浅草の神そば職人・石井 仁さんとは
浅草で「神そば職人」と呼ばれることがあるのが、石井 仁さんです。
派手に目立つよりも、黙々と手を動かし、そばの一本で勝負してきたタイプの職人さんとして知られています。
今回の番組では、そんな石井 仁さんが「流浪のそば職人」として紹介される流れなので、放送前に“どんな人?”を押さえておくと、見どころがグッと増えます。
キーワードは、浅草、そば職人、そして店名の仁行(にぎょう)です。
石井 仁さんの歩み(店から店へ“流浪”の理由)

(画像元:伝説の蕎麦店『仁行(にぎょう)』が、“どうみても下町の民家”の中で復活! | グルカレ by 東京カレンダー)
石井 仁さんは、もともと和食の現場で修業し、そばは独学で腕を磨いた職人さんです。
その歩みは、ひとことで言うと「店を移しながら、そばの完成度を上げ続けてきた歴史」です。
1992年に東京・神田で「いし井」を開き、名を広めました。
その後いったん閉店し、1998年には静岡・修善寺で「朴念仁」を開業します。ここで“わざわざ遠方から食べに行く価値があるそば”として評判を呼びました。
2005年には銀座でコース料理中心の「古拙」を立ち上げ、そばだけでなく料理全体の組み立てでも評価を高めていきます。
さらに2010年ごろには日本橋で「仁行」を開き、のちに群馬・富岡で「仁べえ」(2016年)、茨城・笠間で「仁べえ荘」(2019年)など、拠点を変えながらそばを打ち続けました。
そして2023年、東京に戻る形で浅草に仁行(にぎょう)を開き、再び注目が集まっています。
“流浪”という言葉がつくのは、引っ越しの多さを面白がっているだけではなく、場所を変えながらも「自分のそばを更新し続けてきた」姿そのものが、強い物語になっているからです。
浅草 仁行(にぎょう)の店情報と楽しみ方
浅草の仁行(にぎょう)は、東京都台東区浅草4丁目エリア(いわゆる観音裏側のあたり)にあります。
大通りのにぎやかさとは少し距離がある場所で、「浅草の真ん中なのに、ふっと静かになる」空気が似合う立地です。
営業スタイルは、基本的に予約を前提にした“おまかせ”の流れが中心で、人数も多くは入れない小さな店づくりです。
ここが大事で、石井 仁さんのそばは「ふらっと入って、サッと食べる」よりも、料理の順番ごと楽しむほうが本領が伝わりやすいタイプです。
浅草観光の延長線というより、そばを目的に時間を確保して向かう店、と考えるとイメージが合います。
名物といわれるそばの魅力(そば寿司・極細十割そば)
石井 仁さんの名前と一緒に語られやすいのが、そば寿司と、驚くほど細い十割そばです。
そば寿司は、ただ“そばを巻いた変わり種”ではなく、そばの香り、具材の食感、タレや薬味のバランスで成立する一皿として話題になります。
口に入れた瞬間にほどける感じがあって、「そばってこんな遊び方ができるんだ」と思わせる入口になりやすいです。
そして極細の十割そばは、「十割=ボソボソ」という昔のイメージをひっくり返すような存在として語られることがあります。
細いのに、のどごしが良く、噛むと芯がある。
この“矛盾みたいな両立”を狙うために、粉の状態、加水、打ち方、ゆでの見極めまで、全部がシビアになります。
番組で「流浪」と言われる背景には、こうした“狙いを実現するために、環境すら変えながら試す職人”という面も見えてきます。
石井 仁さんを語るうえで外せない特徴
石井 仁さんを紹介するとき、外せないポイントは大きく3つです。
1つ目は、和食の修業を土台にしつつ、そばは独学で積み上げてきたことです。料理全体の流れを組み立てる力が、蕎麦懐石の形に生きています。
2つ目は、店を移しながらそばを打ち続けてきた“動き方”そのものが職人像になっていることです。落ち着かない人、ではなく「納得する形に近づくために、次へ行く人」という印象が残ります。
3つ目は、浅草の仁行(にぎょう)が、きらびやかな演出よりも、生活感のある静けさを選んでいることです。料理の強さだけでなく、“店のあり方”まで含めて、石井 仁さんらしさとして語られます。
放送では、この3つが「なぜ神そば職人と呼ばれるのか」の答えとして、きっとわかりやすくつながってくるはずです。


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