時間歩くことが難しくなったのです。中学校の広い校内を移動できるか不安を抱え、事前に下見に訪れるほどでした。
彼女は現在も福岡市立こども病院に月1回通院しています。小学校の終盤には、通学さえ難しく、自宅療養の日々もありました。それでも、ピアノの練習だけはやめなかったのです。痛みを抱えながら鍵盤に向かう姿には、「同じ病気を持つ人たちに、自分の音を届けたい」という強い意志がありました。
1日8時間、音に命を込める日々
中学入学前の3月、陽香さんは自身初となる2時間リサイタルを控えていました。曲目はすべて彼女が自ら選んだもの。『花のワルツ』『ロンド』『アヴェ・マリア』『主よ人の望みの喜びを』『カルメン前奏曲』『ハンガリー舞曲』『ラデツキー行進曲』『小さな世界』――どれも、これまでの人生で出会った「心の支え」になる曲ばかりでした。
練習スケジュールは驚くほど緻密です。朝9時から基礎練習、昼食後には楽曲ごとの演奏を繰り返し、夕食後も夜遅くまで鍵盤の前に座り続けます。トータルで1日8時間。体に負担がかかることを知りながら、それでも「もっときれいな音を出したい」と弾き続けました。
特に大切にしている曲が、モーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』。華やかで軽やかなメロディーは、彼女にとって“希望”そのもの。何度も練習を重ねるうちに、手に痛みを感じても手を止めることはありませんでした。
迎えた本番、光のステージで響いた「生きる音」
2025年3月29日、リサイタル当日。会場はアクロス福岡。彼女は黒いドレスに身を包み、深呼吸をしてステージに立ちました。客席には、家族や友人、病院の関係者、そして彼女を応援してきた地域の人々の姿がありました。
最初の曲『アイネ・クライネ・ナハトムジーク ト長調 K.525 第1楽章 アレグロ』が始まると、会場の空気が一変。小さな指が鍵盤を軽やかに跳ね、まるで音が踊っているようでした。続いて『ハンガリー舞曲』『ラデツキー行進曲』といった華やかな楽曲が続き、観客の心を掴みました。
演奏後の彼女の言葉が印象的です。「ピアノは、ずっとそばにいて励ましてくれる友達です」。その言葉に、これまでの努力と涙のすべてが込められていました。
音楽を通じて広がる世界 そして“パン屋になりたい”夢
コンサートを終えた後も、彼女の日常は音とともにあります。中学校に進学して3か月、福岡市立長丘中学校では新しい友人も増え、笑顔の時間が増えました。夏には、「みんなの前で弾いてほしい」という声を受けて、福岡市立心身障がい福祉センターでの演奏会にも参加。同じ境遇の子どもたちに、やさしい音色を届けました。
そして彼女のもう一つの夢が「パン屋さんになること」。音楽と同じように、誰かを幸せにできる仕事に憧れているのだそうです。「焼きたてのパンを食べた人が笑顔になるように、音でも人を笑顔にしたい」。そんな彼女の言葉には、温かい優しさがにじみ出ていました。
まとめ:小さな指が紡いだ希望のメロディー
この記事のポイントは3つです。
・アペール症候群という難病を抱えながらも、音楽で人を励まし続ける強さ。
・1日8時間の練習を重ね、自分だけの奏法を生み出した創意工夫。
・ピアノだけでなく、“生きること”そのものを音に込めているという姿勢。
村山陽香さんのピアノは、単なる演奏ではなく、「あきらめない心」の象徴です。彼女の小さな指が奏でる音は、誰かの背中を押し、明日を生きる勇気を与えてくれます。これからもその音が、福岡の街から日本中、そして世界中に響いていくことでしょう。


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